▲道端の花
一昨年亡くなった母のルーツが喜界島にあることが、死亡手続をする際に判明しました。
そこで鹿児島まで来た機会に、喜界島に渡ることにしました。
ホテルに戻り、レンタカーに乗車し、島内を巡ってみることにしました。
手久津久の巨大ガジュマル
樹齢100年を超えると推測されています。
下から見上げると、空を覆い隠すように伸びる枝や16mに及ぶ幹回りは圧巻です。
不思議な力に満ちあふれている、島一番のパワースポットです。
普通はここまで伸びると枝の自重で折れてしまうのですが、周りの木が枝を支えていること、大きな岩から生えているため、気根が幹回りに集中しているという、奇跡的なバランスの中に立っています。(喜界島ナビより引用)
コンクリート製掩体壕
知覧特攻平和会館の資料にもありましたし、それより以前に読んだ「永遠の0」で、零戦21型を主人公・宮部に譲り、零戦52型で特攻に出撃した井崎がエンジンの不調で喜界島に不時着したという記述が妙に記憶に残っていました。
実際に、喜界島は不時着陸場として使われていたそうで、このコンクリート製掩体壕で、不時着した戦闘機の整備がされていたそうです。
僧俊寛の墓
▲僧俊寛の墓
▲僧俊寛の像
平安時代に京都鹿ケ谷で平氏(平清盛)討伐を企てた鹿ケ谷の陰謀に失敗し、喜界島に流刑になった源氏の流れの高僧、俊寛の墓です。
喜界島で流人生活を過ごした俊寛は1180年(治承4年)37歳の生涯を喜界島のこの地で終えました。
この地を「ボーズンメ(坊主前)」と呼び、花や線香が絶えることなく供えられています。
墓石の下からは人骨も発見されました。人骨を調査した結果、島外の相当身分の高い人物であったこと、刀傷があったことから、俊寛本人の人骨ではないかと言われています。(喜界島ナビより引用)
僧俊寛の墓という伝承は他にもあるそうです。
鹿児島県の硫黄島、長崎県の伊王島などがそうです。
ウフヤグチ鍾乳洞
かつては鍾乳石や石筍(せきじゅん)が発達してましたが、大平洋戦争時に守備隊の防空陣地となり、鍾乳石は打ち壊され、石筍は一部取り払われています。
入り口付近では鎌倉時代のものとされる「長石の辻遺跡」が発見されました。(喜界島ナビより引用)
魔女の木
サトウキビ畑を連絡する道路脇にぽつんと立っています。
サンゴの岩の上で成長している不思議な木です。
シュガーロード
サトウキビ畑を2キロ以上に渡って一直線に伸びる道路です。
サトウキビの収穫がほとんど終わっていたのが少し残念で、青々とした畑を区切る直線を見てみたかったです。
サトウキビ畑
▲ハートの中にウクライナ国旗?
現在朝ドラで放映中の「ちむどんどん」で沖縄ヤンバルでのサトウキビの手斧での収穫風景が出ましたが、現在ではかなり大型の機械で刈り取っていました。
百之台国立公園
喜界島の中央部に広がる標高203mの隆起サンゴ礁の高台です。
展望台に上がってまず目にするのは地球の丸さを実感させてくれる水平線です。
眼下に広がる整地されたサトウキビ畑、エメラルドに輝くサンゴ礁の海は絶景です。
約12万年前には、この地は海の中にありました。
奄美十景の一つです。
隆起珊瑚礁で形成された段丘斜面と植生が評価され、平成29年3月7日(火)に国立公園に指定されました。(喜界島ナビより引用)
こちらはなかなかの絶景ポイントでした。
喜界島に行く機会があればぜひお訪ねください。
七島鼻(喜界島最高所)
▲通信所跡
パラグライダーの離陸場として利用されており、喜界島で一番空に近い場所です(最高地点211.962m)。
戦時中は敵機来襲をいち早く捉えて戦闘部隊へ報告する電波探知機隊が駐屯しており、現在も通信所跡が残っています。
ここからの見晴らしは絶景で、東に太平洋、西に東シナ海が望めます。(喜界島ナビより引用)
最高所ということですが、見晴らし自体は百之台国立公園のほうが良かったです。
続く