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女優オードリー・ヘプバーン。誰もが知っていると言っても、過言ではないほどで、亡くなってから20年以上がたつ現在でも、多くの人がオードリーについて語りたがる。書店の映画コーナーに行っても、現在の人気スターをはるかに押しのけて、彼女の伝記や写真集が組まれている。
このすさまじいばかりの人気ぶりは、どうしたことか? かくいう私は、オードリーは好きな女優ではない。
ロミー・シュナイダーやヴィヴィアン・リーが好みで、エリザベス・テイラーも嫌いではない私にとって、オードリーは「あまりに一般受けしすぎる」スターなのである。やや、えらがはった小さな顔に、バンビを思わせる大きな瞳、見る人を虜にさせずにはおかない微笑…オードリー・ヘプバーンにとって最大の魅力は、その素晴らしくフォトジェニックな容姿だとは、誰もが認めるところ。 だが、一個の女優としては、どうか?
実のところ、彼女は演技は下手だし、声も悪い。 スクリーンを見ないで、その声を聞いていると、「悪声だなあ」と思ってしまうに違いない。 「ローマの休日」の華々しい成功以後、オードリーは様々な役柄に挑戦してきた。「緑の館」の密林の精霊のような少女、「噂の二人」のレズビアンの噂にさらされる女教師、「パリの恋人」のモデルとして成功する地味な書店員、「麗しのサブリナ」の現代版シンデレラ…。
これらの作品を見ると、「本当にオードリーという人は努力家だったんだなあ」と実感してしまう。自分の可能性を極限まで試し、素晴らしい女優になりたかったに違いない。けれど、残された作品を見ると、背のびしている、という感はぬぐえないし、彼女の意図とは裏腹に「ローマ…」のイメージを引きずる甘ったるいアイドル映画に終わってしまったものも多い。
私が一番好きなオードリーの作品は「尼僧物語」である。ここで、オードリーは良家の娘でありながら、修道院に入り、アフリカにまで現地民の医療活動に身を投じる女性の姿を好演している。 後年、ユニセフの活動で、飢餓地域の子供たちを救うために奔走したオードリーの姿が重なって、「オードリーが戦争に翻弄され、映画界に入ることがなく、豊かな子供時代を過ごしていたなら、こういった生き方をしたかもしれない」と思ってしまうのは、私だけだろうか?
「永遠の妖精」、「天使のような」と形容され、その人柄の良さを多くの人が語り伝えるオードリー。けれど、彼女は自分の両親に愛情を抱くことができなかったし、二度もの離婚を経験している。 スクリーンで見る微笑みの影に、生真面目で、少し気難しく、人になかなか心の開くことのできない女性の姿を見ることができるかもしれない。
1993年、オードリーは、世界じゅうの人々に惜しまれながら、他界した。少女時代は、バレリーナになるために、ハリウッド時代は、素晴らしいアクトレスになるために、息子たちのためには、愛情深い母親として、晩年は一個の人間として、ひたむきに生き続けたオードリー。 「麗しのサブリナ」や「シャレード」、「ティファニーで朝食を」などの華麗なファッションやジバンシーのオートクチュールも脱ぎすてて、自分も難民のような姿で、飢えた子どもたちと向き合った、彼女の姿はいつまでも、人々の記憶に残るに違いない。
息子であるショーン・ファーラーが語った「母は、けわしかったが良い人生を生きた」という言葉は、オードリー・ヘプバーンに対しての一番のはなむけだろう。
このすさまじいばかりの人気ぶりは、どうしたことか? かくいう私は、オードリーは好きな女優ではない。
ロミー・シュナイダーやヴィヴィアン・リーが好みで、エリザベス・テイラーも嫌いではない私にとって、オードリーは「あまりに一般受けしすぎる」スターなのである。やや、えらがはった小さな顔に、バンビを思わせる大きな瞳、見る人を虜にさせずにはおかない微笑…オードリー・ヘプバーンにとって最大の魅力は、その素晴らしくフォトジェニックな容姿だとは、誰もが認めるところ。 だが、一個の女優としては、どうか?
実のところ、彼女は演技は下手だし、声も悪い。 スクリーンを見ないで、その声を聞いていると、「悪声だなあ」と思ってしまうに違いない。 「ローマの休日」の華々しい成功以後、オードリーは様々な役柄に挑戦してきた。「緑の館」の密林の精霊のような少女、「噂の二人」のレズビアンの噂にさらされる女教師、「パリの恋人」のモデルとして成功する地味な書店員、「麗しのサブリナ」の現代版シンデレラ…。
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私が一番好きなオードリーの作品は「尼僧物語」である。ここで、オードリーは良家の娘でありながら、修道院に入り、アフリカにまで現地民の医療活動に身を投じる女性の姿を好演している。 後年、ユニセフの活動で、飢餓地域の子供たちを救うために奔走したオードリーの姿が重なって、「オードリーが戦争に翻弄され、映画界に入ることがなく、豊かな子供時代を過ごしていたなら、こういった生き方をしたかもしれない」と思ってしまうのは、私だけだろうか?
「永遠の妖精」、「天使のような」と形容され、その人柄の良さを多くの人が語り伝えるオードリー。けれど、彼女は自分の両親に愛情を抱くことができなかったし、二度もの離婚を経験している。 スクリーンで見る微笑みの影に、生真面目で、少し気難しく、人になかなか心の開くことのできない女性の姿を見ることができるかもしれない。
1993年、オードリーは、世界じゅうの人々に惜しまれながら、他界した。少女時代は、バレリーナになるために、ハリウッド時代は、素晴らしいアクトレスになるために、息子たちのためには、愛情深い母親として、晩年は一個の人間として、ひたむきに生き続けたオードリー。 「麗しのサブリナ」や「シャレード」、「ティファニーで朝食を」などの華麗なファッションやジバンシーのオートクチュールも脱ぎすてて、自分も難民のような姿で、飢えた子どもたちと向き合った、彼女の姿はいつまでも、人々の記憶に残るに違いない。
息子であるショーン・ファーラーが語った「母は、けわしかったが良い人生を生きた」という言葉は、オードリー・ヘプバーンに対しての一番のはなむけだろう。
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