ただ今、1970年のアメリカ映画「ある愛の詩」を観たところです。 若かりし日のライアン・オニールとアリ・マッグロー主演の悲劇的なラブロマンス。
実は、この映画には、懐かしいエピソードが。中学生の頃、私は集英社のコバルト文庫から出ていた洋画を紹介するハンドブックをそれは、それは愛読していて、何度も繰り返し読んでいたもの。 このティーンエージャー向けの映画の紹介本を読んで、洋画の傑作や名画、昔の映画スターたちの名前が頭に入ったといっても過言ではないのです。
「ある愛の詩」も、その中に入っていました。それでどんな映画かということは良く知っていたのですが、実は実際に観るのはこれがはじめてなのであります。
冒頭、大学の図書館のシーンからはじまって、受付にいたメガネの真面目そうな女学生とハーバード大学の学生との丁々発止の会話が交わされるのですね。
このメガネの黒髪の女性がヒロインのジェニーで、アリ・マッグローが扮しております。もちろん、相手はライアン・オニール。彼は、大富豪の息子で、ジェニーは貧しいイタリア移民の娘……この身分違いのロマンスからはじまって――というのが大まかなストーリー。
こういう設定を見たら、やっぱり時代を感じます。富豪と庶民のロマンスが「物語」になったのは、20世紀までのことじゃないかな? いまではロイヤルファミリーと結婚したとしても、そんなに「シンデレラ」扱いされないような気もしますね。
映像もカラーとはいえ、最近の映画のようにくっきりとクリアで美しくはないのですが、主演のアリ・マッグローのファッションはとてもキュート! この頃は全世界的にミニスカートが流行っていたらしく、彼女もシンプルなミニスカートに太めの黒ベルトをつけたり、太い格子縞のスカートに帽子(このカラーが黄色だったり、赤だったりと若さを強調していて、新鮮!)といった服装で登場するのですが、1970年代のファッションは個人的に好きです。
案の定、大金持ちの父親から結婚を反対されたライアン・オニールは、反抗して家を飛びで、ジェニーと結婚してしまいます。けれども、優秀な成績でロースクールを卒業した彼は弁護士としての職を得、前途洋々の生活が始まるはずだったのですが……そこにジェニーの発病が発覚することに。
彼女は白血病に侵されていたのでした。こう書くと、絵に描いたようなラブロマンスに、愛妻が病気で死んでしまうストーリーなんて……と拒否反応を示す方もいるかもしれません。しかし、それでも、ここで見るアリ・マッグローの魅力は突出しております。 どこか東洋の面影の宿る顔立ちは浅黒く、眉はキリリと太く、黒い目も素晴らしい。
70年代活躍したきりで、姿を消してしまい、私も「スティーブ・マックイーン夫人だった人」というくらいしか知らなかったのですが、こんないい女優さんだったのか――。
アメリカがまだ絶頂期だったころなのですが、スクリーンにあらわれるのはどこか郷愁を感じさせ、ちょっと野暮でさえある感じの都市風景。映画を観ると、過去の時代のファッションや空気感、街の雰囲気までがわかって、そこも大きな魅力になっているのだと、最近になってやっとわかりました。
渋谷にあった東急名画座は、学生時代の私の行きつけでした。大学に行くと家を出て、渋谷で途中下車して、東急文化会館に映画を観に行ったりしていました。
「ある愛の詩」は、「彼女の好きなもの、ベートーベンにバッハ、そしてビートルズ、、、」というナレーションを覚えています。
若い私は、映画のラストで泣きました。
同じ時期に「追憶」も観ました。レッドフオードが美しく、バーブラのキッチンが、真っ赤に塗られていて、キュートでした。
ラストの再会の場面は、感動的でした。
大人になった二人のさりげない出会いが、いい味を出していて、バーブラの心を思うとせつなかったです。
ノエルさんとは、親子ほども年が離れていますが、ノエルさんが、ブログに載せられるご本や映画は、若い日の私が、感動した作品ばかりです。
有難うございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
知人に、自分のDVDのコレクションを下さる方がいて、昔から観たいと思っていたものの、とうとう観る機会がないままだった名画を幾つも観ることができるようになったのですが、「ある愛の詩」も、その一つです。
純愛映画だけれど、今では珍しいほどのピュアさがあって、私もとても感動してしまいました。
ルーさんは、学生時代に、渋谷の映画館でご覧になったのですね。
その頃は、皆、ヒロインと同じようなファッションで街を闊歩していたのかなあ、と思わず想像してしまう私です。
「追憶」についても書かれているので、思い出したのですが、ルーさんのお好きなフイッツジェラルドの「華麗なるギャッビー」を、ロバート・レッドフォードが主演していましたね。
ルーさんは、きっと観ていらっしゃいますよね
少女マンガのような、甘い作風でちょっと気恥ずかしくなってしまうのですが、レッドフォードが輝くばかりにハンサムでした
レオナルドディカプリオの「華麗なるギャツビー」もテレビで観ました。いい映画でしたが、イメージ的には、レッドフオードですか?
お金持ちのデイジーとトムの身勝手さと、ギャツビーの純粋さ、ひたむきさ、悲しい結末で、今の方が、心にぐっときます。
特に最後のページの文章が大好きで「・・・そうしてぼくは、そこに座って、神秘の雲につつまれた昔の世界について思いをはせながら、ギャッビーが、ディジーの家の桟橋の突端に輝く緑色の灯をはじめて見つけたときの彼の驚きを思い浮かべた・・・・・・」etc.にうっとりしてしまったほど。 高校の同級生が、(そんなに話したこともないのに)「あなたが好きそうな本だよね」と、まさにこのページを私の前で、読んでみせたことも印象に残っています。そんなに、人からもわかりやすい趣味を持っていそうに見えたのかな?
余談になってしまいますが、大学の頃、「マリ・クレール」や「ELLE」のファッション誌を読んでいた時、フィッツジェラルドの曾孫だという若い、綺麗な女性が大きな木の下に座っていた写真が、広告の見開きに使われていました。彼女が寄せていた、「家族が代々愛したアメリカを私も愛しています」というメッセージが下に書かれていたのが、今も目に焼き付いています。
木の背後には、白亜といっていいような大きな家が遠くに見えていて、まるでギャッビーが今もそこに暮らしているような、錯覚にとらわれてしまったほどです。
その写真は、一度見たきりなのに、なぜかギャッビーの世界を体現しているような、優雅さがあって、忘れられません。
大学3年の演習で、フィッツジェラルドと運命的出会いをしました。当時は、大貫三郎さんの「夢淡き青春」という邦題のギャツビーの訳書が出ていました。
野崎さんは、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」も訳していらして、サリンジャーは、当時の学生は、みんな読んでいました。
カミュの「異邦人」やサルトルの「嘔吐」などの実存主義も、あの時代の若者は、バイブルのように読んでいました。
柴田翔さんの「さらばわれらの日々」も、人気がありました。
みんなミニスカートやベルボトムのジーンズを履いて、男子は、みんな長髪で、生意気に、女の子も煙草を吸っていました。私は、吸いませんでしたが。
最近、私は、つくづく昭和な女だと思います。
ベルエポックから1920年代、ルパンやギャツビーの時代も好きですが、昭和の渋谷や新宿も懐かしいです。昔のことばかり思い出します。年をとったのでしょうか。
大貫三郎さんという方の「夢淡き青春」という本について、初めて知りました。タイトルが、昔ながらの典雅さが感じられて、私まで読みたくなってしまいました。
カミュの「異邦人」はもう、大好きでした! よく考えると、アルジェリアという耳慣れない異国で、ニヒルな青年が殺人を犯すというとんでもない話なのですが、北フランスの風光が目に浮かんでくるようで、端麗な訳文と共に魅せられてしまったのを覚えています。実はサルトルは読んだことがありません。
それなのに、十年前パリに旅行した時、サルトルとボーボワールのお墓に参ったりなんかしてしまいました。
ルーさんは、全共闘と呼ばれた時代の人達よりは大分お若いと思うのですが、文中からは昔の東京の熱気が感じられるようで、「ああ、そういう時代だったのだなあ」と心の中で想像してしまいました。
私は都会生まれでも何でもないのですが、昔の東京になぜか懐かしさを感じてしまうのです。ミニスカートに、煙草、長髪の男子……何だか、素敵で、面白そうな時代!
私が、1番好きな「ギャツビー」の文章は、「30歳、感動という鞄の中身は薄くなり」のところでしょうか。好きな場面は、デイジーが交通事故を起こした後、ギャツビーが一晩中、邸宅のトムとデイジーを見張っているところです。
ギャツビーがいい人だということを象徴しているような場面で、昔も今も好きです。
家の片づけ中に、村上春樹訳のフィッツジェラルドの短編集が出てきて、少しずつ読んでいます。
ノエルさんのおかげで、また、フィッツジェラルドを読むようになりました。
有難うございます。
窓から外を見れば、雑草が青々と茂っており、それに比べて、ノエルさんのガーデンは、本当に、素敵ですね。
汗がだらだら出て、Tシャツも変えてしまうほどですが、やっぱり掃除をすると、気持ちがシャンとするから好きですね。
ルーさんの方のただいまのお天気はいかがですか?
こちらは今日、明日と予報は雨マークで、その予報通り、外はグレーに曇っていて、今にも降り出しそう。
おまけに蒸し暑いてす。
庭のことをほめて下さってありがとうございます。母がすごく喜びます。
ルーさんのお住まいは、箱根の近くなのですね。和風のおうちなのかな? それとも今風の新しいおうちのかな? と勝手に想像したりしています。
村上春樹訳のフイッツジェラルドを読んでいxらっしゃるとのこと。私はハルキ訳のものは、「グレート・ギャッビー」しか読んだことがないので、ルーさんのように、短編集も、今度読んでみたくなりました。
私の影響を受けて、娘もフィッツジェラルドの短編を読むようになりました。
ノエルさんのおかげです。
村上春樹の訳もいいのでしょうが、やはり、フィッツジェラルドは、短編も天才ですね(当たり前のことですが)
格調高く、綺麗な文章で、すがすがしいです。
ノエルさんは、端麗と表現していらっしゃいましたが、本当にそうですね。
「ELLE]や「マリクレール」を読んでいらして、フィッツジェラルドのお孫さんが載っていたなんて、すばらしいですね。私の時代は、「ELLE」や「マリクレール」の日本版はあったかどうか。フランス版で読まれたのですか。
私は「アンアン」を読んでいました。創成期の「アンアン」は、とんがっていて、よかったです。
当分は、フィッツジェラルドの本をぼちぼち読むつもりです。いつも、有難うございます。
おやすみなさい。