首がおかしなふうに枕から落っこちている、と気づいたときにはもう遅かった。寝違えてた。いてー!
春なので、よく夢を見ます。今朝の夢にはウテナが出て来たなあ。夢のなかの彼女は、アニメの彼女よりさらに完璧な人物でした。完璧なウテナをアニメで見るという夢だった。美しくて楽しい夢を見ていたはずなのに、起きたら首を寝違えていました。いてえなあ。
春と言えば、夢です。
去年の今頃には、夢を題材にした素晴らしい映画『インセプション』を観ました。私は『マトリックス』以来の超傑作だと感じたこの映画ですが、主人公たちは他人の夢のなかへ、幾重にも重なった夢の深層へと潜り込んでいきます。そのうちに、どこからが夢で、どこからが現実なのかが曖昧になってしまう。「ここが夢のなかではない」ことを自覚するために、彼らはそれぞれトーテムというものを持っていて、たとえばコマを回してそれが回り続ければまだ夢のなかであるというように判断します。
ここはまだ夢のなかなのか。
3月11日のあと、ここは誰の夢のなかで、どうして目が覚めないのかと私は苦しみました。けれども私にはトーテムがないので、今でもここが誰の夢のなかで、どうして目が覚めないのかがわからずにいます。
夢が幾重にも重なっていて、そのなかには私が憧れるような美しい夢もあって、だとしたら私はそんな夢のなかに留まる術を探すべきじゃないだろうか。たとえば今朝見た夢のような。たとえばあのとき見た夢のような。どのみち目が覚めないなら、そんなふうに夢のなかを生きるべきなのかもしれない。もしかしたら、生きるというのはそういうことだったんじゃないか。夢を実現するというのは、そういう意味だったのかしら。
寝違えた首の痛みも夢かもしれない。と思ったけれども、やっぱり痛くて左を向けない。よし、今度は寝違えても首が痛くないような夢を、いや、そもそも寝違えたりしないような夢を見ることにしよう!