わが購読紙に連載中の『ふる里の風景』の「ゼンマイ仕掛け」という文を読んでいたら、子どものころのあの時代にタイムスリップしたようで懐かしかった。(原文通り)
僕らが子どものころ、おもちゃの駆動は主としてゼンマイ仕掛けだった。たとえば模型自動車だと、胴体部分に双葉状のネジが付いていて、それを巻いて走らせた。当時の時計も同様にゼンマイ仕掛けだった。わが家の振り子付きの柱時計も、僕がその係で毎日ネジを巻いていた。腕時計はそのころ、手巻きの進化系である自動巻きが登場。近所のおじさんは、これ見よがしによく腕を振っていた。
そんなある日、僕らは乾電池で動く小型のモーターが発売されたことを知る。あの「マブチモーター」である。しかも、少し貯めた小遣いで買えるという点も含めて革命的だった。それ以降、模型の駆動はゼンマイからモーターへと移る。そして僕らの周りからは、ゼンマイ仕掛けのおもちゃが姿を消したのだった。
私が子どものころ、今から70年以上も前はおもちゃなどの贅沢品で遊んだ記憶はまったくない。ゼンマイ仕掛けのおもちゃなど見たこともなく、それらのおもちゃで遊ぶ子どもは、お金持ちのお坊ちゃんかお嬢ちゃんくらいだったろう。ゼンマイ仕掛けのおもちゃがあることすら知らなかったし、それを知ったのはずいぶん後のことで、その頃にはもうおもちゃは不要の年齢になっていた。
昔は、だれが考えたか知らないがお金をかけないで遊ぶ方法がいっぱいあった。また昔は一人遊びをする子どもなんていなかったね。貧乏人の子どもはいつも一緒、みんなで身体や頭をつかって遊んでいたっけ。だからみんな元気だったんだよね。
社会人になって初めてつけた腕時計は横についてるリューズ(ネジ)でゼンマイを巻き上げるというもので、ネジを引いて針を動かし時間調整をしていた。次に買ったときはもう電池式になっていて、1年に1回くらい電池交換をした。が、意外と高くて1回に1000円くらい支払ったなあ。携帯を持つようになって腕時計はまったく不要品になってしまった。これも昭和の懐かしい思い出である。
今や乾電池は絶対になくてはならない必需品となっている。わが家で乾電池が必要なものは何か、探してみたらたくさんあって、いざというときに買い置きがなかったら大変なことになる。常時、単1形から単5形まで一通り揃えているが、交換時はいつかは判断に困るので、下記のような表を作り、乾電池を必要とする物をリストアップ、交換年月日を記入するようにした。
PCのマウスの調子が悪い時など、前回の交換日をみれば乾電池なのか、他に原因があるのかが分かる。よく使うものは半年、電池時計類は1年か、それを目安にしているが、やはり価格が高い乾電池の方が長持ちするのだろうかな?
大小其々巻く時の指の感覚が甦ってきました。
なんと懐かしい記事でしょう
大きなネジは柱時計ボ―ンボン
小さなネジは目覚まし時計
指先器用で腕時計
すっかり忘れていた手先を使う細かい作業
毎日の積み重ねの大切さがわかりますね。
何でも電池にお任せでどんどん人間劣ってゆく知力も体力も
さてあのネジを回す一種の快感を思い出してみたくなりました。
押し入れの隅で転がっているはずの手回しオルゴールでも探してみましょう。
ほんとに今では何もかも「電池」。
未だにゼンマイ式は「私の頭」。ねじを回さないと始動しないし、空回りしたり・・・で
これも時代ものになってきました。トホホ。
昔、祖父が踏み台を持ってきて柱時計のネジを巻いていました。突然、ボーンボーンと鳴ってビックリしたことも懐かしい思い出です。
ご指摘のように、今はネジで動かすのはオルゴールくらいかしら。これだけは電池でなく手巻きの方が情緒があっていいですね。
私の頭のネジもそろそろ摩滅して緩んできたようです。が、どんなにネジがゆるんでも電池に交換というわけにはいきませんね。少しでも長持ちするように大事にしないと…。いくらAI時代でも、人間の頭脳まで入れ替えするのは無理でしょうね。