山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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大龍寺と芳心院合併 【龍心寺誕生】

2022年07月13日 17時24分14秒 | 郷土史
闢雲寺末大島郡屋代村
芳心院

右合併被仰付大龍寺地江住居被仰付候事
御沙汰相成候条付而ハ両寺之縁字を以、龍心寺と
改称寺印之儀ハ龍心寺と相改、事務法勤等ハ
年番ニ〆相勤度候様申合願出仕候事
右願之通御免相成候条此段御届申上候事

明治四未ノ八月 大嶋郡屋代村

大龍寺

玄 英 花押

龍文
御役寮

大龍寺と芳心院合併 3

2022年07月13日 17時20分34秒 | 郷土史
大島郡 屋代村
大龍寺

右合併被仰付大龍寺地江住居被仰付候叓
右今般合併仰付候ニ付住居之儀者前断之通
被仰付其之外之儀ハ最前沙汰被仰付候通可
被成御沙汰候    己上

三月廿三日      小幡 彦七
              橋田 勝左衛門

兼 重  大 属 殿

右之通可有御沙汰候     己上

三月廿九日      兼 重 大 属

羽仁 権少属 殿
高林 猪三郎 殿

右之通御沙汰相成候条其御沙汰可被成候    己上

三月廿九日      藤井 彦右衛門

中原 彦九郎 殿

右之通御沙汰相成候条其御沙汰可被成候    己上

四月朔日      藤井 彦右衛門

大龍寺 様

大龍寺と芳心院合併 2

2022年07月13日 17時15分50秒 | 郷土史
大島郡 屋代村
大龍寺

右合併被仰付大龍寺地江住居被仰付候叓
右今般合併仰付候ニ付住居之儀者前断之通
被仰付其之外之儀ハ最前沙汰被仰付候通可
被成御沙汰候    己上

三月廿三日      小幡 彦七
              橋田 勝左衛門

兼 重  大 属 殿

右之通可有御沙汰候     己上

三月廿九日      兼 重 大 属

羽仁 権少属 殿
高林 猪三郎 殿

右之通御沙汰相成候条其御沙汰可被成候    己上

三月廿九日      藤井 彦右衛門

中原 彦九郎 殿

屋代島、大龍寺と芳心院は合併

2022年07月13日 17時06分19秒 | 郷土史
大龍寺と芳心院は合併し、名を一字づつ採り「龍心寺」とし継承寺院を大龍寺とした経緯が「古文書」形式で記録されています。裏書きを採る形で、関係役職へリレーされる形のものです。これらが、現在の役所や会社の稟議書や決済書にもその形を継承していますね。長州藩方式が全国に伝わったのかも(笑)

【合併記録】



明治三庚午十一月
御改正  合併記録
龍心寺十八世代

明治三庚午年御堂合併被仰出候ニ付
當寺芳心院合併志始末御沙汰捉左通

今般御改正ニ付寺堂合廃沙汰被仰付候断村己下
種々申立之趣役向江手筋を相求内嘆願申出御改正
之御手練ニも相成就而者復終ケ間敷取扱候族と
有之哉ニ相聞不相済事ニ付右躰之趣出相聞より
當人ハ不及申相携候ものと法度御咎可被仰付候事

右之通諸寺院江触達被仰付候事

庚午十一月

右之通可有御沙汰候己上

午十二月十六日      兼 重 大 属

羽仁 権少属 殿
高林 猪三郎 殿


長穂村龍文寺末禅宗
  屋代村  大龍寺

山口闢雲寺末禅宗
  同村   芳心院

右合併被仰付村己下便宜之寺院江住居被
仰付両寺之縁字を以一寺号ニ改称當住之儀者
月番又ハ年板として寺務引受相勤候様被仰付
候事

右之通被仰付候条其御沙汰可被成候己上

午十二月十六日      兼 重 大 属

羽仁 権少属 殿
高林 猪三郎 殿

右之通御沙汰相成候条御本文之趣を以合併寺一寺号
改称被仰付候分寺号急速申出候様旁々其御沙汰可被
成候    己上

十二月十九日      藤井 彦右衛門

中原 彦九郎 殿

右之通御沙汰相成候条左様御承知可被成候  己上

十二月十九日      中原 彦九郎

明治三年大島郡諸寺院合併記録

2022年07月13日 16時57分10秒 | 郷土史
明治維新を先導した長州は新政府を樹立し、王制復古の大号令を発し諸事一新のため
慶應四年三月「神仏分離令」が太政官布告として発令されました。

所謂、「廃仏毀釈」であり、神道を中心とし天皇家を国の中心に据え、幕藩時代に役所としての役割や
事ある場合の基地になりかねない全国の寺院の勢力を削ぐ明治政府の一石二鳥の策と言われます。

維新の震源地、長州もその波に呑みこまれ、神仏分離、諸寺院の合併による半減方針が施行されました。

村上水軍宗家能島村上家菩提寺、大龍寺もその波は押し寄せました。

この「大島郡諸寺院合併記録」は大龍寺十八世雄峯玄英大和尚の手になるもので、原本は大龍寺
(現・龍心寺)蔵を大島町文化財保護審議会の平津幸男氏が謄写したものを
元としています。手書きなので、漢字の変換ミスがあろうかと思いますが、詳しく知りたい場合は
龍心寺へお問い合わせ願います。

後世のため、とても貴重な資料故、UPしておきます。