いろはにぴあの(Ver.4)

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松川と越中万葉

2019-01-03 | 気になる場所、風景

 富山市を流れていた神通川はかつては氾濫が多く大洪水まで起こったが、明治時代の改修によって神通川の本流は西部を直線的に流れるように流れが変えられた。そして都市計画により元の本流は埋め立てられ平地が出来、県庁や市庁舎などが建てられ、その結果狭まった川幅の旧流路を松川と言い、富山市の中心部を流れ、憩いの場となっている。とはいえ、松川は、神通川の名残でありながらも、神通川の水位が下がったため、神通川ではなくて富山市の東側を流れている常願寺川からの水が流れているそうだ。

 春は桜が非常に美しい松川沿いだが、今回は真冬に歩いてみた。

最も神通川から近い西方面から。

松川水門。

 少し北のほうに行く。白鷺発見。

 松川の歴史と越中万葉について書かれたこのような看板があった。奈良時代に越中に赴任した大伴家持は越中の豊かな自然と風土に心打たれ万葉集に223首の歌を残している。富山県ではふるさと文学の振興に取り組んでおり、松川べりに大伴家持の歌碑を設置したり埋め込んだりしている。今まで歌碑が気になりながらも通過していた松川べり、今回はその歌碑をできる限り写真におさめるという試みをやってみた。

藤波の 影なす海の 底清み 沈く石をも 玉とそ我が見る

珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり

彫刻もあり

  春には桜が素晴らしいところ。

春の様子

 向こう側に見える橋は舟橋、江戸時代には神通川にかかる唯一の船の橋だったそう。

 歌碑

 東風 いたく吹くらし 

 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ

 大伴家持

 

 

 

 

 

 

 

 

手前の蕾に注目。春にはふくよかな桜の花を見ることができるから。

石瀬野に 秋萩しのぎ 馬並めて 初鳥狩だに せずや別れむ

皇祖の 遠い御代御代はい敷き祈り 酒飲みきといふそ このほほがしは

朝床に 聞けばはるけし 射水河 朝漕ぎしつつ 唄ふ船人

 

 舟橋。画像右側に見える二層の船をかたどったもの、そして解説レリーフ内の連なる橋に注目。

舟橋の上からは鴨が見えた。

 わが園の 李の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも

分かれているところがあった。

なでしこが 花見るごとに 娘子らが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも

ほととぎす いとねたけくは 橘の 花散る時に 来鳴きとよむる

ほととぎす 厭ふ時なし あやめ草 蘰にせむ日 こゆ鳴き渡れ

 直線的でモダンな彫刻もあった。タイトルは「伸びる」

安住橋。市電や多くの車が通り下はコンクリートのアーチになっている。

安住橋から東を臨む。

春、間近で桜を撮った。

雄神河 紅にほふ 娘子らし 葦附 取ると 瀬に立たすらし

 スケールが大きくてユニークな彫刻。「曼〇」という名前もいい!

この橋を渡ると城址公園。七十二峰橋と言って平成時代につくられた橋。高欄の花の絵が綺麗。

 そして案内。有難い。

 歌碑

 春の苑  紅にほふ 桃の花 

 下照る道に 出で立つ娘子

 大伴家持

 

 

 

 

 

 

 

 

この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む

山吹を やどに植ゑては 見るごとに 思ひは止まず 恋こそ増され

磯の上の 都万麻を見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり

あしひきの 山の木末の 寄生取りて かざしつらくは 千年寿くとそ

 愛らしくてほっとする彫刻に遭遇。

この地はさくら名所100選の地であるだけでなく、彫刻プロムナードでもあったんだね。

 歌碑

 立山に 降り置ける雪を 常夏に

 見れども飽かず 神からならし

 大伴家持

 

 

 

 

 

 

 

 

そして中心地へとつながる大きな橋で松川遊覧船の拠点に最も近い、塩倉橋に到着。

 ここを拠点に松川遊覧船が出発。左に見えるのが船着き場。

 距離的にも時間的にも短かかったのだが充実したひとときだった。プロムナードを人々のこの川に対する思いの深さに改めて心打たれた。大伴家持による越中万葉の言葉の美しさも見事だった。今は雰囲気を味わっているだけの状態に過ぎないのだけど深く学んだら面白いだろうな。富山市中心地にありますのでぜひ!


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