私を含めて大龍寺を大竜寺と書く人がいるが、
正しくは「大龍寺」です。
語源は村上山城守隆勝公が天文二年に亡くなり、法名を「大龍寺殿」としたこと
に始まりますので「龍」です。
尚、「萩藩閥閲録村上図書の条」では隆勝の卒年を誤っています。
子孫が勘違いしたのでしょうね。
大龍寺扁額をUPします。
これは現在龍心寺に掲げられています。書いた人は本山永平寺門主されます。
この書を書くに当たりエピソードがあり、
「村上天皇末裔の北畠流村上家であるなら、永平寺宗祖道元禅師の親族であるから
喜んで書きましょう」と筆をとったとされるものです。
道元禅師は村上天皇の末裔の久我家の者とされます。
永平寺寺紋は「久我竜胆紋」で村上天皇末裔は「竜胆紋」を変化させていくようですね
正しくは「大龍寺」です。
語源は村上山城守隆勝公が天文二年に亡くなり、法名を「大龍寺殿」としたこと
に始まりますので「龍」です。
尚、「萩藩閥閲録村上図書の条」では隆勝の卒年を誤っています。
子孫が勘違いしたのでしょうね。
大龍寺扁額をUPします。
これは現在龍心寺に掲げられています。書いた人は本山永平寺門主されます。
この書を書くに当たりエピソードがあり、
「村上天皇末裔の北畠流村上家であるなら、永平寺宗祖道元禅師の親族であるから
喜んで書きましょう」と筆をとったとされるものです。
道元禅師は村上天皇の末裔の久我家の者とされます。
永平寺寺紋は「久我竜胆紋」で村上天皇末裔は「竜胆紋」を変化させていくようですね