今日の昼ご飯だった。上司と美味しいと評判のカレー店に行って、注文をした。その直後、一人のおじさんが
「もう、俺はこの店を出る!!!!!!」と叫んで、座っていた席を後にした。余程待たされたか、注文が通っていなかったからだろう。僕もよく「切れる」方なので、そのおじさんの気持ちは分かる。しかしながら、仕事の途中の唯一の休憩である昼食時に、他のお客の事も考えないで、わめき散らし、店を出て行ったのはどうだろう。子供なら許せる。店全体が凍りついた。店員は、その後、何も無かったかの様に振る舞っていたが。
これから、食べる僕と上司は不安になる。そんなに、カレーが出て来るのが遅いのだろうかと。僕も店を出て行ったおじさんの様に、切れるまで待たされるのかと。
それは無かった。あっさり、カレーは出てきた。至極美味しかった。多分、おじさんの注文が通って無かったのだろう。だったら、切れる前に、注文が通っているか、確認しても良かったのではないか・・・。結局、あのおじさんは、「嫌な思い」を自らし、店のみんなにもさせ、昼食はどうしたのだろう。
ラテン系の国ではありえない。みんなどんなに待たされても、料理が出るまで待っている。仕事にも余裕があるし、気持ちにも余裕がある。昼ごはんに2時間かかろうと、平気である。食べ物を食べる権利が人間誰しもあると思う。日本人は、仕事優先にしがちだが、僕は昼からワインを飲んでいるラテン系の国々の人達の方が幸せに見える。
そんな気持ちになれれば、店を飛び出したおじさんも怒らなかっただろう。仕事をちゃんとして、飯は二の次という精神がどこか、日本のサラリーマン社会にはあると思う。それは違う。ちゃんとした食事をして、心を癒し、元気を付け。午後の仕事に立ち向かう方がよっぽど、効率的だと思うのだが。
「食」というのは大切だ。テレビ局の、特に現場で働いている人はその「食」さえ、奪われる。それでいいのだろうか。ハリウッド映画で、クレジットに「ケーターリングの会社」の名前までクレジットされているのは、ものを作る為に、人間本来の欲望である「食欲」を犠牲にまでして、作って良いものかという問いかけを僕は感じる。もちろん、日本のドラマや映画のマーケットと、ハリウッド映画のマーケットでは桁が違うだろうが。
ドラマの現場にいて思ったのは、キャスト・スタッフに少しでも「美味しい食事」を提供する事。それが画面に出てしまう。その怖さを知っているからだ。
ドラマ『ダンドリ』の最終回を見た。あれは何じゃ!!!最後のチァリーディングをするシーンはUPだろうが。ずーっと、広い画で置いておく必要は無いし、それでは感動しない。なんと、ディレクションのないドラマかと呆れた。ディレクターに「人間ドラマ」を構築していく才能が無い。視聴率の悪いのも、企画自体の性もあるが、演出家のディレクションの不味さを、今の賢い視聴者が感じない訳が無い。
「なめとんか!!!」という演出だった。最悪。時間の無駄。
脚本が悪ければ、演出でもっとカバーしないと。あまりのリズム感の無いシーンに白けきってしまった。ドラマを作るのには、いろんな要素が邪魔をし、自分の目指すものを作れない事の方が圧倒的に多いが、それでも抵抗して欲しかった。全国ネットのドラマだぜ。寝る。