08:45「川崎宿」 00:00:00
4ヶ月を開けてしまった東海道紀行の2日目は川崎宿から。今日も暑くなりそうだ。
江戸が近すぎて振るわなかった川崎宿。洪水で六郷橋流失し舟渡しになってから栄えた。
旧い遺構は全く残っていないが「跡」を示す案内板だけは充実している。
問屋場に近い曹洞宗の古刹宗三寺には、宿場で働いた遊女の供養塔がある。
佐藤本陣跡地は川崎信用金庫本店になっている。
その先、小土呂橋交差点には新川堀に架かっていた石の擬宝殊が残る。
『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』
元禄七年(1694年)、芭蕉はここで門人に見送られている。伊賀上野へ帰る旅路だ。
別離の句であるにせよずいぶん心細げだ。5ヶ月後、大坂に没している。
Navi4-2 京浜急行線と踏切でX字に交差するが基本的に直進。
09:20「市場村一里塚」 00:35:00
日本橋から五里目の市場村一里塚には「跡碑」が建つ。
白いアーチ橋は鶴見川橋を渡る。
街道当時の橋は長さ二十六間、橋上からは大山箱根連山が見えたと云う。
09:50「鶴見神社」 01:05:00
鶴見村から生麦村にかけては風光明媚な海浜で茶屋が繁盛した。
鶴見神社近くには信楽茶屋と云う米饅頭が名物の茶屋が「江戸名所図会」に描かれている。
Navi4-3 京浜鶴見駅で京急線X字に交差。複雑な交差点だが基本的に直進。
下野谷町入口交差点で国道15号線と交差すると、鶴見線国道駅を潜る。
駅のガード下はいかにも昭和な佇まい。日活映画にも度々登場したと云う。
10:20「道念稲荷」 01:35:00
悪霊を萱で作った蛇体に封じ込めて海に流す「蛇も蚊も」を祭事とする道念稲荷。
薩英戦争の原因となった生麦事件の現場はこの辺りになる。
キリンビール横浜工場付近で見かけたマンホールの蓋。
海岸線を旅人が往く様子が描かれる。お伊勢参りの道中か、ご婦人の旅姿もある。
Navi5 生麦一丁目交差点(斜め左) → <国道15号> → 宮前商店街入口 3.9km
神奈川新町駅近くの長延寺(オランダ領事館)前には土塁が築かれ神奈川宿の入口だった。
Navi6 宮前商店街入口(斜め右) → <旧東海道> → 保土ヶ谷1丁目本陣前跡交差点 4.9km
11:30「神奈川宿」 02:45:00
神奈川本陣跡、青木本陣跡を過ぎると東海道は国道15号を離れて宮前商店街に入る。
洲崎神社の前が神奈川湊、神奈川宿は旅籠に商家も並んで大いに賑わったそうだ。
神奈川宿 : 本陣2、脇本陣0、旅籠58、問屋場1軒
街道はJR線と京急線を跨ぐ青木橋で塞がれるが、基本的に直進方向へ続く。
湊町だから金毘羅神社、ここには三宝寺・神奈川一里塚があった。日本橋から七里目だ。
台の坂を上って行くと料亭・田中屋、明治初期には龍馬の妻おりょうが働いていた。
広重の絵には、この店の前身「さくらや」が描かれているね。美しい宿並みだ。
十返舎一九はこの辺りの茶屋を『浪うちぎはの景色いたってよし』と書いている。
Navi6-2 西口ランプ入口交差点(斜め右) 環状1号を浅間下交差点まで 0.5km
Navi6-3 浅間下交差点(斜め右) 相鉄天王町駅まで 1.6km
浅間下交差点から再び旧道に入る。
浅間神社には横穴が在って、源頼朝の時代には富士山麓まで続いていると云われた。
マルシェで賑わう松原商店街の入口が江戸方見附跡、ここから保土ヶ谷宿に入る。
12:45~13:15「保土ヶ谷宿」 03:00:00
まずは宿場そば「桑名屋」で腹ごしらえ。旅籠風の古民家で雰囲気がある。
八王子道、金沢道の追分、江戸朝立ちの1泊目、留女、保土ヶ谷宿は賑わったそうだ。
『おとまりは よい程谷と とめ女 戸塚前(とっ捕まえ)て はなさざりけり』 の狂歌が上手い。
金沢浦賀道への追分である金沢横町にはお休み処、金沢道道標が四基並んでいる。
保土ヶ谷宿 : 本陣1、脇本陣3、旅籠67、問屋場1軒
Navi7 保土ヶ谷1丁目本陣跡前交差点(右折) → <国道1号> → 藤沢バイパス出口交差点 14.9km
13:40「保土ヶ谷一里塚」
国道1号線と刈部本陣跡で合流する。辛うじて本陣門が残るほか遺構は見当たらない。
その先、保土ヶ谷宿上方見附跡には、小さな土塁と一里塚がモニュメントになっている。
日本橋から八里目の一里塚は宿の上方見附と同じ場所にあった。宿並みはここで終わる。
Navi7-2 保土ヶ谷二丁目交差点(斜め右) 750m
Navi7-3 セブン-イレブン 保土ケ谷元町橋店(左折) 140m
Navi7-4 鮮魚魚平の先(右折) 1.3km
箱根駅伝でお馴染の権太坂。なかなか足応え?がある。江戸を発った旅人には辛い。
実際、街道脇には行き倒れた旅人や馬を葬った投込塚があった。
Navi7-5 境木中学校前丁字路(右折) 250m
14:15「境木地蔵尊」 05:30:00
万治二年(1695年)創建で泥棒強盗除けで知られる。
境内の大ケヤキは武蔵・相模の国境になる。なるほど「境木」ってことだ。
Navi7-6 境木地蔵尊前交差点(左折) 1.2km
14:30「品濃一里塚」 05:45:00
焼餅坂を下りきると今度は品濃坂を上る。どちらも切り通しの坂になっている。
品濃一里塚は日本橋から九里目になる。両塚が残るが切り通しと一体化して分かり辛い。
Navi7-7 品濃坂歩道橋で環状2号を渡橋(左折) 850m
Navi7-8 東戸塚駅入口交差点(直進) 700m、秋葉立体入口交差点先でR1に戻る
Navi7-9 不動坂交差点手前(斜め右) 400m
Navi7-10 元舞橋交差点(右折) 190m、舞岡入口交差点でR1に戻る
戸塚の市街地に入ってくる。交差点の名称は江戸見附前、戸塚宿江戸方の入口になる。
広重が描いた戸塚宿は、大橋(吉田橋)とその先に続く宿並みだ。
橋の東詰には日本橋から十里目になる戸塚一里塚があった。痕跡は残っていない。
ところで欄干に並ぶ街灯は、大名行列の「毛槍」を模しているのだろうか。洒落ている。
Navi7-11 吉田大橋西詰交差点(左折) 550m
Navi7-12 戸塚駅跨線橋(直進) 230m、清源院入口交差点でR1に戻る
15:50「戸塚宿」 07:05:00
戸塚宿には内田本陣、澤邊本陣があったが、今では澤邊本陣前に「跡碑」があるのみ。
江戸から一泊目の旅人に、鎌倉・江ノ島への参詣客でさぞ賑わったことだろう。
その規模は本陣2、脇本陣3、旅籠75、問屋場3軒。
川崎宿から2日目行程は、神奈川湊から保土ヶ谷宿、権太坂を越えて戸塚宿まで23.2km。
所要7時間5分はかかり過ぎか?暑かったからね。