のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

地震と私と守護霊と 不思議な体験が続いていた

2016年06月18日 08時52分25秒 | うたごえ

テレビで地震国日本の確率予報が流れていた 予知はまだ出来ないが予測は報告される

改めて 日本はどこへ行っても ここが安全と言う地は無いのだと思う

東京も大地震の怖れの確率は 数年以内に訪れると言う

 

 

私は その時は助からないと思う 今まで大きく護られてきたから あとは運命に委ねる

振り返ると 生かされてきたんだな としみじみ思う

守護霊なんて居るかなと思うけれど 多分 居るかもしれないとも思うのだ

 

 

7年前 添乗員の仕事を終え 家の付近を歩いて居た時である

京葉道路沿いの歩道のそばで ビル解体工事をしており工事の高い塀が数十メートル続く

何気なく その上の方を見上げた 何やらゆらゆら揺れている

 

これは危険 倒れてくる 瞬間で察知して大きなバッグを持ったまま私は走った

歩道の脇は車が頻繁に走っている 片側は塀 前方しか逃げる道は無い

塀の中では 慌てて発している怒声や悲鳴に近いものが聴こえていた

 

通り抜けた瞬間 塀は倒れ長く歩道を覆っていた 

この下敷きになっていたら助からない ほんの数秒のことで気がつかなければ一巻の終わり

一呼吸置いて この不安全に腹が立ってきたが 助かったという幸運の方が勝った

 

この2年後 都内で同じような事故があって 不幸にも亡くなった方が居た

運命とは 不思議だなと感じる 数秒早く歩いて居れば あるいは遅ければ助かった命だ

私は 大地震の都度 ああ 一週間の差が 私を助けているのだと思わずにはいられない

 

 

阪神・淡路の大地震の一週間前 私は青春18キップで この中心地を歩いていた

中華街から異人館へ そして泊まりは 宝塚温泉 また普通列車を乗り継いで帰京する

一週間後 この神戸も宝塚も 悲惨な光景をテレビが伝えていた

 

八戸地震の一週間前 私は無性にどこかへ行きたい衝動に駆られ 新幹線で八戸に行く

ビジネスホテルに宿泊をして 市場に近い店で 海鮮料理を美味しく頂いた

この時は 寄り道も無く帰る そして 翌週 地震の報道に驚いたものである

 

中越地震の時は 私は添乗の仕事で まさしく被災地の中心を案内していた

この時も一週間前である ニュースで流れる被災地は 見て来たばかりの土地である

添乗員同志でツアーの打ち合わせの間 昼食を共にすることがある

 

次はどこへ居のとか 情報交換にもなる場で 楽しい時間になる

私が 東北ツアーへ出かけている時 中越地方へ行っていると心配した仲間から電話

いや 一週間前で 今は東北道を走っているよと伝え 安心させるが運命を感じる

 

それぞれ大きな大災害であり 迂闊に書けないが 地震から私を遠ざけるものがある

守護神かなぁと今でも思う 貧乏神なら居るかもしれないと笑って言える

こんなに訪れた地が一週間後 大地震にあっている 私は生かされていると思うしかない

 

おまけの話をするなら 台湾一周ツアーに行った この3か月後現地の地震の報に接した

東日本大震災の被災地 女川 石巻 高田の松原 気仙沼 何れも添乗で案内して来た

それだけに 景色や地元の方が目に浮かび 復旧・復興を祈る気持ちに溢れる

 

青春18キップで三陸を廻っている時 乗り合わせた男性と列車で話をした

出稼ぎに東京へ出て来て 今は家へ帰るところだよと私に言う

ほら あそこが私の家 被災地である田野畑村の一画を指差した

 

今は どうしているだろう 助かって生きていて欲しい

そして 私は生かされているいのち 残りのいのちを大切に生きていたいものだ

それが うたごえであり ボランティアである 笑顔と元気を送り続ける生涯にしたい

 

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
のびたさんへ (くりまんじゅう)
2016-06-18 09:16:15
のびたさんの記事を読んで 北海道豊浜トンネル事故を
思い出しました。もう20年ほども前になりましたね。
岩盤がトンネルを突き破り 走行中のバスに直撃 多くの
方が亡くなりました。岩盤崩落がほんの1秒違っていれば
バス直撃はなかったと思われ なんという不幸かと思いました。
のびたさんはその反対で いつの場合も守護神がついています。
ボランティアに精出される姿を見ると 生かされた命を
社会のために使っておられる意味が解る気がします。
返信する
Unknown (みのり)
2016-06-18 10:02:43
のびたさん

 災害は一瞬ですね
何回も怖い思いをされたとか
本当に幸運でしたね
さらに長生きをして下さいね
返信する
まもられて (ピアノ)
2016-06-18 10:32:56
のびたさん、一瞬のこと、身体が反応してくれて本当に良かったですね。
私もそのようなことが多く、あぁ一緒だと思いました。この春、チケットが取れず台湾行きを諦めたら地震、函館 大間から帰ったら地震などは最近のこと。電車一本乗り遅れたおかげでとか、たくさんあります。

のびたさんと同じく、これからはどんなことも
「おまかせ」と思っています。
私の場合、差し出す値打ちもない人生ではありますが。
返信する
生き延びている人には (chidori)
2016-06-18 11:07:56
そのような幸運?が皆さん、たくさんあって今があるのかもですね。のびたさんは こうして伝えるすべを持ち、それがまた見事に教訓的なメッセージになっている。それを拝見する私たちもあなたの幸運を享受して有難き人生を思いますね。
いつどうなっても覚悟は決められるのも、ある程度訓練?このような考え方に触れることが多いほどいいという事ですね。
返信する
こんにちは! (きみちゃん)
2016-06-18 11:23:32
私も生かされているのだと思います。
ニュージーランドの地震の時は・・・船旅の最中でした。
地震が起きたのは2月22日でしたか?
23日にそこクライストチャーチを観光する予定でした。
当日は自由行動!
あの、崩れたチャペルと英語学校!
あのあたりに行く予定でした。
1日違いでした。
船のツアーには同時刻に崩れたトンネルを通るコースもあったそうです。
3.11は横浜に9時に到着!
下船は11時でした。
普段は・・・横浜でお昼を食べるのですが・・
あの日は・・・自宅近くの・・・ラーメンが食べたい・・・一心で・・・。
ラーメンを食べて家に帰って・・・一息ついたら・・・あの地震が起こりました。
返信する
こんにちは (kao)
2016-06-18 11:59:48
私も九死に一生がなんどか
あります、。そのたびにきっと
まもってくれているどなたかに
(神さま?仏さま?)こころで
お礼を言って、明日もまた
生きようと
思います。・生かされている命、
粗末にしてはいけませんものね・・。
返信する
こんにちは (はっちゃん)
2016-06-18 12:32:37
南海地震の時は私は5歳でした夜だったので祖母がこたつ(当時は豆炭か炭火)もって
外に出て逃げたのを覚えていますあれから70年南海地震は周期100年と言われてるので
そろそろ危険期にに入ってきたのでしょう

事故や災害にあうあわないはその人の持ってる運なんでしょうか不思議ですね。
返信する
こんにちは~ (蓮の花)
2016-06-18 14:33:05
守護の神様は必ずいると思います。
世界の大地は何時何が起きるか人間の
力では予想も出来ません。
毎日一生懸命に充実した生活を送る事が
今の私達に与えられた務めでしょうね。
返信する
のびたさんへ (マリババ)
2016-06-18 16:06:57
北から南から日本は、地震が予知できないもんね。
のびたさんよかったですね。
一歩間違えれば、命が無いことあるもんね。
今からは、予知できないね。
返信する
くりまんじゅうさんへ (のびた)
2016-06-18 16:15:10

あの北海道豊浜トンネル事故 私も覚えています
バスに直撃 ほんの1秒差があれば助かったものです
私の場合は 常に護られているなと感じ 大切に生きたいと思っています
返信する

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