今日は赤飯

文化の日、以前は明治天皇誕生日だった、占領時、GHQが日本文化崩壊政策の一環として行った事が日本的な祝日の抹消だった。
明治天皇ゆかりの 乃木将軍夫妻を祀る乃木神社へ、

赤坂・六本木のすぐ近くなにも木々が茂り、森閑としてる感じかいい、

明治天皇に殉じ、夫婦して死を選んだその心境は如何なモノだったかを想うと、なんとも言えない。
その自刀の仕方がすざましい。
明治天皇大葬の夕に、まず妻の静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、再び衣服を整えたうえで、自ら頸動脈と気管を切断して絶命した。
西南戦争で連隊旗を奪われた悔い、また、203高地で甚大な被害を出してしまった悔い、それは即ち明治天皇へのお詫びと忠誠心で有ったのだろう。
後世の司馬遼太郎は乃木希典の事を無能の軍人とコキ下ろしているが、
一概にそうとも言えない。
確かに、何万人もの兵隊を死地に赴かせ、甚大な被害を出してしまった203高地攻略戦、自らの息子も確か?2人~3人、犠牲にしてしまった。
アレは~~とその事を書き出すと、もう長くなるから割愛。
確かに言える事は、乃木将軍は軍人として鑑だ、

無私の人、
その精神は吉田松陰と同質である。
それもその筈、乃木希典は幼き頃、長州で玉木文之進の教育を受けている。
玉木文之進は吉田松陰への教育法でも良く知られているが、
兎に角、武士たるもの、私心を捨て去る事が先ず一番、
畑仕事をしながら、松陰に本を読ませる。
松陰に頬に虫が来た、
それを松陰が払った、
ただそれだけで、文之進は激烈に怒り、松陰を叩き捲った。
文之進の言い分がまた凄い、
『蚊が頬に止まり、痒かった、それは私心だ、松陰は武士として、国の為に尽くす事が本分、蚊が止まった如きで、国の為の勉学を怠る事は許されない』
てな感じだったと記憶している、
その玉木文之進正韞と吉田松陰を祀る、神社も乃木神社境内に有る。
それを言いたかっただけ、

確かにこっそり、静かに、そこに有る。
二人の名前を取り、
正松神社と云う。

文化の日、以前は明治天皇誕生日だった、占領時、GHQが日本文化崩壊政策の一環として行った事が日本的な祝日の抹消だった。
明治天皇ゆかりの 乃木将軍夫妻を祀る乃木神社へ、

赤坂・六本木のすぐ近くなにも木々が茂り、森閑としてる感じかいい、

明治天皇に殉じ、夫婦して死を選んだその心境は如何なモノだったかを想うと、なんとも言えない。
その自刀の仕方がすざましい。
明治天皇大葬の夕に、まず妻の静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、再び衣服を整えたうえで、自ら頸動脈と気管を切断して絶命した。
西南戦争で連隊旗を奪われた悔い、また、203高地で甚大な被害を出してしまった悔い、それは即ち明治天皇へのお詫びと忠誠心で有ったのだろう。
後世の司馬遼太郎は乃木希典の事を無能の軍人とコキ下ろしているが、
一概にそうとも言えない。
確かに、何万人もの兵隊を死地に赴かせ、甚大な被害を出してしまった203高地攻略戦、自らの息子も確か?2人~3人、犠牲にしてしまった。
アレは~~とその事を書き出すと、もう長くなるから割愛。
確かに言える事は、乃木将軍は軍人として鑑だ、

無私の人、
その精神は吉田松陰と同質である。
それもその筈、乃木希典は幼き頃、長州で玉木文之進の教育を受けている。
玉木文之進は吉田松陰への教育法でも良く知られているが、
兎に角、武士たるもの、私心を捨て去る事が先ず一番、
畑仕事をしながら、松陰に本を読ませる。
松陰に頬に虫が来た、
それを松陰が払った、
ただそれだけで、文之進は激烈に怒り、松陰を叩き捲った。
文之進の言い分がまた凄い、
『蚊が頬に止まり、痒かった、それは私心だ、松陰は武士として、国の為に尽くす事が本分、蚊が止まった如きで、国の為の勉学を怠る事は許されない』
てな感じだったと記憶している、
その玉木文之進正韞と吉田松陰を祀る、神社も乃木神社境内に有る。
それを言いたかっただけ、

確かにこっそり、静かに、そこに有る。
二人の名前を取り、
正松神社と云う。