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アルゴリズム行進

2009年07月02日 | 夢の記録

一歩すすんで前ならえ…




詳細は忘れてしまったが、リアルな夢だった。


夢のなかで私は、列の途中に入って、一生懸命【アルゴリズム行進】の動作をするのだが、「空気入れます、シュウ、シュウ」のところでどうしても躓いてしまう。次の「空気が入って、ピュー、ピュー」と、どうしても繋げられないのだ。

もたもたしている私を、誰だか知らないけれど夢のなかでは私のよく知る人が厳しく叱る。なんで出来ないのか、と激しく責められるのだが、焦れば焦るほど、私はいっそうもたもたしてしまうのだった……。


うなされて、目が覚めた。
昨日から、何をやってもうまくいかないし、なにやら妙に寂しくてたまらない。はぁ。腹が減ってるからかな。タラコとか骨付きラム肉とか(←私的ごちそうの代名詞。ウナギでも可)、景気付けに買って食うかね……。



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吉野行

2009年05月20日 | 夢の記録

とりとめもなく夢のはなし。


よく味わう前に桜が散ってしまったのが残念だというK氏を、「吉野の奥のほうならば、まだ咲いているかもしれない」と言って誘い出す。念のため、インターネットで【桜開花情報】のサイトを確かめてみると、吉野のあたりは辛うじて桜が残っているらしいことが分かる。

K氏を誘ったはずだったのだが、どういうわけか、私の連れは小学校時代の久しぶりに会う女の子の友達である。彼女は昔のまま、小学生の姿のままだ。いや、それより少し成長していたかもしれない。一方、私は三十三歳より少し若かったように思う。
さっそく駅で吉野へ向かう電車のチケットを買うのだが、特別なチケットらしく、一週間の有効期限のうち、土日利用と平日利用では後で請求される値段が違うという。土日は高額である。資金に乏しい私は、「ならば平日に…」と思いつつも、今日は土曜日で、なんとなく平日を待てないまま電車に乗ってしまう。いくらくらいかかるのかはっきり分からないので、とても不安だ。やや曇って暗くなってきた空を眺めながら、電車に揺られる。

吉野へ着くと、連れの人数が知らないうちに四、五人に増えている。しかし、いずれも私の知人ばかりだ。そのなかにK氏もいた。愉快なハイキングの様相を呈してきた。私たちはどこで調達したのか思い出せないが、しっかりと食事の用意をしてあったので、丘の途中で昼食をとることにする。四角い弁当箱にぎっしりと詰まった白いご飯と、サバだかサンマだかホッケだかの大きな魚の開きを、これまたどこから持ってきたのだか分からないがバーベキュー用の炭火焼コンロで焼いて食べる。しかし魚は結局一匹余ってしまった。あとで食べようかと言うことで、どこかへしまっておくことにする。しかし、どこへしまったのか……よく思い出せない。

吉野へは桜を見に来たはずだったのだが、どうやら今となっては、我々の目的はあの山の頂上を目指すことらしかった。日帰りだというのに、あんな高いところまで登れるのだろうか。それに、吉野にしては随分と切り立っている気もする。でもまあ、とりあえず先へ進もうじゃないかと言い合って、一列に連なって細い山道やゆらゆらする吊り橋を渡ったりしてずんずんと登って行くのだが、途中で霧がかかってきた。帰りの電車の時刻を考えると、やはり頂上へ到達することはどうやら無理らしい。私たちは諦めて、いつかまた、今度は一泊するつもりで再挑戦することにしようか、とあっさり引き返した。

食事をとった丘まで戻ってくると、まだ帰りの電車までは少し間がある。それぞれにしばらく休憩した。私は丘の斜面で、K氏にじゃれついて彼の首にぶら下がると、K氏は私をぶら下げたまま軽やかにくるくると二、三周まわった。私はそれが楽しくて大笑いする。

そろそろ駅へ向かわないと。駅前の商店街の細い道を上がって行く。ふと空を見上げると、私たちの歩く道に沿って、大きな鳥が飛んでいた。藍色の巨大な、太い足の鳥が優雅に羽ばたくたびに、立派な羽根の先が靄のように柔らかくなびいている。美しいとは思うもののどこか不格好でもあると思って見ていたら、不意にその鳥が脇道にある工務店の前に下り立った。私が驚いて口を開けていると、大きな鳥は太い二本足で真っ直ぐに立って、右の翼で工務店の戸をがらりと開けて中へ入っていった。あれは実は人だったのだ。

さきほどからずっと暗い空から、いよいよ雨がぽつぽつと降り出した。私は傘をさす。駅まではほんの少しの距離だったから、無駄だったかもしれない。すぐに駅の構内にある土産物屋に入った。私はただちに傘を畳むつもりだったのだが、さしたまま少し店内に入ってしまう。土産物屋にはガラス製品ばかり置いてあるので、店の主人は私の傘を恐れて、私の両方の脇のあたりを太い人差し指で突き刺しながら、私を外へ追い出す。私は突っつかれているのが、くすぐったいような痛いような気持ちで、「ご迷惑をかけて申し訳なかったですが、傘ならもう畳みました」と言いたいのに、声も出ない。苦しくて畳んだ傘を放りだした途端に、左手から現れた数人の子供たちがそれを奪って走り去ってしまう。私は傘を取り戻すために彼らを追いかけたいのに、土産物屋の主人がまだ私を離してくれないのでできない。もうすぐ電車も出る頃だ……しかし、脇がくすぐったくて、私は石のように固まって動けない。離してくれ、そろそろ離して――



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という夢を見た。山の夢は久しぶりだ。結局、登らなかったのだけれども……。私の夢には、山とか大きな鳥がよく登場する。あの鳥には少しだけ見覚えがある。だけれども、前に見たときは色が違ったな。あの時は茶色かったし、お寺の庭の大きな松の枝にとまっていて、とても良い香りがした。ロシアの砂浜で見かけた時は(もちろん、夢のなかのロシア)、色が白かったし、何羽もいた。
それから、前に見た登山の夢では、いきなり山の頂上に辿り着いてしまっていたのだっけ。そのあと大津波に襲われたのだったな。私はそれで、自分が新聞記者だったことを思い出して……。


余談ですが、夢のなかでK氏が私を首にぶら下げたままくるくるとまわったのがあまりに楽しかったので、実際にやってみてもらったところ、リアルの私は重すぎて、少しも軽やかにまわれませんでした。そりゃそうか。夢のなかの私は羽根のように軽かったのだがなぁ……。





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今朝の夢で

2009年04月04日 | 夢の記録





いくつかの体調不良がコンボしたおかげで、しばらく寝てました。寝まくり。

それで、その間中、夢ばかり見ていました。目が覚める前に、だいたい2本ずつくらいを夢見ているのですが、「ああ、もうすぐ覚めてしまいそうだから、ちゃんと覚えておこう」と気張っているにもかかわらず、起きた途端にさらさらと記憶が流れ落ちてしまうので残念。いやまあ、今のところはたいして面白い夢を見ていないからいいんですけど。

ゆうべはK氏が「朝まで Star Trek DS9!」とか言って、夜中から明け方まで第7シーズンを7話分くらい見るのに付き合ったら、またまたたいそう疲れました。というわけで、びっくりするほどの単純さに自分でも呆れてしまいますが、そのあとの夢で私は大好きなジャッジア・ダックス(←DS9の登場人物。美女)に向かって、「私があなたをどのくらい愛しているか、どんなふうに愛しているか、とても一言では説明できないですよ…」と泣きながら訴えていました(ちなみに、ゆうべ見た中にはジャッジアは登場しません…;)。

ジャッジア・ダックスに熱い想いをぶちまけながら、私は、「しかし私が愛しているのは、ジャッジアなのか、ダックスなのか……多分そのどちらも愛しているんだ」ということを伝えたいのに、うまく言えずに悶々としていたようです。ドラマを見ていない人には何のことだかサッパリですよね。スミマセン。
トリル人のジャッジアと、彼女の体内に共生するダックスとは、厳密には違う生命体です。ひとりだけど二人(もっと厳密には共生生物ダックスは寿命が長く、ホストを次々と変え、ジャッジアはその8番目のホスト。ダックスを共生させることで、ホストは歴代ホストの記憶を受け継ぐことになるらしい。なので、体はひとりだけど、人生は8人分。みたいな)。

第6シーズンと第7シーズンにかけては「ダックス・インパクト」とでも言うべき衝撃展開があって、私はここを乗り越えるのにかなりの年月を要したわけですが、こないだとうとう乗り切りました。予想どおり、数日間は立ち直れませんでした。もうだめだと思った……。だけど、あの夢を見たからには、もう大丈夫な気がする。もう大丈夫というサインだという気がした。

とにかく、どうにかDS9自体のクライマックスもいよいよ目前で、およそ10年がかりでようやく、私はこのドラマシリーズを見終えるということになりそうです。
さびしい。さびしい。たまらなく、さびしい。

うーむ。だけど、見れば見るほど、DS9は面白いドラマだと思う。面白いなあ。面白い。宇宙は広いのに、そこには未知への興味と果てしない冒険があるのに、どうして……という深い物語。どういうオチをつけるのか、楽しみでなりません。


あ、2本立てでもう一個夢を見ましたが、そちらはどこかの喫茶店兼貸本屋(?)かなんかのお店で、店主のおじさんが親切にも私に「この短編集には、こういう作品が入っていてね……」みたいに教えてくれるという内容でした。その短編集が異常に面白そうで、私はたいそう興奮しておりました。喫茶店の経営はやや厳しいらしく、色々と苦労がありそうな気配で……。あとは忘れた。


春にはどうして夢ばかり見るのでしょうね。



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出張

2009年01月28日 | 夢の記録



どうにか毎日更新したいと思って、最近はわりとがんばっているのですが、そうそう毎日ネタは見つかりません。しかし、そこを絞り出してこそ、鍛錬というものです。

というわけで、今朝見た夢の話です。

私はどうやら会社勤めをしているらしく(しかしやはりバイトの身分)、その日も夕方6時過ぎまで仕事をしておりました。そこへ昔からの友人でもあり、職場の同僚でもある I氏(この人は正社員かつ私の上司)が私に、「君、明日から出張ね」と言う。急な話に(しかも私はバイトの身分なのに)驚いたけれど、どうやら誰でもいいからとにかくその場へ顔を出さねばならない重要度は低いが緊急の用事らしい。
「で、どこへ?」と私が聞くと、上司は「パキスタン」とこたえた。
はあ? 明日から急に海外出張って、ありえねえ! 荷物とか準備できないよ! と、一瞬憤慨した私だが、日頃の従順さを発揮して、つい承諾してしまった。まあパスポートもあることだし。

そして、夜通してんやわんやでどうにか支度して、夜も明けきらぬ早朝から空港へ向かった。眠くてたまらないが、飛行機に乗ってからいくらでも寝れるだろうと我慢した。
慌てていて朝食もとれなかったので、空港の売店で何か買って食べようと思うのだが、どれを買うか決められず、結局何も買えなかった。飛行機に乗ったら機内食が出るだろうと気が付いて、もう少し我慢することにした。

予定時刻の少し前、私が乗るはずの飛行機の搭乗口の手前で、ゲートが開くのを待っていたら、直前になってここは別の飛行機の乗り場であったことに気が付く。
どうしよう、もうすぐ離陸してしまう! というか、ここから正しい乗り場までどうやって行ったらいいんだろう? ゲートの番号は合ってたと思ったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう? 私はなんでいつもこうなってしまうのだろう……


というような夢でした。起きた直後は味覚の記憶もかすかに残っていたので、この夢はほんとうはもっと盛りだくさんだったような気がします。大部分を忘れてしまっているようです。出張先がパキスタンだったかどうかもアヤフヤですが、どこかそのあたりだったような気はします。で、結局なんだかんだで私は出張先に辿り着けた気もする。もやもやして全然思い出せないですが、なんとなく感触は残っています。

それにしても、あまり楽しい夢ではないですね。いや、わりと楽しかったけど、なんか疲れた。
どうせならもっと素敵な夢が見たい。ああいうのとか、こういうのとか。しかし、なかなか夢を選んで見ることはできない。だからこそ楽しい。だからこそ、素敵な夢には価値がある。と、分かってはいるのですがね……



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水色の悪魔

2008年09月24日 | 夢の記録
こんな夢を見た人もいる。
シュールな。





このところ、見た夢をあまり覚えていられないことに悩んでいるのですが(←悩むようなことか;)、いくつか断片的に覚えているものもあります。

ひとつは、私はまだ大学生くらいで、仲間たちと一緒に海へ来ているのですが、その海が奇麗で、透明で大きな分厚いクラゲが大量発生、しかも田舎の海なのに「海の家」が軒を連ね、焼き鳥やらトウモロコシやら、競って売りまくっている。
という夢。意味はさっぱりなさそうだけど、印象的でした。

もうひとつは、ミステリー。たぶんポワロが登場してました。こないだまでポワロ漬けだったのが影響しているかもしれません。
それは「水色の悪魔」というタイトルで、私は「ふーん、面白い」と思ったような記憶があるので、どうやら夢の中で私はテレビドラマを見ていたのではないかと。
内容はすっかり忘れてしまいましたが、「水色の悪魔」という響きが美しくて、よく覚えていました。


うーむ。そろそろ「美術学校」の続きが見たい私は、目下、夢ネタで漫画を描かねばならぬところです。

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最後の法則

2008年07月25日 | 夢の記録


「ああ、これで万事解決。そのほかのこともきっとこれですっかりうまく運ぶに違いない」

という高揚感と達成感に満たされた私は、これを忘れないうちにちゃんと記憶しておかなくては、と半覚醒の頭に言い聞かせました。ところが、やはり起きてみるといつものとおり、何がどうしてああだったのか、すっかり忘れてしまいました。なんてこった。輝かしい光に包まれたという感触だけ残って、肝心のところは1ミリも覚えていないぜ。


こういう、全てが丸くおさまる完全無欠の法則を夢の中で発見してしまうことは、誰にでもよくあることではないでしょうか。私もこの手の夢なら、もう何度となく見ています。夢の中での栄光がある分、起きてそれが忘却の彼方へ消え去ってしまったことを知ったときの失望感は実に堪え難いものです。思わず二度寝してしまったほどです。いや、もう一度あの夢を取り戻せるかと思って(しかし、それが成功した試しがないことも、嫌というほど知っているのだが)。

それにしても今朝は残念だったな。あとちょっとだと思ったんだけどな。でも、これは良い徴候です。というのも、最近の私は怠けていてあまり物を考えなかったのですが、こういう夢を見るのは、たいてい何か問題意識を持っている時だからです。そういう時には、夢の中でも私は私のまま登場することが多い。今朝もそうだった。それ以外のすべてを忘れてしまったのは残念だ。

もう一度あの夢を見たいので、もっとがんばらなくては!

せっかく見てもいつも忘れてしまうこの手の夢ですが、私にやる気を出させるという実際的な効用もあるにはあるのでした。あー、夢って不思議。

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夢のような光景

2008年03月07日 | 夢の記録

 レインコートに 雨の雫が落ちて
 笑顔を浮かべた君のことが 好きさ
 ラズベリーブルーの草原に出たら くちづけを交わす
 あまりにも強い 風のなかで

   「ダンデライオン」 -- Blankey Jet City




一年前のちょうど今頃に見たあの夢(『緑色の椅子』)のイメージがどこからきたのか、不意に分かった気がしました。

Blankey Jet City の「ダンデライオン」は、私が昔からとても好きな曲のひとつです。 春になったせいか、このところずっと頭の中を流れていました。いい加減な私はしかしこの歌が好きで暗唱はしているものの、詞にはそれほど注意していなかったのですが、少し前のある日突然につながりました。私が見た夢と。

私が見た夢は、それはそれは美しい夢だったのですが、そのイメージがもしもこの歌からもたらされたものだとしたら、それはあまりに面白い。私がうっかりしてやり過ごしている事柄を、夢の世界はさりげなく利用しているのだとしたら、面白いではないですか。私が適当に収納して、どこへやったか忘れてしまったような美しいものごとを、夢がときどき取り出して見せてくれているのだとしたら、私はもう忘れかけた、あるいはすっかり忘れ去った綺麗なものをまたふたたび「今まさにその場にいるように」夢のなかで体験できるということではないですか。

しかも、実体験での美しい出来事のみならず、美しい歌、美しい絵、美しい景色、美しい写真、美しい文章などなど、私が実際に体験していない美しい事柄までもが夢の世界へやってくるのだとしたら。私はそこで「まるでそれを私のことのように」体験できるのだとしたら。

すごい発見をしてしまったかもしれない…。

そう思うとドキドキして、今日はまったく仕事が手につきませんでした。

美しいものをたくさん集めたら、夢はもっと美しくなるだろうか。そうかもしれない。もしうっかりして忘れてしまっても、もう悲しまなくていいような気がする。とは言え実際には、忘れたという段階では悲しみをとっくに通り越しているから、悲しさなどもはや感じないだろうけれど。悲しいのは、忘れてしまいそうなときと、思い出したときだろうか。それを恐れなくてもよいのかもしれない。

過ぎ去ってゆくことを、夢の世界は忘れていないでちゃんと保管しているのかもしれないという仮定は、春の私を震えさす、強烈に美しい仮定だったのでありました。

美しい夢の春、私を忘れないでくれたまえ。



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初夢をみっつ

2008年01月04日 | 夢の記録

初夢というのは、正月のどの夜に見る夢のことをいうのだったか、いつも忘れてしまう。年が明けてから私はすでにいくつかの夢を見たけれど、みんな忘れてしまった。ところが、今日すこし風邪気味だったので長い昼寝をしたところ、久しぶりにあの夢を見た。あの夢というのは、夢の中でも私が私のままで登場する「美術学校の夢」である。冬休みだった。それから他にふたつの夢を続けて見た。


1.美術学校の冬休み

 私は数日いなかへ帰省したあと、美術学校の寮へ戻ってきた。冬休みの課題を仕上げようと思って窓際の机に向かっているのだが、まったく捗らない。いらいらとして飲み物のカップや菓子を盛っていた皿を、ごちゃごちゃと机の上に散らかしていた。窓の外は曇り空である。
 このままでは埒があかないと、私は資料室へ向かう。入り口で先生と一緒になった。
 この先生はぽっちゃりとしたフランス人の女の先生で、いつもタイトなえんじ色のスーツを着て髪を後ろにひっつめている少し厳しそうな雰囲気の先生なので、私は一瞬ためらってから「先生、こんにちは」と挨拶をした。すると先生も「こんにちは」とこたえてくださった。
 私と先生は静かな資料室に入ってから、少しばかり冬休みをどう過ごしたかについて話し合った。先生は年末から家族でフランスへ帰り、さっき学校へ戻ってきたところなのだと楽しそうに笑ってお話しになる。私も年末には郷里の富山へ帰っていたので、向こうの冬はたいていは雪で薄暗く寒いのですというようなことを言うと、
「ああ、それであなたの作品はいつもどこかしんとして寂しいところがあるのね」
とおっしゃった。
 私は突然に雪が白く積もった平らな地面と、白く泡立つ勢いで渦巻きながら流れてゆく緑色の川のことを思い出した。そして、先生が私という生徒をちゃんと認識してくださっていたことに驚いた。冬休みの課題をもうすぐにでも仕上げられるような気持ちがした。

 資料室には、学校の出版局から出ている辞典のように分厚い資料集が、古くなったために12冊組で売りに出されていた。『学内における言語使用状況の分析』(上下巻) は私にはまったく必要ないように思われたが、別の資料はとても魅力的だったので、私は購入することにした。要らないものはあとでブックオフに売ればいいと思ったのだが、こんな特殊な本を引き取ってくれるだろうか、それだけが少し気になった。



2.鮭の遡上

 私はある一級河川の流れのすぐそばに住んでいる。下流から上流へ差し掛かるちょうと真ん中あたりに家があった。冬場には川の水量が増すためか、川に面した1階の部屋の大きな窓の半分くらいの高さまで、家は川に沈んでいた。その窓からは、水族館の水槽の向こう側のように水中を泳ぐ魚を見ることができた。
 私がそうやって川の中をのぞいていると、産卵のために川を遡ってきた鮭の群れがやってきた。どれもみな太って、がっしりとした顎を持ち、ぐんぐんと勢い良く遡っていく。それが何百匹も連なっている。
 興奮した私は、これを写真に撮っておこうと思い、カメラを窓に押し当てた。ところがその時になってはじめて気が付いたのだが、ガラス窓の向こうには網戸が張られていて、網目が画面を邪魔してうまく撮影することができない。そうこうするうちに鮭の群れは途切れてしまった。
 がっかりしてしばらく下流のほうを見ていたら、今度はなにか白い腹をぐにゃぐにゃさせた筒のような形をした魚がこちらへ流れてきた。押し出されるようにどんどん流れてくるので、私はもっと下流のほうからこの魚を狙う大きな魚がやってくるのかもしれないと考えた。
 それが鮭だったらいいのに。写真はきっと撮ることができないだろうが、それよりも私はもう一度鮭を見たいと思うのだった。


3.消防士

 (夢の中の私は小学生くらいの男の子だった。)
 僕はこのあいだ覚えた地図記号が面白かったので、一緒にいた大人二人に問題として出した。僕にはその記号は、悲しんでいる人の顔のようにしか見えない。二人にもやっぱり何の記号なのだか見当も付かないらしく、ああでもないこうでもないと言い合っていて、いつまでも答えが当たらないので愉快だった。
 しかし、いつまでも正解が出ないことに飽きてきた僕はいくつかヒントを出してやった。すると、二人のうちの一人がようやく正しく答えた。その記号は「公民館」の記号だった。

 僕は山間の小さな町に住んでいる。父は消防士で、今日は正月休みも取れずに出勤していった。消防署は僕の家からすぐのところにあり、この日にもひっきりなしに救急や消防が出動していくのが分かった。
 僕はさっきから一緒にいる大人二人と連れ立って、海の方まで歩いた。僕の家は山間にあるのだけれど、海も近い。ただし砂浜はなく、海岸線は切り立った崖となっている。その崖に沿って車道が2本走っているのだった。
 僕らが冬の暗い海と、もうすぐ濃くなりつつある霧のかかった灰色の空を眺めていたら、その霧を突き抜けるように大きな明るい炎をあげて横切るものがあった。
「戦闘機だね」
 と僕は言ったけれど、そのあとで霧の隙間から少しだけ緑色のボディが見えたので、あれは戦闘機ではなくミサイルだったと気が付いた。決まりが悪かったが、二人は何も気にしていないようだ。海上の遠くには、大きな黒い船が何隻も集まって昼間なのにそれぞれが巨大なライトを点していた。ミサイルはその方向へ飛んでいった。

 道ばたでそうやってぼんやりしていたら、出動先から消防署へ戻る父が消防車をひとりで運転してやってきた。僕をついでに乗せて帰ってくれると言う。
 二人と別れ、僕は助手席に乗り、海岸線に沿った崖の上の道路から、暗い冬の海を見おろして帰ってきた。
 消防署の地下に駐車場があって、父はそこへ消防車を入れた。本当なら消防車を駐車するときには二人で作業しなければならないらしいのだが、忙しくて人手が足りないために、父はそれを一人でやった。
 それはとてもすごいことだ、と僕はしきりに感心したのだった。




という、どことなくそれぞれが繋がっているようなそうでもないような、しかしとても印象的な夢をみっつ続けて見た。ほんとうに久しぶりに「美術学校の夢」を見られたので、私はとても嬉しい。いつもの夢に比べると短いような気もするが、それでも嬉しい。今年はまたいくつかこの夢の続きを見られるのだろうか。


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小鳥

2007年07月21日 | 夢の記録
がらんとした土曜の午後の教室に、私は友人とふたりでいた。
教室の奥の窓べでぼんやりしていると、手すりのほうへ小さな青い小鳥が二羽飛んできた。水色の羽毛に覆われた鳥の腹は真っ白だった。二羽はせわしなく羽ばたきながら我々のほうへとやってきた。

私は左手の指に彼等を止まらせて、そのさまを友人に写真に撮ってもらおうと思いつき、手すりのうえへ手を差し出すが、二羽はともに見向きもしない。彼等は開かれた窓から我々の頭上をさっと飛び抜けて、教室へとはいりこんだ。私はむきになって彼等を捕まえようと部屋のなかを右往左往するが、彼等の飛ぶのがあまりに速いので追い付けない。

しばらくして、疲れた私が部屋の真ん中でじっと立っていると、真っすぐこちらへ飛んできた一羽をどうにかうまく捕まえることができた。私の手の平に収まった青い小鳥は、柔らかくとても軽かった。そっと手をひらいてみると、小鳥は白目をむいてすこしも動かない。「殺してしまっただろうか」と心配になって、その小さな頭を覗きこむと、ふいにまた猛然と羽ばたいて私から飛び去った。

私はいまの短い観察から、「どうやら彼等は気を失いながら飛ぶことで、あれだけのスピードに耐えているらしい」と結論した。


青くて小さな美しい小鳥が二羽、ずっと窓辺で羽ばたいている。しきりに羽ばたきながら、囀りというには激しい鳴き声を交している。あんな小さな体のどこからあんなに大きな声が出るのだろうと教室の反対側の隅から眺める私は、二度と彼等を捕まえることができなかった。



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悲しい夢だったのかどうかは分かりません。
でも、小鳥は美しかったな。
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猫の夢

2007年06月04日 | 夢の記録
うたた寝で夢を見た。
珍しい。
しかも、あとでそれを思い出した。
それも珍しい。
というわけで短いですがメモ。


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近所の駐車場の誰かの車のそばで、茶色い猫を見つけた。
私がじっと見ていると、その猫もこちらをじっと見て、驚いたことに私のほうへ寄ってきた。それで、逃げてしまうだろうかと私が恐る恐る手を伸ばすと、猫は背中をおとなしく撫でさせてくれる。茶色い毛並みはやや長く、思ったよりもかなりふわふわしていた。

茶色い猫は、体は明るい茶に薄い茶色の細い横縞が入っていて、顔はぐりっとした両目を黒っぽい毛が一筆で丸く囲っている。面白い顔をしている。撫でると目をぱちぱちするが、鳴かない。ごろごろともいわない。だが、気持ちはよさそうだ。

私が帰宅するのと一緒に、部屋までついてきた。
もうこのまま飼ってしまおうかなと思う(賃貸住宅だけど)。


ちょっと出かけようと表に出ると、近所の人だか、私の大家さんだか忘れたが、ボブカットの上品な女性からその人の家の用事を頼まれる。
そこの家では犬(ミニチュア・ダックスだった)を飼っていて、玄関先にはお散歩グッズがぎっしりと揃っている。私はその整理をまかされた(どういう成り行きだったか忘れたが)。

散歩用のジャケット、散歩用の靴、散歩用の首輪、ひも……それらは全て同じようなデザインだがそれぞれは微妙に異なっており、一揃いになるように番号をつけてあるので、同じ番号のものどうしに分けなければならない(なぜか私が)。
ところが、どうしても靴の番号が右と左で一致しない。

「あなた、その靴は違うわよ」とボブカットに指示される。
「ええ。違いますね。……えーと、えーと…」

山のような靴の箱のなかを捜索する。その靴山のなかにはなぜか私のサンダルなども紛れていて、いっこうに収拾がつかなかった。
このうえさらに、靴とジャケット、首輪の番号まで合わせなければならないと思うと、気が遠くなった。



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………猫はどうなったんだ…?
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