いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

今日の練習 その他

2013年01月11日 | ピアノ・音楽

 今日のピアノ練習。プレリュードは16分音符を粒をそろえて弾くのを目指した。左手、本当にそろっていないうえに、終わりの方は切れたり重くなったりしていた。一定の速度で弾けるように、メトロノームを思いっきり遅くして開始。そうすると揃った。少しずつ速くしていく。最初の頃と比べたら揃うようになった。しかし目指す速度で弾こうとするとさっぱりだ。この練習、毎日繰り返したほうがよさそう。最近指が回らなければならない曲を弾いていないからなおさら痛感した。基礎練ちゃんとしないとね。

 フーガは3ページ目のみ。もっとも盛り上がるところでありながら一番弾けていないところだったので。ソプラノパートとアルトパートとの区別がまったくついていなかったので、区別がついて聴こえるように同じ右手でもソプラノとアルトとで鍵盤内の指の位置や角度やタッチの速度を変え異なって聴こえるように試みてみたら、少しは違って聞こえるようになってきた。しかし、特に同時に音が鳴っているところはどちらのパートか区別もつかない状態。それでも、レッスン時よりは、間違える度合いが減ったような気がする。違って聴こえるようになるようにあせらずに進めていきたい。

 そういえば明日は年末に借りた本の返却日だった。『ラヴェルの生涯』、『ピアノ・ノート(この本は購入した)』、『フィドルの本』を借りていた。フィドルとは実はフォークミュージックや民族音楽で使われるヴァイオリンのことを指している。ヴァイオリンという楽器は一見高尚な楽器に思えそうだがそれは早合点、実はかなり庶民的な要素が強いのではないかと思え面白いと思い始めた。しかしこの本、まだ始めの方しか読んでおらず。。。また借りて読みたいと思う。弦楽器は演奏するわけではないのだが、音の出し方から謎めいているうえに魅力的な気がして興味深い。

 今日はEテレで23時から坂本龍一氏の「音楽の学校」が放送される。今回は映画音楽。今日は「サイレント時代の映画音楽」とのこと。楽しみだ。


憧れ と 理解

2013年01月11日 | 日記

 憧れの人とか、憧れの曲とか、憧れの演奏とか、憧れの本とか、憧れの考え方とか。。。

 

 憧れという言葉は、素敵に見える。けれども、それは、手が届かない、という、前提も見え隠れしたりしている。

 

 憧れと、理解とは違う、ということを言っていた人がいた。厳しいけれど、図星だと思ったし、目から鱗が落ちるような気がした。それを知っているのと知らないのとでは違いが大きいと思った。

 

 私は基本的によほどのことがなければ、演奏家のファンにならない(とはいえ、演奏会に行くと、その人のファンになりましたとよく書いている。それは無責任発言だったかもしれない。演奏がよかったのでまた聴きに行きたいにとどめておくのが正解かもしれない)ファンになるのには責任が伴う。実はファンになったら自分がなくなるぐらいアイデンティティに影響を受けるのが分かっているから、そうなっても本当にいいと思えない限り、本当のファンにはならない気がする。特にピアニストのファンになるのは覚悟がいる気がしてならない。師匠にしたいと思えるぐらいでないとと思うのだ。

 

 いや、実はファン経験もある。初のファン経験は中学生の時のニューミュージックの某グループ。友人が聴いていたのを知り聴きだしたらよくて、来る日も来る日も聴きまくり、そのグループについて書いてある雑誌はすべて読んだ。いいことが書かれているとうれしくて、嫌なことを書かれていると気分が悪くなっていた。受験生だったがむしろいい張り合いになっていた。そして次は歴史上の人物と洋楽。アイデンティティはかすかに揺らいだものの、そういうときは幸せだった。(その間に好きだった異性もいて憧れもあったような気がするが、なにもなかったのでノーコメントです)大学入試から大学にかけてピアノとクラシックやジャズに芽生え、憧れの対象がショパン、バッハ、ベートーベンになっていた。しかし、その学生時代、ある教官と学問のファンになってしまい進路まで影響を受けたのは非常に大きかった。そしてそれは、傍から見たら、幸せでわがままだったように見えるが、実際は、私のキャパを超えたものになっていた。そしてそこには理解というものが大きく欠落していた。(そして実は相手にとっては単に迷惑なだけ、にもなっていた)それ以来、ファンになるのには責任が伴うと思うようになった。

 

 限られた人生、理解ということを抜きに、あるものの憧れやファンになるのだとしたら、そうすることで幸せでいれること、自分も大切にできることを前提にしたい。いや、そう理性ではいかないというのも分かっているけど。。。

 

 けれども大切にしたいものは、憧れだけではすませずに、理解したい。今まで私は、憧れという言葉を軽々しく使いすぎた。むしろ憧れだけで理解しないことが多かった。憧れはいいけれど、本当に大切にしたいものは、理解にまで持って行きたい。