ゴメンですめば、警察はいらん
子どもの頃、よく言った言葉です。
その言葉はどの世代まで伝わっているのかわかりませんが、
最近の日本の状況は、その言葉の通りです。
当時者と和解しても許さない
公の場で謝っても許さない
受けていた仕事を辞めても許さない
受ける予定の仕事が無くなっても許さない
徹底的に糾弾する
同じ仕事の仲間も糾弾する
それをテレビが報道し、日本全土に広めていく。
昔はこうでなかった。
同じような過ちでも『やんちゃ坊主』として許していませんでしたっけ。
いつからこんな日本になった?
ウィークエンダーなる番組が発端だったのかなぁ
その後、多くの人が知る芸能人時々政治家のスキャンダルを
写真週刊誌によって覗き見競走され、
さらに文春・新潮などの週刊誌の取材ネタに専門家なるものがコメントすることで善悪の評価が加わり、
テレビのワイドショーがそれを取り上げて毎日毎日拡散しています。
そこにネットが加わり、
誰もが記者感覚で、『実はここでも』『それだけでなく』と
糾弾される人を追い詰めます。
それらを繰り返し、繰り返し報道されることで
当初は、当事者間の1対1の問題がいつのまにか1対多数となってしまっています。
最初の当事者はこんな状況をどう思っているのだろう。
現在、ワイドショーで行われていることを『公開処刑』と呼ぶ人もいます。
でも、その多数は飽きやすく・冷めやすく
新しいターゲットが見つかると、前のターゲットをスカッと忘れてしまいます。
傷ついた当事者を残して・・・
何のために司法がある?
司法は、法を犯した人にしっかりと責任を負わせ、そして許します。
ゴメンですめば、警察はいらん
この言葉を使っていた私たちが大きくなって、
勧善懲悪ではなく、完全懲悪
そんな日本に変えてしまったのだろう。
申し訳ない。
ゴメンですめば、警察はいらん
※あくまで個人の感想です
何のために司法がある?
司法は、法を犯した人にしっかりと責任を負わせ、そして許します。
ゴメンですめば、警察はいらん
この言葉を使っていた私たちが大きくなって、
勧善懲悪ではなく、完全懲悪
そんな日本に変えてしまったのだろう。
申し訳ない。
ゴメンですめば、警察はいらん
※あくまで個人の感想です