若い頃、何度も繰り返し観た「青いパパイヤの香り」(1993年制作)とようやく再会することができました。二十年以上も前に観た映画は記憶に残っているままで、懐かしさのあまり、翌日繰り返して観てしまったくらいであります。
ベトナムの湿潤な風土。主人公の少女ムイの愛らしさ、エキゾチックな風景描写……ああ、なんて心を揺さぶる映画なんだろう。はじめてこれを観た時の若かった自分の感情や心象風景まで思い出してしまい、しばしぼんやりとしてしまった私。
それほど、心に残る映画だった「青いパパイヤの香り」。今、観ても人の情感に訴えてくる傑作であります。
舞台は、1951年のベトナム。主人公の幼い少女ムイは、田舎から都会の家に住み込みの使用人としてやって来ます。戦後間もなくのベトナムって、こんな感じだったのか……そこでは、なぜか中庭の炊事場が、ムイの生活圏。蛙も住み、南国の植物があちこち茂っている中庭――この家にはもう一人、老女の使用人がいるのですが、彼女も女主人もとても優しい。
そこで、ムイは幼いながら、家の床拭きをしたり、料理を作ったりするのですが、この料理を作る場面が秀逸なのだ!
大きなホウロウのタライには、黒い鯉みたいな魚が生きたまま泳いでいたりするし、小松菜を思わせる野菜に豚肉らしき肉を鍋で炒めるシーンは、とても生き生きとして目が離せません。はっきり言って不衛生なはずの庭の炊事場なのに、その料理が何だかとっても美味しそうなのです。生きた魚を、どう料理するんだろう?
ベトナム料理って、いつか食べてみたいな。
ムイが中庭の炊事場で、ご飯を食べる上の写真のシーンーーえもいわれぬ愛らしさですね。
彼女は一日中働きづめなので、文字も知らないし、あまり喋ることもないのですが、地面を這う蟻を見たり、コオロギを竹の籠に入れて飼ったりする感性豊かな、いい子。家の奥に引きこもっているお婆さんにずっと恋し続けているおじいさんと仲良くなり、彼をお婆さんの元へ案内してあげたりまでします。
終始静かなトーンで、台詞も極力排されているため、返って場面に描かれている情景の美しさ、ベトナムの家庭のあり方などが、こちらの感性に響いてくる音楽のごとき映画です。
食事に使う器や、家具、緑濃いむせるようなベトナムの風景――これらのものは、ベトナム人にとっても、遠い郷愁を感じさせるものではないでしょうか?
こんな風にして十年という時が過ぎ、すっかり大人になったムイ。女主人は未亡人となり、家は結婚した長男夫婦が引きついでいます。不景気で使用人を雇う余裕がなくなったため、ムイは長男の友人であり、大金持ちの独身作曲家の家に働きに出されることとなります。
実はこの作曲家というのが、ムイが子供の頃憧れていた人。時々家に遊びに来る長男の親友のために、胸をときめかせ、精一杯身ぎれいにして、料理を彼の前に運んだりしていたのですが、このシーンがとてもかわゆいのだ。
――とまあ、この前奏曲があって、大人になったユイが、彼の家に使用人としてやって来たことで、シンデレラストーリーが展開します。
彼は良家のお嬢さんであるフィアンセを振って、文字も知らぬ使用人のユイを選ぶのですが、正直、こういうロマンチックな話より、ベトナムのエキゾチックさに目が吸い寄せられていた私でした…… 大人のムイは仏像を思わせる美人かもしれないけど、子供時代の方がずっと魅力的に思われたし。
作曲家から、作文を教わるムイ。彼女が美しいベトナム語の詩を、こちらに向かって語り掛けるところで、映画は幕を閉じます。こうした観客の心の襞にそって寄り添ってくるような映画は、ありそうでなかなかないもの、というのが観終わっての感想。
でも、熟していない青いパパイヤって、どんな香りがするんでしょうね?
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