おふくろの味というものがある。独身時代、一人で海外旅行に行って、思っていたのは、帰国したら、「おふくろの作ったカレーが食べたい」という事だった。
それぞれの「家」にそれぞれの味がある。僕の実家は、父が脂っこいものが好きだった為、洋食系が多かった。量も多く、育ち盛りの時期には、ご飯を3~4膳おかわりしていた。
そして、結婚する。妻の実家は「和食系」。脂っこいものはあまり出ない。しかも、子供達が3人ともアトピーで「卵」と「乳製品」が食べられないので、余計に和食か鍋、寿司が食卓に並ぶ。
もしかしたら、このブログに書いたのかもしれないが、今回の大阪出張で、おふくろは夕食に「牛乳コロッケ」を作って待っていてくれた。「牛乳コロッケ」、うちの実家だけの呼び名かもしれない。普通のコロッケより「俵型」で、中身は多分、ミンチ肉と牛乳を混ぜたもの。それをカラッと揚げる。僕の大好物である。メタボリック症候群に向かいながらも、美味しかったので3つも食べてしまった。「牛乳コロッケ」を食べたのは20年ぶり(?)になる。嬉しかった。
おふくろは新婚時代、朝食に、当時まだ珍しかったレタスのサラダを親父に出し、親父に「朝から鶏の食う様な葉っぱが食べれるか!」と言われたそうである。僕の記憶に間違いが無ければ。
うちの実家の夕食は速かった。「いただきます」から「ご馳走さま」まで、10分位。親父が「いらち」だったのである。
一度、おふくろに、「もっと噛んでゆっくり食べなさい」と言われた事があるが、20分程して僕がまだ食べていると、「はよ食べないと片付けられへん」とまことに矛盾する御言葉。
元々、僕も小学校の時から、給食を食べるのは一番か二番。就職して、テレビ番組のADをしていた時は、5分でチャーハンとラーメンを食べていた。しかも、深夜に番組が終わり、番組用に用意された弁当を2個。それから、会社近くのラーメン屋に行って、先輩達とビールを飲みながら、チャーシューや燃やし炒めを食べながら、ラーメンで締めるという生活を送っていた。20代だから出来た事である。今、アニメのプロデューサーになっている同期と2年余り、この生活をして過ごした。
食べ物の話で言うと、大学時代はバスケットボールと麻雀ばかりやっており、雀荘で食べる「インスタントラーメン」が美味かった。特に、自分が聴牌(テンパイ)している時、リーチをかけている時のラーメンの美味しい事。
バスケットの練習終わりには、決まっていく居酒屋があり、「徳川家光」という二級酒を置いていた。必ず二日酔いする。店のマスターは「カープファン」で「カープ」が優勝したら、ただで飲ませてくれると豪語していたが、優勝する事は無かった。
その店の隣に「天鳳(テンホウ)」という名前の中華料理屋があり、安くて量が多いので、下宿生など、よく通っていた。「天津飯(大)」を頼むと、洗面器に山盛りの「天津飯」が出てきて、炭鉱で石炭を掘る様に、食べても食べても、味は当たり前だが「天津飯」。ゴキブリの子供がカウンターをウロウロしていたが、そんな事より「食い気」が勝っていた。
居酒屋も「天鳳」も今は無い。「ドレミ」という喫茶店もあったのだが、どうなっている事だろう。










それぞれの「家」にそれぞれの味がある。僕の実家は、父が脂っこいものが好きだった為、洋食系が多かった。量も多く、育ち盛りの時期には、ご飯を3~4膳おかわりしていた。
そして、結婚する。妻の実家は「和食系」。脂っこいものはあまり出ない。しかも、子供達が3人ともアトピーで「卵」と「乳製品」が食べられないので、余計に和食か鍋、寿司が食卓に並ぶ。
もしかしたら、このブログに書いたのかもしれないが、今回の大阪出張で、おふくろは夕食に「牛乳コロッケ」を作って待っていてくれた。「牛乳コロッケ」、うちの実家だけの呼び名かもしれない。普通のコロッケより「俵型」で、中身は多分、ミンチ肉と牛乳を混ぜたもの。それをカラッと揚げる。僕の大好物である。メタボリック症候群に向かいながらも、美味しかったので3つも食べてしまった。「牛乳コロッケ」を食べたのは20年ぶり(?)になる。嬉しかった。
おふくろは新婚時代、朝食に、当時まだ珍しかったレタスのサラダを親父に出し、親父に「朝から鶏の食う様な葉っぱが食べれるか!」と言われたそうである。僕の記憶に間違いが無ければ。
うちの実家の夕食は速かった。「いただきます」から「ご馳走さま」まで、10分位。親父が「いらち」だったのである。
一度、おふくろに、「もっと噛んでゆっくり食べなさい」と言われた事があるが、20分程して僕がまだ食べていると、「はよ食べないと片付けられへん」とまことに矛盾する御言葉。
元々、僕も小学校の時から、給食を食べるのは一番か二番。就職して、テレビ番組のADをしていた時は、5分でチャーハンとラーメンを食べていた。しかも、深夜に番組が終わり、番組用に用意された弁当を2個。それから、会社近くのラーメン屋に行って、先輩達とビールを飲みながら、チャーシューや燃やし炒めを食べながら、ラーメンで締めるという生活を送っていた。20代だから出来た事である。今、アニメのプロデューサーになっている同期と2年余り、この生活をして過ごした。
食べ物の話で言うと、大学時代はバスケットボールと麻雀ばかりやっており、雀荘で食べる「インスタントラーメン」が美味かった。特に、自分が聴牌(テンパイ)している時、リーチをかけている時のラーメンの美味しい事。
バスケットの練習終わりには、決まっていく居酒屋があり、「徳川家光」という二級酒を置いていた。必ず二日酔いする。店のマスターは「カープファン」で「カープ」が優勝したら、ただで飲ませてくれると豪語していたが、優勝する事は無かった。
その店の隣に「天鳳(テンホウ)」という名前の中華料理屋があり、安くて量が多いので、下宿生など、よく通っていた。「天津飯(大)」を頼むと、洗面器に山盛りの「天津飯」が出てきて、炭鉱で石炭を掘る様に、食べても食べても、味は当たり前だが「天津飯」。ゴキブリの子供がカウンターをウロウロしていたが、そんな事より「食い気」が勝っていた。
居酒屋も「天鳳」も今は無い。「ドレミ」という喫茶店もあったのだが、どうなっている事だろう。










