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青山商事、店長と課長を管理職から外す・過去2年の残業代支給

2008年04月09日 | エッセイ・日記・意見
 紳士服専門店最大手の青山商事は8日、店長と本社に勤務する課長の全936人を、会社側が残業代を支払わなくてすむ「管理監督者」から外すと発表した。21日からこれまで払っていなかった残業代を支給し、過去2年分の時間外勤務手当も払う。同業のコナカが「名ばかり店長」の問題から労働基準監督署からの是正措置を受けており、労働実態にあった待遇に変える。

 現状の勤務実態を検討した結果、十分な裁量権を持つ管理監督者にあたらないと判断した。今年3月には同社の店長1人が、個人で加入できる外部の労働組合を通じて、管理監督者から外すよう会社側に要求していた。過去2年にさかのぼって払う時間外勤務手当などは約12億円。

 青山商事はこれまで店長以上と本社の課長以上を管理監督者としていた。今後は店舗関係は「ブロック長」以上、本社は「部長代理」以上を管理監督者とする。今回の措置で青山商事の社員に占める管理監督者の比率は現在の24%から3%まで低下する。
(日本経済新聞より引用)


うちの会社も人件費削減で、「名ばかり管理職」が多い。もちろん「管理職」と名が付けば、「残業代」は一切付かない。しかも「成果主義」が導入されているので、すべての管理職とは言わないが、社長を始めとする「経営陣」のYESMANだらけになっていて、精神的にも年々、仕事がし難い会社になって来ているのを実感。クリエイティブの仕事が大事な「テレビ局」にとって、致命的な事になるのではと僕は心配している。ほんまの話。
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「くいだおれ」閉店、消える「ナニワの顔」 惜しむ声

2008年04月09日 | 料理・飲み物・食べ物
 戦後の大阪・道頓堀と歩みをともにしてきた「ナニワの顔」が消える。7月に閉店することが明らかになった飲食店「くいだおれ」。若者の街に変わりゆく道頓堀で創業者の教えを守り、大阪の味やユーモアにこだわり続けてきた。時代の波に押されて姿を消すことに、道頓堀の活性化をめざす地元や観光客らに惜しむ声が広がった。


   ◇

 戦後間もない1949年に焼け野原の道頓堀で開店して以来、「くいだおれ」は大阪の街や人々を優しく見つめてきた。開店翌年、「これからは子どもが大事なお客様」と、軒先に「くいだおれ太郎」を登場させ、店頭に設置した米国製のテレビは黒山の人だかりになった。

 59年、当時はまだ少なかった鉄筋コンクリートの自社ビルを現在地に建設。70年の大阪万博では会場への出店のほか、「オランダ館」での飲食提供も請け負った。86年のチェルノブイリ原発事故後は、ワカメやとろろ昆布、ヨード卵をのせた「放射能除(よ)けうどん」を売り出して大ヒット。放射性物質を防ぐヨウ素剤が注目されていたことにヒントを得たという。

 「看板息子」の太郎は、さまざまな社会の事象を映し出してきた。89年の昭和天皇崩御では、紅白衣装から白黒の喪服姿に。94年の関西空港の開港時には一番機でオーストラリアへ飛び、95年には大リーグに挑戦した野茂英雄投手の応援で米ロサンゼルスへ向かった。阪神タイガース優勝や02年のサッカー・ワールドカップ、昨夏の世界陸上大阪大会ではユニホームなどに衣替えした。

 道頓堀かいわいは江戸時代以降、文楽などの芸能が栄え、料亭がひしめき合う「大坂商人」の社交場だった。だが、80年代以降、芝居小屋の廃止が相次ぎ、風俗店やパチンコ店が進出。細い路地に料亭が並んでいた近くの法善寺横丁は火災で姿を変え、老舗(しにせ)の高級料亭の閉鎖も相次いだ。

 それでも、くいだおれは店舗ビルのフロアごとに割烹、居酒屋、洋食と多彩な料理を客に提供。昨夏には、ビル裏手に西洋料理店「ウラくいだおれ」をオープンさせ、趣向を凝らした経営を続けた。

 少年時代によく訪れたという作家の藤本義一さん(75)は「ファミリーレストランのように気軽に入れる店が好まれる時代。店に頑張れ、とはとても言えない。惜しいけど仕方がない」と残念がった。「大阪学」などの著書がある大谷晃一・帝塚山学院大名誉教授も「昔ながらの家族的な店がその変化についていけなくなったということなのかもしれない」と分析する。

 夙川学院短期大学の河内厚郎教授は「大衆的な店でありつつ、料理もしっかりしたものを出していた。寂しいが、街が変われば店も変わらざるを得ない」と話した。

   ◇

 「道頓堀商店会長」のうどん店経営、今井徹さん(48)は「道頓堀のシンボルがなくなってしまうのは残念」と声を落とす。「この街は大阪の人が遊びに来る場所から、全国、海外のお客さんが集まる観光スポットに変わった。これまで街の活性化のため、先頭に立ってくれた『くいだおれ』の思いを継ぎたい」

 同時期に開店したとんかつ店「大幸」の店主、井垣忠幸さん(67)は「道頓堀の代名詞やった」。1893(明治26)年にくいだおれ近くの法善寺横丁に創業した和食店「正弁丹吾亭」のオーナー後藤照幸さん(56)も「また一つ、古い名店が消えると思うと、寂しい限りです」。

 「くいだおれ人形こそ、大阪というイメージ。人形だけでも何とか残せないのでしょうか」と話すのは、福岡市から観光に来た前田美歩さん(24)。友人と一緒に「くいだおれ太郎」の前で記念撮影をしたばかりだった。

 道頓堀に食事に訪れた京都市の呉服店経営の男性(66)は「人形が太鼓をたたいている姿を見ると、『ああ大阪に出てきたなあ』と思った」と振り返る。「ここらも若者や外国の人がすごく増え、落ち着いて食事を楽しむ風情がなくなりつつある。閉店も時代の流れかもしれません」

 平松邦夫・大阪市長は「長い間、道頓堀の広告塔としてがんばってくれた。ご苦労様と言いたい。一市民としては人形はどこかに残すべきだと思う」と語った。大阪府の橋下徹知事も「非常に残念。もう少し街の魅力を行政がつくっていかなきゃだめですね」と話した。

    ◇

 くいだおれでは、7月の閉店まで「さよならくいだおれフェア」と銘打ち、くいだおれ太郎の写真展や各地の食材を使った料理などを提供するという。
(朝日新聞より引用)


ほんまに残念。大阪で番組を作っていた時、「くいだおれ人形」を問題にした事がある。あの人形、「予備」が何体かあるのだ。寂しい気持ちでいっぱい。
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