東京都現代美術館のお土産コーナーにあったある本のタイトルを見て、どきりとした。
「アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン」大野佐紀子 著
本の趣旨は「アート」の名の下にすべてが曖昧に受容される現在を、根底から見つめ、その欲望を洗い出す。とのこと。
立ち読みしただけで買ってはいないが読みたくなった。
私がこのタイトルと趣旨を読んでどきりとした理由は以下の通り。本自体読んでもいないのだが、読む前に書いておこうと思った。少し自戒を込めて。
1.「アート」という言葉が大好きでよく使っているから。音楽も美術も文学も工芸も演劇も舞踏も料理も建築も華道も茶道も書道も武道もスポーツも手芸も和裁洋裁もそれらのどこにも属していなそうなものでも個性的でとがっていそうなものを指し示すときに頻繁に使っているから。各ジャンルを区分けせずにまとめてくれる便利で素敵な言葉だと思っていた。
2.「アート」と名付けられたものを見るとそのように名づけられる優れた根拠があるはずだ、と思いやすいから。思わなかったとしても、思いたいと思うことが多いから。
3.「アート」という名のものを絶対的だと思いやすいから。たとえば常識に反したことやひどいことががそこでなされていたとしても、「アート」だから、とか、その人の「アート」だから、という言葉のもとで、すべてが許されるような気持ちになったりしやすいから。「美学」という言葉もそういう面では同じだ。
4.そうなのに「アート」と定義づけられたものにあこがれているから。普通でいたいようで謎めきたい。謎めきたいようで普通でいたい。矛盾している。
5.4番の文章の「矛盾している」の後に、「そこも含め実はアートかもしれないが」という文を一瞬書きそうになったから。冷静に読んだらどこまで自意識過剰なのかと問いたくなる文でしかないのだが一瞬書きそうになった。つまり「アート」という言葉は1番の大好きという次元とは別に、曖昧なものを深く考えずにかっこよくまとめるのに登場させたくなる言葉No.1に該当する。「芸術」という言葉ほど畏れ多くなく気軽に使えそうなところにも起因している気がする。
そう書きながらも、目から鱗の落ちそうな思いと強い感動とが共存するようなものに出くわしたとき「これこそまさにアートだね!」とつぶやきそうな気がする。しかしアートという言葉でごまかしそうな我々にとって、この問題を考えるのは有意義なことなのではないだろうか、と思った。
読んでもいないのに想像だけをふくらましていたが、きっとこの本、いい本のような気がする。読める日がやってくるのが楽しみだ。