お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

90歳で空襲被害者の救済運動を続ける女性を描いた映画『人間の碑』

2006年08月13日 | 映画・DVD・ビデオ
~90歳、いまも歩く~
人間の碑(ひとのいしぶみ)

通行く人は、必ず振り返る。おしゃれなベレー帽に、レースのドレス、犬のアクセサリーがついたバッグをさげて、小柄な身体で力強く杖をついて歩く。
左目には、大きな眼帯。

ハイカラな人形のような杉山千佐子さん。
90歳(1915年9月生まれ)大好物は、鰻と穴子。歌が大好きで、熱心なクリスチャンだ。

六〇年前、日本は太平洋戦争でアメリカからの空襲を受け、焦土と化していた。そして、一九四五年三月二五日、名古屋空襲。

杉山さんは生き埋めとなり、左目を失い、全身傷だらけになった。運命の二九歳。それ以来、ずっと戦後を生きてきた。
杉山さんは、五〇代後半になった頃、民間人の空襲犠牲者の救済を求め、全国戦災傷害者連絡会を立ち上げた。以後、一貫して運動を続けている。全国各地を奔走し、空襲で手をなくし、足をなくし、ケロイドを負った仲間たちを叱咤激励する。

戦後六〇年を経て、仲間の数も減ってきた。
亡くなった人、寝たきりの人、歳をとり、もうあきらめた人…。

しかし、杉山さんは、歩き続ける。
「私たちに戦後はない!」
「私たちに老後はない!」
雨の日も風の日も、亡き友の千羽鶴を手に、歩き続ける。

大正、昭和と時代を生きてきた人間の記録。
九〇歳のハイカラな杉山千佐子さんの人生といま!
(クリエイティブ21の案内チラシより)

 「爆弾が落ちて、私は黒い瞳を奪われました。つぶれてしまった目は戻りません。残る右目も網膜剥離で視力が弱っています。
 私たちに戦後はないと叫び続けてきました。国は何と言ったか。内地は戦場ではない。お前たちは国と雇用関係がない。雨かあられのような自然現象と思ってあきらめろ。厚生省の局長がそう言いました。腹が立ちました。雨に濡れたらタオルで拭けば直りますが、焼夷弾に焼かれた皮膚、奪われた目、奪われた手、奪われた足は戻ってきません。
 五十八年間、みんな地をはうようにして生きてきました。だんだんと仲間は死に絶えました。訃報を聞くたびに苦しくなります。しかし、みんなの霊が私に乗っている。私はどんなことがあっても戦時災害援護法制定まで頑張らなくちゃならない。沖縄の言葉でチバリヨ!」
(1998年愛知県で開催された第6回全国総会での杉山千佐子さんの発言。杉山さんは現在国民連合・愛知の県世話人でもある)。


制作/クリエイティブ21
制作協力/全国戦災傷病者連絡会
脚本・監督/林雅行
ドキュメンタリー映画
2006/カラー/劇場用DVD/110分

上映問合せ
クリエイティブ21 電話03-3226-5290
http://www11.ocn.ne.jp/~cr21/


太平洋戦争が終わり、明後日、61年になる。未だに、世界各地で戦争が繰り返され、子供達や一般市民が犠牲になっている。人間は、こと「戦争」に関しては学ぶという事をしないのだろうか?僕は、今、ポーランドに行きたい。アウシュビッツ捕虜強制収容所の跡をこの目で見たいからだ。


アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ナチス・ドイツはヨーロッパ各地でホロコーストを実行した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とは最大の惨劇がおこなわれたアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウを指す。ここにヨーロッパ各地から130万人が運び入れられ、110万人が殺害され、そのうち100万人がユダヤ人であったと言う。ポーランドを占領したナチス・ドイツはオシフィエンチム市をアウシュヴィッツとドイツ語名に変え、付近に3つの強制収容所をつぎつぎと建設した。現在、第一と第二強制収容所が一部現存してポーランド国立オシフィエンチム博物館の名称の下にアウシュヴィッツ強制収容所の跡として保存・公開されている。第二次世界大戦による負の世界遺産として広島の原爆ドームと並び有名。

地元の人々は「アウシュヴィッツ」と呼ばれるのを好んでいない。なぜなら「アウシュビッツ」というのは、ナチス・ドイツがつけた名前だからである。

収容所の概要
アウシュヴィッツ第一収容所は1940年6月に既存のポーランド軍兵営の建物を再利用して開所した。最初の収容者はポーランド人の政治犯728人。増築、改築をして合計28棟の建物があった。収容者が多くなったため、1941年アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウがブジェジンカ村に増設。更に1942年アウシュヴィッツ第三収容所がモノヴィッツ村に増設。1942年から1944年の間にモノヴィッツ村周辺約40ヶ所に小さな労働収容所(囚人が働く工場・鉄工所・炭鉱付近に作られた)があった。ドイツの総合化学会社 イーゲー・ファルベン社が合成ゴムや合成石油の製造工場を設けていた。同社は戦後戦争犯罪で告発される(イーゲー・ファルベン社裁判)。アウシュビッツ第三収容所モノヴィッツはソ連軍により爆破破壊されたため、現存せずに農地や空き地になっている。

収容所の正門のアーチには「Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)」と表示されている。周囲は電流が流れる鉄条網で囲まれている。28カ国、約150万人が収容され、その9割は生きて帰れなかったと言われている。死因は様々だが、栄養失調や、不衛生であったため流行したチフスやカイセン病、銃殺、ガス室で殺害などである。不衛生の理由としては、囚人服を洗うことを許可されなかったこと、下水が完備されていなかったことが挙げられる。 ビルケナウ収容所では百数十万人が殺害されたとされているが、実際にはその人数は非ユダヤ人も含め13万人程度であったと、戦後ソ連が持ち出した資料によって記されている。


ARBEIT MACHT FREI と読める収容所正門のアーチ
収容所の存在・抵抗組織
当時のユダヤ人社会では、「ある夜、突然家から人が消えることがしばしばある」と語られていたが行く先はわからなかった。だが現在もオシフェンチム博物館内に展示されてあるギリシャ系ユダヤ人が極秘撮影したアウシュビッツ内部の写真フィルムがロンドンに亡命したポーランド人やユダヤ人の抵抗組織の人々の手に渡る。するとたちまち強制収容所の存在とその実情が明らかとなった。強制収容所周辺の一般住民は勿論SS隊員から口止めされていた。

だが、収容所内の抵抗組織は周辺ポーランド住民とひそかに連絡を取り、収容所に食料や薬品を送り込んでもらった。またSS隊員の名簿や収容者の名簿、SS犯罪の資料も外部へひそかに送られていた。抵抗地下活動では芸術活動も盛んであり、現在も収容所内で描かれた絵画が多数残っている。


収容所での暮らし

ビルケナウの引込線、左手後方に進入門の塔屋が見える(1994年)貨車に乗せられた人々は、それぞれオシフェンチムの貨車駅、1944年からはブジェンスカ(ビルケナウ)に作られた鉄道引込線に到着すると、SS将校とSS医師が働ける者と働けない者(妊婦・幼児・老人・病人)に選別した。働けないと認定された者はガス室へと送られた。

働けると認定された者は荷物を取り上げられ、髪を切られ、消毒され、正面・正面を向き視線を右上に上げたもの・横向きの写真を撮影された。1943年からはその代わりに左腕に囚人番号を刺青された。

切られた頭髪は物資不足だった当時のドイツで毛布や紳士服の布地にされたり、ベッドのスプリングの代用品として使用された。

与えられた生地の薄い囚人服には、三角形のワッペンが付けられた。ワッペンの色で収容理由が判別できるようになっていた。囚人服は何ヶ月かに一度しか着替えをもらうことが出来ず、防寒服もなかった。

囚人は早朝に起床し点呼を受けると約500ccのコーヒーと呼ばれるにごった水を与えられ、それぞれ点呼を受けて労働へ向かう。昼食は殆ど具のない腐った野菜で作られたスープが1リットル、労働の途中で水を飲むことは規則で禁じられていた。重労働から戻った後の夕食は300gほどの黒パン・3グラムのマーガリン・薬草の飲み物を与えられた。

食器は便器と共通の小さなアルミ容器を使用した。

住環境は劣悪であった。アウシュビッツ第一収容所はポーランド軍の兵営のため暖房設備は完備されていたものの、50人用の部屋を通常200人で一部屋を使用した、三段ベッドの1段を二人で使った。掛け布団は汚れて穴だらけの毛布だけだった。SSに協力した者には個室とまともな食事が与えられた。第二収容所ビルケナウは囚人が増えたため慌てて作られた収容所のため、常に約15,000人から20,000人がレンガか木造のバラックで暮らした。多いときは男女合わせて約100,000人が収容されていた。暖房は簡素なものがあったが、隙間風だらけであった。ビルケナウ収容所のバラックは湿地の上に基礎工事なしで作られた建物なので、ほとんどのバラックは床がなく、地面は土泥化していた。また、ビルケナウ収容所は上下水道が完備されていなかった(汚水は収容者が敷地内に溝を掘り、そこへ流された)。バラックは排水がままならない不衛生なトイレを真ん中にはさむ形で三段ベッドが並べられていた。木で作られた三段ベッドにはマットレスのかわりに腐ったわらを敷き常に約8人で寝ていた。


懲罰・人体実験・拷問・死刑
簡単な懲罰には鞭打ち・後ろ手に縛り体を杭に吊るす・特別監房ブロックへの移送・過重労働・懲罰点呼・懲罰班への入隊である。現在も鞭打ち台・移動絞首台・体を吊るした杭が博物館で展示されている。懲罰班に入ると食料を減らされ、労働も体力を酷使するものを課せられた。

地下にある監房には収容所付近の囚人を助けようとした一般市民、脱走して捕らえられた者の仲間の囚人、銃殺を待つ囚人、SSに規則違反とみなされた囚人が収容された。中でも立ち牢は90センチ×90センチの大きさのなかに四人が収容され、小さな空気穴がついているが殆ど役に立たず、窒息寸前のまま点呼で起こされ、そのまま重労働へ向かうという特記すべき過酷な拷問である。特に画家や作家など思想で生計を立てていたものがSSから好まれてこの牢に入れられた。

餓死室は中でも異質の死刑牢である。餓死を宣告された囚人は裸にされ、この地下の一室に入れられ、死ぬまで一滴の水も与えられることがない。後にヨハネ・パウロ2世により聖人の称号を与えられたマキシミリアノ・コルベ神父は他人の身代わりにこの餓死室に入っている。

ガス室死刑の他にも銃殺刑絞首刑があり、オシフェンチム地区に今でも残る死の壁という場所で執行された。

またSS医師は囚人を人体実験の材料として使っていた。カール・クラウベルグ教授とホルスト・シューマン博士は、スラブ民族撲滅研究のために男女の断種実験、ヨーゼフ・メンゲレ博士は双子や身体障害者を使った遺伝子学や人類学の研究をしていた。他にも新薬投与実験や有害物質を囚人の皮膚に塗布する実験が行われていた。実験で命を落とすものは数百人、生き残った人々にも障害が残った。


ガス室・焼却炉 そして解放

ビルケナウ収容所のバラック内部 三段ベッドの下は汚物を流す溝 右端は暖房
ビルケナウ収容所の焼却炉跡 2001年撮影
復元された焼却炉
チクロンBの缶ガス室は到着したばかりの働けないと認定された人々以外にも、SSの気分次第で軽い規則違反を行ったものも送られた。ガス室送りになる人々は脱衣所で全裸になり、SS先導のもとガス室へと入る、鍵がかけられると室内上の穴からチクロンBが散布された。

ガス室で殺された人々は遺体を焼く焼却炉へ運ばれる、これは囚人たちの仕事であった。焼却された遺体からは金歯が抜かれ、金は延べ棒にされドイツへ送られた。遺体の灰は肥料として利用されていたが、収容者が増加し、ガス室で殺害される人数が増えるとガス室から運び出された遺体は大きな穴へと投げ込まれ、埋められて処理された。遺体焼却の仕事にかかった囚人は充分な食料を与えられるなどの待遇を受けたが、3-4ヶ月で口封じのためにSSは殺害していた。

ソ連軍が近づいていることを知ったSS隊員たちは、強制収容所の痕跡と存在を消すためにガス室・遺体焼却炉・バラックを爆破。囚人たちは他の強制収容所へ移送されるかガス室で多くが殺された。アウシュビッツ第一収容所では一日約350人が処刑、3つの焼却炉で焼かれた。焼却炉はドイツのエルフルト市にあるトップ・ウンド・ジーネ社が製造。SSにより破壊された焼却炉塔は、残された当時の焼却炉の蓋からすべて復元され、現在展示されている。

初代所長ルドルフ・ヘス(日本語表記では区別できないがナチ党の副総統とは別人)は、戦後ニュルンベルク裁判で死刑判決を受けた後、この焼却炉の建物の前で1947年に絞首刑に処された。

約175ヘクタールの広さにすし詰めにされた第二収容所ビルケナウの囚人たちは2塔の焼却炉・ガス室で毎日惨殺が繰り返された。現在も爆破された跡だがガス室・焼却炉の跡がはっきりとわかる。第二・第三焼却炉の間には元アウシュビッツ収容所のナチス政権下犠牲者国際記念碑がある。記念碑は1967年に除幕された。

1945年1月27日、ソビエト軍がついにアウシュビッツを解放する。残っていた数千人のユダヤ人は帰宅を許可され、SS隊員は追跡・逮捕される。アウシュビッツに関わったSS隊員のうち裁判にかけられ生き残ったのはわずか一割である。

収容所には囚人の髪の毛・没収された荷物・ガス室で使われた毒薬チクロンBの空き缶が残された。それらは現在オシフェンチム博物館展示室(アウシュビッツ第一収容所)に展示されている。

http://www1.linkclub.or.jp/~ttakeshi/porhtml/pora01.html

http://homepage2.nifty.com/skynewton/europe/oswiecim.html

http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/auschwitz/toppage.htm



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「改札口発電」。

2006年08月13日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
 乗客が改札口を通るだけで発電する-。JR東日本(東京都渋谷区)は本社玄関で「改札口発電」の実証試験を進めている。環境に優しい「エコステーション」研究の一環。来訪者が床に埋め込んだ素子を踏むたびに発電される仕組みで、将来は駅の電力の一部を床発電でまかなえる可能性があるという。

 同社研究開発センターによると、圧力や振動によって発電する圧電素子モジュールを駅改札口の床に埋め込み、高効率蓄電システムと組み合わせれば、利用者が素子を踏むエネルギーで電気が発生。利用者が多い駅なら比較的大きな電力を蓄積可能で、駅で補助的に使うクリーンな電力を供給できる。

 実験では、本社への来訪者が四階受付の改札ゲートを通過するたびに、左側のランプが点灯して発電量を知らせる。強く踏むと発電量も大きくなるという。
(東京新聞の記事より)


「地球温暖化」を少しでも遅らせる為にいいかも。全国のすべての自動改札に設置できたら、かなりの「発電量」になるのではないだろうか。その電気で電車を走らせる。素晴らしい試みである。
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「テレビ」と「インターネット」の融合???

2006年08月13日 | インターネット
http://dotv.jp/
を見て下さい。使い方によっては便利かも・・・
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「日航機墜落事故」から21年目の夏。

2006年08月13日 | 本・雑誌・漫画
由美子へ

扶桑社

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内容(「BOOK」データベースより)
御巣鷹の日航ジャンボ機墜落事故。520名の遺体の中に、一人の元タカラジェンヌの姿があった。無傷で逝った24歳の娘を抱きしめた母の慟哭から21年、今年も御巣鷹の夏がやってきた。長い間の沈黙を破り、決して風化しない娘への想いが心をうつ。宝塚歌劇団同期生、黒木瞳さんによるメッセージ収録。
(Amazon.の解説より)

僕もマスコミの片隅にいながら、感じているのは、去年、「日航ジャンボ機墜落事故」から20年という事で、新聞・テレビでもいろんな特集が組まれ、報道の量はもの凄かったが、21年となる今年、手のひらを反したように、報道される量は少ない。マスコミは「節目」という事に陥りがちだが、遺族には節目は無い。そんな事を僕は考えた。今年は終戦61年でもある。昨年の「終戦報道」「終戦ドラマ」等に比べて、その量は正直少ないと思う。報道されればいいというものではないけれど、戦争・事件・事故が日本人の中で風化していく事を極力少なくしていきたいと思う。

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村上豊・・・小説の挿絵で有名な画家です。

2006年08月13日 | 本・雑誌・漫画
墨夢―村上豊画集

講談社

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出版社/著者からの内容紹介
勁くて優しい線と大胆で細やかな色づかい。心のふるさとを童心の大人(たいじん)が描く。
肉筆署名・落款入り
五年前の画集『四季』は、四十年余の画業を、移り変わる季節の彩りと美しさをテーマにまとめました。今回も基本的な考えかたに変わりはありませんが、さらに、この五年間の新作を中心に、詩文や物語をモチーフにした作品、絵本やさしえ作品、テレビ・ドラマの背景画など、より広いジャンルと新しい試みを加え、前画集以上に楽しく、ヴァラエティに富んだ編成を心がけました。<あとがきより>
(Amazon.の解説より)

村上さんの挿絵で、吉川英治の小説を読み耽っていた。何とも言えない優しさ溢れる「画」である。
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沖縄の離島に行きたいモード、僕、全開!!!!!

2006年08月13日 | 本・雑誌・漫画
もっと好きになっちゃった沖縄の離島―癒しの国の体あたり紀行

双葉社

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内容(「BOOK」データベースより)
流れる「島風」八重山、「不思議?」宮古諸島、離島度が濃い本島周辺。沖縄であって沖縄でない文化のチャンプルーに目が回る体験記。
(Amazon.の解説より)

沖縄に3回行ったが、本当の「離島(?)」があるなら、行ってみたい。島に民宿が一軒とか。テントを張って寝るとか・・・今、石垣島方面へ若者達がたくさんなだれ込んでいるみたい。「生き物としての人間」が「都会生活」を知らないうちに拒否しようとしているのかもしれない。

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「色」で考える「食べ物」のパワー。

2006年08月13日 | 料理・飲み物・食べ物
パワーフード―色の不思議な力を食べこなすレシピ

グラフ社

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内容(「MARC」データベースより)
食べものの色が持つエネルギーを意識しながら体内に取り込んで、そのパワーを感じてみよう! イギリスを発祥の地とする「オーラソーマ」の考え方を参考に、色の効果を最大限に活用できるレシピをカラー別に紹介。
(Amazon.の解説より)

「色」と「食べ物」を結び付けるという発想が素晴らしい。というか不思議でもある。
http://www.aura-soma.co.jp/
http://www.t-colors.com/
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主婦二人の歌手ユニット「コクーン」が人気。

2006年08月13日 | 歌・CD
PTA歌手ユニット「コクーン」が人気

 東京在住の主婦2人による歌手ユニット「コクーン」が人気だ。子育ての悩みや友人との触れ合いなど、暮らしの中での出来事を題材にした楽曲が特徴で、主婦や中・高校生らの共感を呼んでいる。

 夫の設計事務所を手伝っている水月悠里加(みづきゆりか)さん(51)はボーカルを、バンド経験がある本田裕子さん(46)がキーボードも担当している。2人は、互いの子どもが小学生だった約10年前、PTA活動などを通じて知り合った“主婦仲間”だ。

 コクーン誕生のきっかけは1999年、本田さんが生後数か月で長男を亡くしたことを知った水月さんが、自作の曲「待っていてね」を贈ったことだった。子どものころ合唱団に入っていたという歌好きの水月さんの頭に、詩とメロディーが浮かんできた。

 「あなたと一緒に過ごした時間は 今でも忘れない 抱きしめたい 抱きしめたい 待っていてね その時まで いつかきっと そばに行くから」

 結婚前に、著名な歌手のバックバンドとしても活躍していた本田さんは、水月さんの曲を聴いて「音楽は力がある」と改めて思った。その後、2人は音楽の話をしたり、曲を作ったりするようになり、ユニットを結成。どこの家庭にもありそうな出来事をテーマにした歌が多い。

 いじめに遭っている子どもには「生まれてくれて ありがとう 生きててくれて ありがとう あなたがいるだけで 私はうれしい」と語りかける。

 本田さんの祖母が倒れたときには「おやすみなさい 可愛(かわい)いあなた 星空 流れ星 一緒に見つけたね」と、祖母との思い出をつづった「おばあちゃんの子守歌」を作った。

 ゆったりとしたメロディーに、時に語りを交えながら歌い上げる。2000年の初コンサートから2人の存在が口コミで広がり、全国から出演依頼が舞い込むように。これまで小中学校のPTA行事や老人ホームの慰問なども含め約200回のライブを開き、CDアルバムも発売した。

 ファンからは「母としての体験を通した歌なので心のひだに触れる」「子どもに不満や小言を言っている自分に反省」などの声が寄せられる。

 本田さんは「最近は、家庭内や親子間で、信じられないような事件が起きている。私たちの歌が、悩みを抱えている人たちの力になればうれしい」と話す。

 9月9日には、東京都新宿区のギャラリー「and ZONE」で、家族のきずなをテーマにしたコンサートを開く。問い合わせは、コクーン・チケット係(03・3326・6600)へ。

(2006年8月10日 読売新聞より)
http://cocoon-yy.seesaa.net/article/16684043.html

「歌」は人間関係を「優しく」する。「ありがとう」という言葉もとっても大切。
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2006年08月13日 | 携帯電話・電話
KDDI、番号ポータビリティで解約料2000円徴収

 [東京 9日 ロイター] KDDI<9433.T>は9日、10月24日に始まる携帯電話の番号ポータビリティ制度を利用して同社から競合他社に乗り換える場合、手数料2000円が発生すると発表した。NTTドコモ<9437.T>とボーダフォンは、今のところ手数料に関して方針を示していない。


要するに、「au」から他の「NTTドコモ」「ソフトバンク」に変えたい方は、「解約料」を頂きます、という事。番号ポータビリティ制度が無い今までは、設けていなかった「解約料」を派生させるという会社の方針に、僕は「嫌なもの」を感じます。何故、今まで「無料」でできた事が2000円かかるのか、その理由が明確でないから。
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「井本整体」・・・「簡単体操」と「蒸しタオル法」で健康に!

2006年08月13日 | 健康・スポーツ
自分でできるかんたん整体法

PHP研究所

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出版社/著者からの内容紹介
いま、整体ブーム。整体法とは、体と心の状態を調整し、病気が自然に治ってゆくように導く治療法だ。自然治癒力を高めて体を根本から整えてゆくので、治りにくいとされている病気や症状でも、ゆっくりと、しかし着実に改善してゆく。西洋医学では解決しにくい、体質的な病気の改善に有効なのである。
本書は、医学博士であり、井本整体の主宰者である井本邦昭氏が、一般の人が一人で簡単にできる整体法について、イラストでわかりやすく解説した一冊。
著者の提唱する「簡単体操」と「蒸しタオル法」を行うことにより、「腰痛」「坐骨神経痛」「頭痛」「ひざの痛み」などの体の痛みや、「肩こり」「だるさ」「めまい」「不眠」「便秘」などの不快な症状、また、「高血圧」「糖尿病」「ぜんそく・アトピー」などの慢性病を改善させることができる。
わざわざ治療院へ行かなくても、家庭で気軽にできるものばかりを紹介した、一家に一冊ぜひ備えておきたい本だ。
(Amazon.の解説より)

専門医が治す!体の「ゆがみ」を治して健康になる!

高橋書店

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内容(「MARC」データベースより)
健康の大きなキーワードである体の「ゆがみ」。井本流「蒸しタオル療法(温熱療法)」によって滞った体液の流れを正常にし、体がゆがむ原因の硬直した筋肉を暖める。タオル1枚でできる手軽な健康法。
(Amazon.の解説より)

ドラマ時代、女優さんのマネージャーとして知り合った女性が、マネージャーを辞めて、「整体師」をやっている。ものぐさな僕にくれた2冊の本。彼女はこの「体操」をたくさんの人に知って貰おうとしている。一ヶ月公演の舞台に出ている主演女優さんの整体もやっていて、少し、人の体を見ただけで、その人の心身の調子が分かるという。彼女の師匠の井本先生は「捻挫で松葉杖を突いて来院した患者」を治療し、帰る時、その患者は自分の足で歩いて帰ったという。人間の体の神秘を見る様な話。



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「ライムライト」を久しぶりに観た。最高。

2006年08月13日 | 映画・DVD・ビデオ
ライムライト コレクターズ・エディション

ジェネオン エンタテインメント

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
チャールズ・チャップリンが老コメディアンの愛と献身を描いた感動作の画質・音質を一新。1910年代のロンドン。脚の故障に絶望して自殺を図った若いバレリーナを、同じアパートに住む老コメディアンが助け、彼女を舞台に復帰させようと励ましていく。
(Amazon.の解説より)

若い頃、否定的だった「チャップリンの笑い」を「ライムライト」を久しぶりに観て、考えを相当改めた。台詞がいい。音楽がいい。カメラアングルが自然。監督・脚本・音楽・振り付け・主演・・・恐るべし才能である。バスター・キートンが唯一、声を出す映画ではないだろうか、少なくとも日本で公開された映画では。今回、いちばん驚いたのは、チーフ助監督が「ロバート・アルドリッチ」とクレジットされていた事。僕の大好きな監督である。いずれにしても、あっという間の2時間10分の「夢の時間」を堪能させて頂いた。1952年の作品。チャップリンは1889年生まれだから、この時、63歳。何も言う事はない。

[ロバート・アルドリッチ監督に関して]
監督作品リスト

1953 Big Leaguer     (日本未公開)
1954 World for Ransom (日本未公開) 
Apache                アパッチ     
Vera Cruz               ヴェラクルス
1955  Kiss Me Deadly            キッスで殺せ  
The Big Knife  悪徳(劇場未公開)
1956   Autumn Leaves            (日本未公開)
  Attack! 攻撃     
1959  The Angry Hills        怒りの丘
10 Seconds to Hell (日本未公開)   
Garment Jungle (日本未公開)   
1961   The Last Sunset ガンファイター
1962   What Ever Happened to Baby Jane?  何がジェーンに起こったか?
    Sodom and Gomorrah ソドムとゴモラ
1963  4 for Texas テキサスの4人
1964  Hush... Hush, Sweet Charlotte ふるえて眠れ
1966  The Flight of the Phoenix 飛べ!フェニックス
1967   The Dirty Dozen 特攻大作戦
1968  The Killing of Sister George 甘い抱擁
The Legend of Lylah Clare 女の香り
1969 Too Late the Hero 燃える戦場
1971  The Grissom Gang           傷だらけの挽歌
1972  Ulzana's Raid ワイルド・アパッチ
1973  Emperor of the north 北国の帝王
1974  The Longest Yard ロンゲスト・ヤード
1975  Hustle ハッスル     
1977  Twilight's Last Gleaming 合衆国最後の日  
The Choirboys クワイヤ・ボーイズ
1979  The Frisco Kid フリスコ・キッド
1981  All the Marbles カリフォルニア・ドールズ
           
                
  助監督作品リスト  Filmography as Assistant Director

1942 Joan of Paris
1942 Falcon Takes Over, The
1943 Lady Takes a Chance, A
別題 Cowboy and the Girl, The
1943 Bombardier (second assistant director)
1943 Behind the Rising Sun (second assistant director)
1943 Gangway for Tomorrow (second assistant director)
1943 Rookies in Burma (second assistant director)
1944 Adventures of a Rookie (second assistant director)
1945 Story of G.I. Joe, The
..別題 War Correspondent
1945 Southerner, The
1946 Strange Love of Martha Ivers, The (uncredited)
1946 Pardon My Past
1947 Body and Soul
別題 Affair of the Heart, An
1947 Private Affairs of Bel Ami, The
1948 Force of Evil
1948 Arch of Triumph
1948 So This Is New York
1949  Caught
1949 Kiss for Corliss, A
    ..別題 Almost a Bride
1949 Red Light
1949 Red Pony, The
1950 White Tower, The
1951 M
1951 New Mexico
1951 Of Men and Music
1951 Prowler, The
1952  Abbott and Costello Meet Captain Kidd
1952 Limelight


  プロデユーサー作品リスト  Producer filmography

1975  Hustle    ハッスル
1971  Grissom Gang, The 傷だらけの挽歌
1970 Too Late the Hero    燃える戦場
別題 Suicide Run (USA: TV title)
1969  Whatever Happened to Aunt Alice? 何がアリスに怒ったか?
1968  Killing of Sister George, The    女の香り
1968 Legend of Lylah Clare, The     甘い抱擁
1965 Flight of the Phoenix, The    飛べ!フェニックス
1964  Hush... Hush, Sweet Charlotte ふるえて眠れ
別題 Cross of Iron
  別題 What Ever Happened to Cousin Charlotte?
1963 4 for Texas    テキサスの4人
別題 Four for Texas
1962 What Ever Happened to Baby Jane?  何がジェーンに起こったか?
1956 Attack   攻撃
1955 Big Knife, The    悪徳
1955 Kiss Me Deadly    キッスで殺せ
1954   World for Ransom
1952 First Time, The (associate)
1951 Ten Tall Men (associate)

脚本作品リスト  Writer filmography

1970 Too Late the Hero (also story)  燃える戦場
1963 4 for Texas   テキサスの4人
1959 Ten Seconds to Hell    地獄へ10秒

何がジェーンに起ったか?

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『ロンゲスト・ヤード』などで知られる、男性派アクション映画の名手ロバート・アルドリッチ監督による、サイコ・サスペンスの古典的名作。
(Amazon.の解説より)

この映画は「ベティー・ディビス」の凄い演技が見もの。傑作!!!!!

「DVD化」されていないが、「北国の帝王」は僕の観た「アルドリッチ映画」のベスト1。観られる機会があったら、必見の一本である。
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神戸空港から帰京しました。

2006年08月13日 | エッセイ・日記・意見
空港へ行く「ポートライナー」の駅の片隅にあった「像(?)」。帰りの飛行機はガラガラ。機中でトイレに入っていると、「気流の悪いところ」に入り、「シートベルト」のサイン。お腹が痛くて、そのまま、用を足していると、二回、CAがトイレのドアを叩く。自然現象なんやから、しゃーないやろ、と心の中で毒づきつつ、用を済まし、席に戻る。東京は気温24℃。大阪に比べれば、「涼しい」くらい。今日は家から出ずに、心身共に休養日。
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神戸・中華街その5.

2006年08月13日 | エッセイ・日記・意見
中華街の中心にある広場は、「立ち食い」の人達でいっぱい。その中で、冷静に鎮座していた石像。パンダかな?
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神戸・中華街その4.「老祥記」の豚饅頭・・・とても有名。

2006年08月13日 | 料理・飲み物・食べ物
この店もいつも行列ができている。小さめの「豚マン」が人気。http://www.roushouki.com/
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神戸・中華街その3.

2006年08月13日 | エッセイ・日記・意見
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