「御代田一里塚」 11:00
勇姿を見せてくれた浅間山。夏空の下、第16日目を御代田一里塚からスタート。
しなの鉄道を地下道で潜り、相変わらずの緩い下り坂を進めていく。
この辺の家並みは浅間山の火山岩を石垣に組んだり、礎石にしているのが目に付く。
「小田井宿」 11:40
主要な交通路線から外れた小田井宿は、時の流れから取り残されたような静かな町。
傍らを用水が流れ、連子格子をもった古い家も多い。
本陣(安川家)は和宮降嫁の際にも使用され、“姫の宿”とも称されているようだ。
古い家並の残る小田井宿を後に南に向かうと、やがて交通量の多い県道8号に合流する。
上信越道の佐久ICに接続するこの道は、量販店や外食店の並ぶ近代的な通りだ。
それでも道端の馬頭観音・道祖神や古い神社は、ここが旧街道であったことを示してくれる。
「岩村田宿」 13:00
立派な楼門を有する龍雲寺は武田信玄ゆかりの寺。この辺りからが岩村田宿となる。
城下町であったため本陣は置かれず旅籠も少ない、寧ろ米の集散地として物流で栄えた。
中心商店街の衰退が叫ばれる中、岩村田は結構健闘しているようだ。
花火が並ぶおもちゃ屋、仏花を扱う店、お盆に帰省する若い世代を迎える準備万端だ。
宿の外れは相生町交差点。正に枡形、南進してきた道は直角に西に向きを変える。
ほどなくJR小海線の踏切を越えると御嶽社、境内にはたくさんの庚申塚が建っている。
さらに1kmほど西進すると「相生の松」、皇女和宮降嫁の際、野点をしたと伝わる。
振り返ると浅間山、行く手には蓼科山が雄大な稜線を延ばしている。
平塚・塚原など用水の流れる集落や古い神社を左右に見て、中山道は田園風景を往く。
塚原集落を過ぎて風景は一転、街道は大きく蛇行しながら鬱蒼とした林の谷間に紛れ込む。
流れの急な沢沿いに千曲川の河岸段丘を下る途中、駒形神社が右手に現れる。
やがて新幹線の高架を見ながら坂を下り切ると、千曲川の渡しで栄えた塩名田宿に入る。
「塩名田宿」 15:50
塩名田宿(旧浅科村)は上手に街道情緒を残そうと努めている。
本陣跡(丸山家)をはじめ、商店や住宅にも宿場当時の屋号を木製の看板に提げているのだ。
500mほどの宿場を抜けて、さらに一段河岸段丘を下りるとそこは千曲川河岸。
甲武信岳に流れを発し新潟港に至る日本一の大河も、ここではせせらいでいる。
舟橋を繋いだ「舟つなぎ石」が河原に残り、渡しで賑わった往時を偲ばせてくれる。
御代田一里塚から小田井宿、岩村田宿を経て塩名田宿までは14.6km。
行程は短いものの、途中、スニーカーのソールが剥がれるなど、苦難の約4時間となった。