昨年末、東京のMさんから宅急便が届き、そこには本が!本を贈られるって、本当に好きです。
同封のお手紙には、「双子座の僕には弟がいましたが、彼が三十年前どこかへ行ってしまいました。これは、後残された弟の原稿をまとめたものです」との説明が……う~ん、この人を食ったような言葉。いかにも、Mさんらしいですね。それが、この「何を殺せばいいのか」森永誠太郎著。2014年11月、郁朋社から発行されたものです。
Mさんの弟さんの若き日の手記--どんな事が書かれているのかな? とページを繰ってみたらば、「何処へ帰ろうとも、行こうとも思っていない。こんなにも静かに落ち着いて、ゆっくりとこの夜にある。それも、さっき君とあったからかもしれない。静かに、辛い思いもなく、激しい気持ちもなく、僕はある、君の近くに。君にそこに居て欲しい、その美しさを持って。ああ、ただそれだけに、僕はあるでしょう…」--このような抒情的な散文詩が続きます。
作品の背景となっているのは、1971年(私の生まれた年でもあります)頃で、当時大学を卒業した後、九州に戻っていたMさんの弟さん(しつこい!)の心象風景を描いたものから、再び東京に戻って働き始めた日々を綴ったもので構成されています。九州の生家で過ごす、草いきれが感じられる情景から、都会の雑踏で感じる孤独と乾いた心情…今は遠くなった時代の風俗と合わせて、瑞々しい息吹を感じさせる作品集。
都会生活で味わう、やるせなさと行き場のない思い。そうした苦悩など素知らぬ風情で流れてゆく雑踏と巨大な街のうねり。「ああ、私もそうだったなあ」と、思わず自分の青年期を重ねてしまう人も多いのでは? 遠く明々と照らし出される青春の日を蘇らせてくれる書であります。
P.S 本の帯に「平成によみがえる『二十歳のエチュード』」と説明がありましたが、原口統三の「二十歳の…」は、ひところ若者たちのバイブルだったとかいう本ですね。私も、中学生の時、読んだのですが、もうすっかり内容を忘れています。詩人肌であった一高生の著者は、この遺稿集を残して、自ら命を絶ったのでした。
同封のお手紙には、「双子座の僕には弟がいましたが、彼が三十年前どこかへ行ってしまいました。これは、後残された弟の原稿をまとめたものです」との説明が……う~ん、この人を食ったような言葉。いかにも、Mさんらしいですね。それが、この「何を殺せばいいのか」森永誠太郎著。2014年11月、郁朋社から発行されたものです。
Mさんの弟さんの若き日の手記--どんな事が書かれているのかな? とページを繰ってみたらば、「何処へ帰ろうとも、行こうとも思っていない。こんなにも静かに落ち着いて、ゆっくりとこの夜にある。それも、さっき君とあったからかもしれない。静かに、辛い思いもなく、激しい気持ちもなく、僕はある、君の近くに。君にそこに居て欲しい、その美しさを持って。ああ、ただそれだけに、僕はあるでしょう…」--このような抒情的な散文詩が続きます。
作品の背景となっているのは、1971年(私の生まれた年でもあります)頃で、当時大学を卒業した後、九州に戻っていたMさんの弟さん(しつこい!)の心象風景を描いたものから、再び東京に戻って働き始めた日々を綴ったもので構成されています。九州の生家で過ごす、草いきれが感じられる情景から、都会の雑踏で感じる孤独と乾いた心情…今は遠くなった時代の風俗と合わせて、瑞々しい息吹を感じさせる作品集。
都会生活で味わう、やるせなさと行き場のない思い。そうした苦悩など素知らぬ風情で流れてゆく雑踏と巨大な街のうねり。「ああ、私もそうだったなあ」と、思わず自分の青年期を重ねてしまう人も多いのでは? 遠く明々と照らし出される青春の日を蘇らせてくれる書であります。
P.S 本の帯に「平成によみがえる『二十歳のエチュード』」と説明がありましたが、原口統三の「二十歳の…」は、ひところ若者たちのバイブルだったとかいう本ですね。私も、中学生の時、読んだのですが、もうすっかり内容を忘れています。詩人肌であった一高生の著者は、この遺稿集を残して、自ら命を絶ったのでした。