平成29年6月11日(日) のち
『しらおい再発見』地域学講座4回目です。
本日のルートは仙台藩陣屋資料館 → 陣屋跡 → 愛宕神社・塩竈神社 →藩士墓地
白老陣屋は幕末の蝦夷地の姿を留めるわが国最大の陣屋跡なのです
🔴 元陣屋には、仙台藩士200名ほどが駐屯してロシアから蝦夷地を守るための警備に当たっていたそうです。
🔵 明治元年(1868)戊辰戦争の勃発によって撤収するまでの12年間なれない土地での仙台藩士の苦闘が、この陣屋跡に刻まれているのです。
資料館、最初の展示は三好監物等と案内役のアイヌ。
幕府は当初、勇払(現在の苫小牧市)に拠点となる元陣屋を設けるよう想定したのですが、
現地を調査した仙台藩士である三好監物等は白老を適地として見出したのです
熱心にガイドの話に聞き入っています
陣屋を挟む丘陵にある塩竈神社と愛宕神社、この時だけ大粒の雨に祟られまして・・・
突然の雨、この中に雨人か不届き者がいたのでしょうか・・・
藩士達の悔し涙でしょうか・・・
津軽海峡を超えて蝦夷地に渡って来た男達の生き様、一見の価値あります。
『しらおい再発見』地域学講座4回目です。
本日のルートは仙台藩陣屋資料館 → 陣屋跡 → 愛宕神社・塩竈神社 →藩士墓地
白老陣屋は幕末の蝦夷地の姿を留めるわが国最大の陣屋跡なのです
🔴 元陣屋には、仙台藩士200名ほどが駐屯してロシアから蝦夷地を守るための警備に当たっていたそうです。
🔵 明治元年(1868)戊辰戦争の勃発によって撤収するまでの12年間なれない土地での仙台藩士の苦闘が、この陣屋跡に刻まれているのです。
資料館、最初の展示は三好監物等と案内役のアイヌ。
幕府は当初、勇払(現在の苫小牧市)に拠点となる元陣屋を設けるよう想定したのですが、
現地を調査した仙台藩士である三好監物等は白老を適地として見出したのです
熱心にガイドの話に聞き入っています
陣屋を挟む丘陵にある塩竈神社と愛宕神社、この時だけ大粒の雨に祟られまして・・・
突然の雨、この中に雨人か不届き者がいたのでしょうか・・・
藩士達の悔し涙でしょうか・・・
津軽海峡を超えて蝦夷地に渡って来た男達の生き様、一見の価値あります。