ビデオ流出「結構なこと」=中国漁船衝突事件で―石原都知事(時事通信) - goo ニュース
赤い官房長官、仙谷は中国寄りの思考だから、何も言えない。
菅は何をどうすればいいか、全然判断出来ない。愛国心のかけらもない、
このような事態に至っても、中国と互恵関係の重視なんぞとほざく、ボンクラ。
他の政権与党の連中も、労働組合、日教組の支援を受けれる左翼系の人々、
中国は同じ左翼政権だから仲良しとすら思っている輩、
領土問題を国際裁判するなり、何処かの国で、話し合いをすべき、
公式に公開質問すればいい。
赤い官房長官、仙谷は中国寄りの思考だから、何も言えない。
菅は何をどうすればいいか、全然判断出来ない。愛国心のかけらもない、
このような事態に至っても、中国と互恵関係の重視なんぞとほざく、ボンクラ。
他の政権与党の連中も、労働組合、日教組の支援を受けれる左翼系の人々、
中国は同じ左翼政権だから仲良しとすら思っている輩、
領土問題を国際裁判するなり、何処かの国で、話し合いをすべき、
公式に公開質問すればいい。
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『大清一統志』は清代に3度、編纂され、1842年に完成した第三次編は全560巻に及ぶ。
下條教授によると、台湾(府)に関する記述は335巻にあり、同書はその北東端について「北至鶏籠城(北、鶏籠城に至る)」と記載。同本に収録されている「台湾府図」にも「鶏籠城界(境)」と書かれていた。
同時代の台湾の地方誌『台湾府誌』にも同様の記述があるほか、台湾の付属島嶼の範囲が緯度、経度で掲載されている『淡水庁全図』(71年)でも、尖閣諸島は「その範囲外」になっていた。
これらの文献や地図には1905年に台湾に編入された台湾北部から約70キロ離れた3つの小島(棉花島など)すら、記載されていない。
下條教授は、「台湾からさらに遠く離れている尖閣諸島が現代まで一度たりとも『台湾の一部』だったことがないのは明らかだ」と指摘する。
日本政府は、1895(明治28)年、尖閣諸島に清の支配が及んでいないことを確認した上で、正式に領土に編入した。