倉本集落 10:00
木曽山中は倉本集落から第26日目行程をスタートする。
西日本でも降雪の予報が出ている今朝の気温は2℃、木曽路も冬を迎えようとしている。
倉本集落から須原宿への道のりは、国道19号線がほぼ上書きしさしたる遺構はない。
倉本一里塚跡も池の尻立場跡も見逃してしまった。
「須原宿」 10:40
国道19号線を左手に分かれて須原宿に入る。駅前には幸田露伴の文学碑がある。
宿並み残る須原宿は「水舟の里」とされ、檜の丸太を切り抜いた水舟が街道筋に多くある。
湧水を注いで共同井戸・防火用水として利用されているそうだ。
本陣兼問屋跡、脇本陣兼問屋跡も風格のある姿を残している。
脇本陣の西尾家は街道時代から続く酒蔵を営んでいて「木曽のかけはし」の銘柄をだす。
宿場の京方のは古刹定勝寺(じょうしょうじ)が桃山建築の本堂を残している。
門前の紅葉がきれいだった。
須原宿を出ると中山道は一旦険しい木曽川を東に離れ、支流に沿って扇状地を上り、
小さな尾根を越えて別の支流に沿って再び木曽川まで下ると駅と役場のある大桑の集落。
途中、崖上の岩出観音堂を眺め穏やかな田園風景の中を行く。
大桑から国道19号線と着かず離れず野尻宿へ。中央本線と絡み合うため踏切が多い。
「野尻宿」 13:00
野尻宿に入る。入口の家の屋号は「東のはずれ」だ。
古い民家がちらほら残る道は上り下りしながらくねくねとうねる。
この宿は「七曲り」と呼ばれ先の見通しが悪い、外敵を防ぐために街道を曲げたそうだ。
宿場の終わりの屋号はもちろん「西のはずれ」となる。
野尻宿から三留野宿までは木曽路最大の難所といわれた。
険しい山肌が木曽川に迫っているためで、水害で度々通行止めになっていたそうだ。
十二兼を過ぎると、南寝覚と呼ばれる美しい渓谷柿其峡(かきぞれきょう)を目にする。
「三留野宿」 15:00
柿其峡を出て4kmほど狭隘な木曽川沿いを進んだ後、国道19号を左手に離れ、
牧ヶ沢・べに坂を上りきると南木曽の町並みが広がとそこは三留野宿だ。
古い家並が残る静かな町だが、街道時代の建物は明治14年の大火で消失し、
本陣跡地には案内板のみが建っている。
三留野宿を通り抜け京方のはずれ辺りが南木曽駅の裏手にあたる。
木曽川沿いを歩いた行程をここに終わる。明日は旅のハイライト妻籠・馬籠を歩く。
倉本集落から水舟の里「須原宿」、七曲りの「野尻宿」を経て「三留野宿」まで21.4km。
所要時間4時間30分の行程だった。