旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行27 三留野宿~妻籠宿~馬籠宿

2013-11-30 | 中山道紀行

「三留野宿」 11:00
 南木曽駅近くの木曽川に架かる「桃介橋」を渡ってみる。
1922年架橋のこの橋、近代化遺産として1993年に復元され重要文化財に指定されている。

第27日目、三留野宿を発つと中山道は木曽川を離れ尾根を越える山道に分け入る。

1kmほど登った尾根のピークに義仲ゆかりの「かぶと観音」がある。
平家打倒に挙兵した義仲が本拠地の鬼門に祠を建て、観音像を祀ったのがおこりだ。

三留野から妻籠へは新旧の山道が複雑に絡むが案内板が充実していて迷うことはない。

更に進めると山中に東西一対が残った上大久保一里塚を見ることができる。

「妻籠宿」 12:00~14:00
 登りきった尾根を緩やかに下り「鯉岩」と呼ばれる大きな岩が現れると妻籠宿。


高札場から下町そして中町に入ると東側に本陣が往時のままの豪壮な姿を見せている。
ちなみに最後の当主島崎広助は藤村の実兄だ。

本陣のほぼ正面に脇本陣奥谷が国の重要文化財として一般公開している。
脇本陣は兼業を許され酒造業を営んでいたそうだ。近年になって酒蔵は倒産したが
銘柄の「鷺娘」は地元の方々の努力で郡内の酒蔵が醸造し妻籠宿で販売されている。
奥谷の林家は「初恋」のモデルとなった島崎藤村の幼馴染が嫁いだ先でもある。

下町の枡方を折れて進むと寺下地区。観光ポスターなどでお馴染みの風景だ。
観光客が視界に入らなければ、あたかもタイムスリップをした錯覚に陥りそうだ。


木曽路に入ってからずっと昼は蕎麦を楽しんできたが、この日も結局蕎麦を選択した。
雪がちらつく寒さに今回は暖かい蕎麦をいただく。付け合せの五平餅と漬物が嬉しい。

一時ちらついた雪に躊躇もしたが、妻籠から馬籠までは8km弱の峠越えを往く。
宿場を出ると薄暗い山道となる。所々設置された熊除けの鐘を鳴らしながら進む。

行程の半ば程に一石栃白木改番所跡と一石栃茶屋跡がある。
残った一軒は築250年、観光案内もするご主人が何くれと世話を焼いてくれた。

峠道後半は落ち葉の道となる。鬱蒼とした樹々の丈が徐々に低くると馬籠峠は近い。

「馬籠峠」 15:10
 標高801m、馬籠峠に到着。舗装された県道とクロスする。ここから先は岐阜県となる。
馬籠宿の旧山口村は元々長野県、平成の大合併で中津川市と合流し岐阜県に編入した。

峠からは馬籠宿への緩やかな下りとなる。すぐに集落に入って十返者一九の歌碑がある。
左手には頂きを雲に隠した恵那山が薄らと雪化粧をしている。

農家の軒先で無人販売していた干し芋を食べながらラストスパート。
ゴールも近い下り坂は足取りも自然と軽快になる。

「馬籠宿」 15:45
 雪にも見舞われずなんとか日没前に木曽十一宿の最南の宿場町馬籠宿に到達する。

眼下には低い夕陽に照らされた中津川の町、見所ある馬籠の散策は次回のお楽しみ。
「三留野宿」から「妻籠宿」を経て木曽十一宿の最南「馬籠宿」までは13.7km。
所要時間(移動時間)2時間45分の行程だった。



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