今日は今年初めてのレッスンだった。
クープランの墓(Le Tombeau de Couperin)、まずフーガ。三声で各声ずつ弾いたり、二声ずつ合わせたりしていたものの、今一つ腑に落ちていない状態であったが、三声合わせてひとまず弾くことになった。1ページ目はなんとか乗り切ったものの、2ページ目からだんだん雲行きが怪しくなり3ページ目は無理やり最後まで弾いたものの崩壊寸前に近い状態。三声合わせた練習をあまりしていなかったし、練習自体も腑に落ちていなかったから、こういうことになるのは目に見えていたが。。。大切なのは下のパートだということ。その上に二つの声部が乗っかっている。この曲はその下のパートの音が高い傾向にあるため、その中で却って珍しいヘ音記号のところに着目するべしということだった。そして今日は問題の三ページ目を中心に診ていただいた。各声部の独立ができてなくて、特に上の二声は別の声部になっていることすら分からなくなっている状態だったので、各声部の独立とバランスのために、部分部分の強さ、打鍵を確かめながら試していった。別の声部なのに同じような打鍵になっていて区別がつかない状態になっていたり、軽い終止形がいくつか見られていたのになぜかその部分で大きくなったりと、捉え方を間違えていたところもあった。そしてあるところで終止形らしく収まる感じで弾いた瞬間、練習の時に感じることのなかった腑に落ちた感覚がやってきた。各声をだらだらと弾いていて、終止もバランスもない状態になっていたのでは(特に三ページ目)腑に落ちないのはもっともだろう、と。ここではどのパートに重心をおき、どのパートをどのような弾き方で弾くか納得しながら弾かなくては、腑に落ちる演奏にならないということを痛感した。ペダルや強弱記号がついているのはすべてのパートとは限らず、特定のパートであるケースも多いということが分かった。先日聴いた藤井氏の演奏の美しき収まり方も、考え抜かれた末の成果だったのだな。(感性が大切とは言っても限りがある。特に私のような大人の学習者が感性だけでいこうとしたらしまりのないものになりやすい)
次にプレリュード。練習の時は勢いよく弾いては弾けたつもりになっていたのだが、そういうごまかしはきかず、いくつかとんだ音あり、がたがたして粒の悪さが目立ってしまった。16分音符、実は大切な音は少数に限られているのだが、なぜか歌いこんでしまいしまりのない重たいものになっていた。そして肝心の左手での和音によって音楽が動くような状態になっていないことに。。。チェルニー的なメカニックの練習をこつこつやろうということになった。
フーガは各声部のバランスをひとつひとつ見ていこう、そしてプレリュードは16分音符の練習を丁寧にしよう、ということに。指はどんどんまわりにくくなっているので特に念入りにやっていかねば。
年末のレッスンではやる気になっていたのに、いつの間にかマンネリに負けそうになっていた。特にフーガ、いい曲だということは分かったし、いい曲だと感じられるようにもなった。しかしまだ、心情的には入り込めず(やっぱりバッハやロマン派のほうが入りやすいという現状)、どうなのだろうという状態だった。まずこの1ヶ月が大切。練習の時は集中して練習しようと思った。