旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

鉄鯨とやっさ踊りと醉心と 呉線を完乗!

2018-05-27 | 呑み鉄放浪記

 

 呉線の広駅に並ぶのは、紅いラインを引いた新鋭227系の快速安芸路ライナーと
対する各駅停車は国鉄時代からの濃黄色の113系、両者は広島から交互に到着する。

広島から山陽本線を東へ3つめ、海田市が呉線「呑み鉄」旅のスタート。
海田市は西国街道の宿場町ですね、駅周辺をぶらりと歩くと宿場風情の旧道が通っている。
千葉家の邸宅は安永3年(1774年)の建築、江戸時代中期の建築様式を今に伝える。

広島始発の濃黄色4両編成の各駅停車が4番線に入線してきた。まずは呉をめざす。

 呉駅前は休日を楽しむ海上自衛官の若者がたくさん。
精悍な顔とすれ違うようにペデストリアンデッキを進むと中央埠頭に行き着く。 
ちょうど江田島へ渡るフェリーが出航して行った。若者を満載してきた船だろうか。

振り返ると大和ミュージアムがあって、その先に「鉄のくじら館」が威容をほこり、
基準排水量2,250t、全長76.2m、この潜水艦「あきしお」は乗艦・見学ができる。

 

 呉の街には元海軍のコックが開いた洋食屋が幾つかある。自由軒もその一つだ。

デミグラスソースをたっぷりかけた "オムライスデミ" が美味しい。

潮が引いた堺川の鉄橋をカープ電車が渡って行く。昨夜も広島の街は盛り上がっていた。

需要が減る広から先は2両編成に乗り換えて江戸情緒を残す竹原をめざす。
旅情を演出しないロングシートの車両では缶ビールも飲み辛いね。 

 

 西方寺・普明閣に上ると竹原の町並みを一望できる。
石畳の小路、棒瓦の屋根、塗籠壁、格子窓、江戸時代の風情あふれる建物が並んでる。 

 

町並みの中で杉玉を提げている竹鶴酒造はニッカウヰスキー創始者・竹鶴政孝の生家だ。
歴史民俗資料館の庭では、竹鶴政孝とリタの像が迎えてくれる。 

 

もう一軒の酒蔵は藤井酒造、"夜の帝王" なんて純米酒を出している蔵なのだ。
酒蔵交流館でたっぷり試飲を楽しんだら、"酒粕モナカ" をかじりながら駅へ戻ろう。
土産に求めた "能勢 大吟醸生酛造り" を抱えてね。

 竹原駅では週末の臨時快速「瀬戸内マリンビュー」と出会った。
国鉄時代の旧い気動車もこんなにきれいに化粧されて、誰もが振り向く美人に仕上がる。 

こんなネーミングの列車を走らせるほど、瀬戸内海は美しい。
マリンブルーに見惚れながら呉線は走る。遠くに "しまなみ海道" の斜張橋が見えるね。 

 

濃黄色の2両編成が高架の三原駅に終着する。
1番線の壁際には、呉線の起点であることを示す「0キロポスト」が設置されている。 
駅前広場には「やっさ踊り」のモニュメント、踊りの起源は隆景の時代まで遡ると云う。 

 今宵は三原港近くの「おばんざい うさぎ」を訪ねる。橙の暖簾が目を引くね。
お姐さんが3~4人で切り盛りするカウンターに座って、まずはグラス生を呷る。 

 

横山大観が愛飲したと云う "醉心" はここ三原の酒。敬意を表してまず一杯。
生姜が利いた "イワシの煮付け" が美味しい。

 

2杯目は竹原の "誠鏡" をいただく。ジューシーな "たこ唐揚" を抓みながら。
三原はマダコの水揚げで有名なんですね。
広島の酒と瀬戸内海の幸に満足な「呑み鉄」の休日。明日は吉備路をぶらつきます。

呉線 海田市~三原 87.0km 完乗 

 

女はそれを我慢できない / アン・ルイス 1978



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