今朝は衣替えを兼ねて押入れを整理していました。時間がないはずなのですが、そのままだと毎日来ていく服がなくなるので。。。なかなか暖かくならなかったというのと、時間のある時にさぼっていたのもありますが(汗)BGMにはセルジオ・フィォレンティーノのバッハ。こんな偉大な演奏家のCDを整理のBGMにするなんて失礼だなんていわないでくださいね。聴いたのは以下の二曲だけでしたが。。。
プレリュード&フーガ ニ長調 BWV816 (transcribed Busoni、arranged Fiorentino)
フランス組曲 No.5 ト長調 BWV816
胸のすく演奏です。最初のプレリュードとフーガで心のよどみが吹っ飛んだような気がしました。大聖堂で流れるような壮大なスケールのフーガを聴いていたら細かいことなんかどうでもいい、という気持ちになりました。ブゾーニによってtranscribedされ、演奏者のフィオレンティーノによってarrangedされたのですね。transcribeもarrangeも編曲ですが、arrangeのほうが本来の楽曲のイメージとは異なる変奏イメージを喚起する度合いが強いようなことがwikiに書かれていました。実際のところははっきりしていませんが、非常に興味深いテーマだと思いました。ちなみにフランクのOp.18、バウアーがしたことは楽譜によるとtranscriptionとありました。バウアー氏の編曲、確かに新たなイメージを喚起するほど画期的な変更をしたようには思えませんでした。(しかし別のところにはarrangeと書かれていたりもしてますが)ちなみにOp.18、バウアーのほかにヴェルディニコフも編曲しているのですね。ヴェルディニコフはarrangeしたのかtranscribeしたのかはちょっとわかりませんが、こちらもかなり凝った編曲でした。ご本人による演奏も非常に感動的でした。
そういえば演奏者のことはplayer、instrumentalist、musicianと言いますが、「通訳」の意味を持つ用語であるinterpreterとも言う、ということを知り、興味深く感じたのを思い出しました。特にクラシック音楽の場合は、演奏の前の解釈・理解が演奏の上で非常に大切な役割を果たすと思うので、interpreterと呼ぶのはより的確に演奏者のことを表しているような気がしました。ある曲の楽譜を読み取って伝えるわけですね。聴き手側に立って考えると、たとえばある曲を最初に聴いた場合、その演奏者の演奏を通じているものであるが、聴いたと感じるのは解釈された曲。演奏者の演奏によってもともとの曲の伝わり方も変わってくるというわけですね。例えば先日の例で行くと最初に聴いたブラームスの演奏はルプーのCDでだったのですが、ルプーはブラームスの曲をうまく伝えてくれたんだな、と思います。
ふたたびフィオレンティーノ、壮大なBWV816のフーガの後、一転して舞台も聴き手の人数も少なくなったように思えた会場の中での血の通ったフランス組曲。心も丸くなれそうです。やさしいながらも芯の強い演奏でいいなあと思いました。
で、あれだけあせっていたのに自分の練習は放置?だいたいなぜ今ここに登場しているの?と突っ込まれそうですが、浮かんでしまったのです(汗)interpreterという言葉はあまりにも重いのですが、そのような姿勢で行こうとする気持ちは持ちたいと思います。