ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

毛皮を着たヴィーナス

2015-01-06 20:29:41 | 映画のレビュー
名監督ポランスキー、久々の登場。作家マゾッホの代表作として知られる「毛皮を着たヴィーナス」を映画化したもの、と言いたいのだけれど、そこはポランスキーらしく仕掛けが施してあり、この作品を舞台化する脚本家とそのオーディションという形で、この官能作品を語りつくそうとしている。

脚本家トマは、オーディションの終わった劇場に一人残っていたのだが、そこに主役エンマを希望する女がやってくる。若くはなく、下品な服装、蓮っ葉な喋り方と、エンマ(彼女の実名も、ヒロインと同じなのだ)の第一印象は最悪。「もう、オーディションは終わったから」と話を打ち切ろうとするトマを強引に押し切り、エンマのセリフを読み始める女。だが、これがうまい!

ややくたびれた、厚化粧の中年女が、妖艶でミステリアスなヒロインに変貌する不思議。このエンマをポランスキー夫人であるエマニュエル・セニエが演じているのだが、さすがというしかない演技力。私は、まだ二十代初めだった彼女を同じくポランスキーの「フランスティック」でハリソン・フォードと共演する姿で見ているのだが、不敵な雰囲気は当時のまま。

傲慢で、売れっ子(多分)の演劇人であるトマが、エンマの台本の相手をしているうちに、いつしか劇中のエンマに魅せられ、翻弄される主人公に同化してしまう。伯爵夫人エンマから、踏みにじられ、罵倒されることを快感とする、マゾヒストに…。これは、実はトマの隠された欲望であり、彼はこの謎の女優に、マゾヒストとしての快感をひきだされることとなった――といったら、作品としてありがちで底が浅すぎる。

あのポランスキーが、そんなことで満足する訳がない、と思っていたら案の定、興味深い伏線が張られていた。この珍(?)オーディションの間、幾度かトマは婚約者に連絡するのだが、この若く美しく知的な女性について、エンマは色々知っているらしい。なぜ?と問うトマに「自分は、彼女と知り合いで、あなたを探偵するよう頼まれた」と語るエンマ。 だが、どうもおかしい。エンマは、トマの婚約者の私生活のディティールまで知っているらしい。

そして、物語はクライマックスに向かうのだが、この頃にはトマは「毛皮を着たヴィーナス」の世界に惑溺してしまい、「そう。あなたの方がエンマの心を知りつくしているわ」と怪女優エンマ(ああ、ややこしい!)に焚きつけられ、女装し、口紅まで塗らせるはめとなる。それからエンマは突如、彼を柱にくくりつけてしまう!

この次何が起こるか--と思わせる不思議な静寂が流れた後、舞台のそでから疾風のように飛び出てくるエンマ。上半身裸で、荒々しい舞踊を踊り始める彼女--「ギリシア悲劇で、女はかく語った」と言いながら、古代の舞踏を思わせるポーズを取るのだが、これが実に怖い! クワッと口を開け、トマを嘲笑するエンマ。本当に、古代ギリシアの秘儀を思わせる不気味さなのだ。この場合、エンマが祭司で、トマがいけにえというべきだろう。そうして、カメラは劇場をすべるように流れ、その扉がばたんと閉まったところで、映画は終わる。エンマは、トマを置き去りにしたのだろうか? それともまだいけにえをいたぶり続けているのだろうか?

80歳にして、かくも切れ味鋭い作品を作り上げるポランスキーの若さ! そして私は想像するのだが、謎の女優エンマは、トマの婚約者のレスビアンの相手だったのかもしれない。 その女が、トマの男性優位主義的なスタンスに反発を感じて、一種の報復を図ったのか…映画の深読みも面白い。
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