のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

バッテリー交換

2022年09月12日 10時59分25秒 | 日記

テレビCMで、EV車の宣伝が多くなってきましたが、
我が家は、ガソリン車から変更したいとは思いません。

もっとも、昨年免許を返納してしまった私が運転するわけではないが(^-^;
EV車に踏みきれない一番のネックはバッテリーです。

CMでは、燃費ならぬ電費がクローズアップされ、
フル充電での走行距離を競っています。

ところが、
外国製のEV 車でバッテリーから出火して、その出火スピードが速く逃げ出せなかった

国内のEVメーカーが、急速充電はバッテリー寿命が短くなるから控えてと言った
というニュースが散見されます。

同じ性能ではないにしろ、
スマホ充電中にモバイルバッテリが発火したというニュースもあるし、
モバイルバッテリの性能仕様欄には、充電回数などが規定されています。

私も製品設計していた時代、回路に使うバッテリの寿命の少なさに悩んだものです。
そのメーカーの保証する寿命の数字には、当然マージンが含まれているのでしょうが、
まじで計算すると2年も保証できない製品になってしまいます。
わが社の製品は短いもの(安い物)で5年、通常は10年が設計目標でした。
それを満足できませんでした。
なので、『寿命5年(1日〇時間使用した場合)』と注釈をつけたものです。

モバイルバッテリには、『充電回数:500回以上(使用環境・頻度によって変わります)』などと
書いてあります。
極端な場合、501回目で充電できなくなっても
『それは寿命です。仕様通りです。』と言われても仕方ないと言いうこと。

一方で、EV車のスペックシートには、バッテリの充電回数という項目がありません
なぜ?何回なんでしょう?
やっぱり数字を書くと、『少なすぎる!』というクレームが出るから伏せているのでしょうか?

もし仮に、モバイルバッテリ程度と言うことだったなら、
毎日夜に充電すると1年半でバッテリの寿命を超える
と言うことになってしまいます。
不安です・・・

ならば、
簡単に交換できるようにする
という設計が必要なのではないでしょうか

2017年にこんなことを書いていました
世界の工場から世界の市場へと進化した中国。
先日は『中国をマネする時代になった』として深センのハイテク企業を紹介する番組も放映されていました。
そこに紹介されていた技術ですげっと驚いたのは
ガソリンスタンドならぬバッテリスタンドで、電気自動車のバッテリ毎、自動で交換してしまうという技術。
これなら充電時間を気にせずにスタンドに立ち入れます。


その後、中国で深センの技術がどう展開されたのかは知りませんが、
これじゃないですか!
全世界のEVメーカーがバッテリ部分については統一規格で設計して、
ガソリンスタンドならぬバッテリスタンドで、入ってきた車に自動で
使っていたバッテリとあらかじめ充電していたバッテリを交換する。
バッテリスタンドでは、交換したバッテリを次の車のために充電する。
充電性能が劣化したバッテリは、バッテリメーカーに返却してメンテナンスする。

そうすれば、
・充電時間も短縮できる
・既存のガソリンスタンドも再利用できる


EVメーカー様、どうかご検討を・・・


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返還50周年、友好都市締結25周年

2022年09月12日 10時07分50秒 | ニュース・記事

4年前に『日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す』と言った方が
台湾を飛び越して日本のEEZに5発ミサイルを発射した国の街と友好都市を結んでいる県のトップに再選されました。
予想通り、当選確実を伝えるテロップが『鎌倉殿の13人』の録画に入っちゃいました(T_T)

昨日、
日中国交正常化50周年および日中非正常化10周年というブログを書きましたが、
今年は、
沖縄返還50周年および沖縄県と福建省の友好都市締結25周年にも当たるそうですね。

その記念すべき年の選挙で
『日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す』と
とんでもない意見を持つ人が選ばれました。
って、はじめは思いましたが、実はその発言の前に
『戦争で奪われた土地は県民に返すべき』があり、
メディアお得意の切り取りがあったようですが、
そのフェイクに負けず、県民は全投票数の半分以上を彼に与えました。
残りの立候補者2人の票を足してもギリ届かない結果でした。
ただし、投票したのは全県民の60%、台風の影響もあったのかな・・・

さらに対抗馬を推薦した党が、
あの事件が発端で巻き起こった疑惑を払しょくするために
憲法に抵触するかもしれない調査が大忙しで、
応援がおろそかだったからかもしれません。

そう考えると、あの事件の首謀者はこれが目的だったのかもと
思えてしまいます。

離脱してしまいましたが現在の朝ドラ『ちむどんどん』の舞台でもあり、
ガッキーをはじめアムロ、ナカマなど多数のすてきな芸能人を輩出した場所でもある
沖縄・・・

昔々は独立国・琉球国でした。
関ヶ原の決戦のちょっと前に朝鮮の住民が琉球国に漂流したとき、
琉球国の王は、
「われわれは明に仕えていて、明の皇居を遥拝する儀礼を行う。」
と言ったそうです。
江戸時代にはいり、琉球は薩摩藩の支配下にあったが、
名目上は依然として清国に仕えていたそうです。
明治時代に入って、日本政府が琉球王国を廃止し、
沖縄県の設置し今に至っています。。
その間、戦争に負けて、一時期アメリカに占領されていましたたが
1972年に日本に返還されから50年。
その日、それまで車両は右側通行だったのが、ある時間から日本と同じ左側通行に
変わった瞬間をテレビで見ていました。

同じ年の4カ月後、時の総理大臣・田中角栄さんが電撃訪中して
時の首席・周恩来さんと握手している場面も見ました。

あれから50年で日中の力関係は、軍事力・経済力も変わってしまいました。

沖縄県と福建省の友好都市締結25周年に当たる年に2期目を県民に託された知事さんがかつて言った
『戦争で奪われた土地は県民に返すべき。日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す』
が、
『奪われた土地は琉球王国に返すべき。日本政府から、アメリカから、琉球を取り戻す』
という意図でなかったことを祈ります。

将来、
一道一都二府42県にならないことを・・・
まして、右側通行にならないことを・・・

祈ります。

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