東横『学芸大学駅』近くの産直パブ、地元に必要なお店として。明るく楽しく、天を敬い、人を愛する。楽しく飲みたい

美味しい産直料理 元気楽しいスタッフ、カラオケ&トークで盛り上がり、ストレス解消♪、常に新風!良心的なお店。

中国に遠慮ばかりしてたら取り返しがつかない事態になる。

2010年11月06日 00時45分33秒 | 好きなお店はしゃれねずみ
ビデオ流出「結構なこと」=中国漁船衝突事件で―石原都知事(時事通信) - goo ニュース

赤い官房長官、仙谷は中国寄りの思考だから、何も言えない。
菅は何をどうすればいいか、全然判断出来ない。愛国心のかけらもない、
このような事態に至っても、中国と互恵関係の重視なんぞとほざく、ボンクラ。
他の政権与党の連中も、労働組合、日教組の支援を受けれる左翼系の人々、
中国は同じ左翼政権だから仲良しとすら思っている輩、

領土問題を国際裁判するなり、何処かの国で、話し合いをすべき、
公式に公開質問すればいい。

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領土問題資料 (ねずみ)
2010-11-06 01:03:36
日本固有の領土である尖閣諸島に絡み、中国・清の乾隆帝(1711~99年)の勅命(ちょくめい)で編纂(へんさん)された地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』に、台湾(府)の北東端が「鶏籠城(現在の基隆市)」と記されていることが、拓殖大学の下條正男教授(日本史)の調べで分かった。中国は尖閣諸島を「昔から中国の領土で、台湾の付属島嶼(とうしょ)であった」として領有権を主張しているが、尖閣諸島は基隆市から、約300キロも離れており、清代から「台湾の一部でない」と認識されていたことを示す資料として注目される。(喜多由浩)

                   ◇

 『大清一統志』は清代に3度、編纂され、1842年に完成した第三次編は全560巻に及ぶ。

 下條教授によると、台湾(府)に関する記述は335巻にあり、同書はその北東端について「北至鶏籠城(北、鶏籠城に至る)」と記載。同本に収録されている「台湾府図」にも「鶏籠城界(境)」と書かれていた。

 同時代の台湾の地方誌『台湾府誌』にも同様の記述があるほか、台湾の付属島嶼の範囲が緯度、経度で掲載されている『淡水庁全図』(71年)でも、尖閣諸島は「その範囲外」になっていた。

 これらの文献や地図には1905年に台湾に編入された台湾北部から約70キロ離れた3つの小島(棉花島など)すら、記載されていない。

 下條教授は、「台湾からさらに遠く離れている尖閣諸島が現代まで一度たりとも『台湾の一部』だったことがないのは明らかだ」と指摘する。

 日本政府は、1895(明治28)年、尖閣諸島に清の支配が及んでいないことを確認した上で、正式に領土に編入した。
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