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『ラザロ』

2008年02月28日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
レオニード・アンドレーエフ 金澤美知子訳(「バベルの図書館16」国書刊行会)

《あらすじ》
ラザロは3日間の死ののち、奇跡によって復活する。その甦りを祝って、知人たちは集まって彼に晴れ着を着せ、ごちそうと音楽を用意し、彼を祝福する。陽気だったラザロは、しかし復活のあとにはすっかり様子を変えていた。沈黙する彼のその目を覗き込んだものは、みな恐怖の、絶望のとりこになるのだった。

《この一文》
“「滅ぶ運命なのだ」と、帝は苦しい気持で考えました。「〈無限〉の暗闇の中の明るい影だ」と、恐怖の思いで考えられました。「沸々と滾り立つ血と、悲哀と大いなる歓喜を知る心臓とを盛った、脆い器だ」と、帝は優しい気持でお考えになりました。
 こうして、思いをめぐらし、秤を生の側に、或いは死の側に傾けながら、帝はおもむろに息を吹き返されました。生の苦痛と歓喜の中に果てしない空虚と恐怖の暗闇からの庇護を見出そうとして。   ”


ラーゲルクヴィストの『バラバ』に、奇跡によって死から甦った男が登場するのですが、この『ラザロ』も3日間の死から息を吹き返した男です。関係があるのだろうかと思い、読んでみました。相変わらずそのあたりの知識がまったくない私。結局読み終えてみても、関係があるのかどうかは分かりませんでした(とっとと調べたらいいだけの話なのですが)。しかし、この物語は面白かった。

3日間死んでいて、そして甦った男 ラザロ。彼の復活は最初は祝福を、そして最後には恐怖と絶望を人々にもたらします。ラザロの噂を聞き付けて彼のもとを訪れる者たちは、ラザロによって大きな影響を受けることになります。この世界の美を追求し創造しようとする芸術家、愛と快楽によって幸福のうちに結びついた恋人たち、醒めることを知らぬかのように甘美な酒を味わい尽くそうとする酔っ払い、もはや恐れるものも知らぬものもないという賢者。彼等はいずれも自分たちが持っているものを誇らしげにラザロに示しますが、彼の目を覗き込んだ途端に全ては一変してしまいます。無意味と絶望とに一息にのまれてしまうのでした。

ラザロとは何者でしょうか。「死」ではないかとはじめは思いました。ですが、彼は「死よりも恐ろしい」らしい。生と死をつなぐもの。向こう側を覗いて、そして帰ってきた者。彼という存在によってあらわされているのは、いったい何でしょうか。

虚無、だろうか。生も死も、意味も無意味も超えているもの。それというのは、あるいは真理、と言うべきだろうか。それにつながるものでしょうか。だとしたらどうしてこんなに恐ろしいのだろう。全てを統べるもののその端を見たとしたら、やはり恐ろしいものなのだろうか。そうかもしれない。だけど、それはどうしてだろう。だって、私という存在もそこへ繋がっているのだろうし、その一部であると言えるのではないか。それなのに恐ろしいというのは、いったいどういうことだろう。何が、そんなに恐ろしいのだろう。何が。

上に引用したのは、ラザロを召し出したローマ皇帝の言葉です。ここに何かヒントがあるような気がします。でも、私にははっきりと何か分かるとか言えるようなことは、まだありません。この先もあるような気がしません。ずっと気になるのだろうという予感がするだけです。

こんなふうに、ちっともまとまりません。優しい語り口のほんの短い物語だったのですが、なかなかに私を離してくれそうにないのでした。

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『イヴァン・イリイチの死』

2008年02月12日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
レフ・トルストイ 川端香男里訳(「バベルの図書館16」国書刊行会)

《あらすじ》
イヴァン・イリイチはつねに具合良く愉快に生きてきたが、あるとき体調を崩し、3か月の苦しみの後、死んだ。


《この一文》
“結婚……幻滅は何とも思いがけないものだった、妻の発する口臭、肉欲、欺瞞的行為! そしてこの生気のない勤務、金銭についての苦労、そしてこうして一年、二年、十年、二十年とたったが、何もかも同じだった。先へ行けば行くほど生気が失せて行く。自分では山をのぼっていると思っているのに、実はきちんきちんと山をくだっていたのだ。事実はそうなのだ。世間の眼からすれば自分は山をのぼっていた。だがまさしくその分だけ生命が自分の足もとから逃げて行ったのだ……そして今や用意はできている、死ぬがいい!
 これはどうしたことなのか? 何のためなのか? こんなことってあるか。人生がそんなに無意味でけがらわしいなんてことがあり得るのか? 人生が本当にそんな汚らわしい無意味なものであっても、何ゆえに死なねばならないのか、苦しみながら死なねばならないのか? 何か理屈が合わない。  ”



本当は、読むつもりはなかったのですが、うっかりして読んでしまいました。読むべきではなかったと思えば思うほどに、それはつまりどうしても読まなければならなかったということを証明するに過ぎないということを、痛みをもって私に知らせるのでした。なんということだ。

虚無。という言葉があって、私はそれを震えるほど恐れているのですが、この物語はその虚無の真っ黒な大きな穴でした。あんまり恐ろしかったので、私は半日ほどすっかり言葉を失ってしまいました。今はどうにか浮上できましたが、作品について考えたいのに、心が真っ黒になるようで、うまくいきません。恐ろしい。

あの結末は救いだったのでしょうか。そうかもしれない。でも、私には。





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『犬の心臓』

2007年01月27日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
ミハイル・ブルガーコフ 水野忠夫訳(河出書房新社)


《あらすじ》
野良犬のシャリクはある日脇腹に大火傷を負い、苦痛と空腹にうめきながら、彼に熱湯を浴びせたコックを含むあらゆるプロレタリアに対する呪いの言葉をまき散らしていたところを、ある紳士に助けられる。紳士はシャリクを手当し、自分の立派な家に住わせるが、その目的は、ある実験のためだった。


《この一文》
” 二階にあった豪華な住居のドアの前に犬を連れてきた見知らぬ紳士は呼鈴を押したが、犬のほうはすぐさま目をあげて、波模様のついたピンクのガラスをはめこんだ大きなドアの横に掛けてあった金文字で書かれた黒い大きな表札を見た。最初の三文字、ピー・アール・オーを犬はたちまち《プロ》と判読した。ところが、そのさきは見慣れない文字で、何と読めばよいのかわからなかった。《まさかプロレタリアではないだろうな?》シャリクはけげんそうに考えてみた。 ”



ついに読みました、『犬の心臓』を。ここ数年の念願がようやく叶って、とても満足です。しかし、読み終えた直後は、どうにも気持ちが暗くなってしまいました。


これは、ある医師の実験によって、人間の脳(厳密には脳下垂体)と睾丸を移植された犬がついには人間のように生活し、あれほどプロレタリアを憎んでいたにも関わらず自ら『同志』を名乗り、医師の生活に大混乱を巻き起こすという皮肉の物語です。

犬に人間の臓器を移植する。そう言うと、とてもグロテスクなように聞こえますが、実際とてもグロテスクなのです。作者のブルガーコフは、その色彩の美しい描写が私の大好きな作家ですが、彼はお医者さんでもあったので手術シーンは生々しくて迫力がありました。しかし、落ち着いて考えてみると、手術の内容がグロテスクというよりも、なにか他のことが、人間の行為や思想そのものが実は相当にグロテスクなのではないかと疑わしくなってきます。とはいえ、私にはまだよくはわかっていないのですけれども。

人間の科学技術力は今や自然にさえ勝ると思い上がる人間は、しかしいつもその力を制御しきれず、結局は自然の前に敗北する(つまり自然こそが、人間の愚かさが生む混乱から今のところは人類を救ってくれているとも言える)。ブルガーコフが『運命の卵』やこの『犬の心臓』で表したかったことの一つは、こういうことだったのかもしれないと私は思います。突出した能力を持つ人間が、ある画期的な発明をしたからといって、それを用いるその他大勢が無知でしかも愚かであり、その発明の意義を理解しなかったならば、必ずやその結果は悲劇的なものになるだろうという暗い予言のように思えました。

ああ、私も色々なことを知らないままで、恥ずかしげもなく生きています。どうして蛇口から水が出るのか、携帯電話や電子レンジはどうなっているのか、それに今まさに起動しているこのパソコンの内部では何が起こっているのか。何も知らないで、ただ利用するだけの生活。憎むべきは、私のような人間の科学技術に対する無関心と無知、それに反して便利さなどの成果を無闇に求める浅ましさ。あるいは深く考えようともせずに、またどう考えたらよいのかを教えられたこともないままに、誰かにあてがわれた物で満足しきっているという、悲しいほどの愚かさ。
やり切れません。

一方で、技術や知識を得た限られた人々の、社会的責任も問われているようです。特定の人間にしか制御できない(あるいは誰ひとりとして制御できるもののいない)技術を、世に送り出すべきか否か。そんなことをいちいち心配していたら科学技術の進歩はないかもしれませんが、しかし進歩のためにはどのくらいの犠牲ならば容認されうるのでしょうか。もしも、生み出した技術が、その人自身の手にも負えないものであることが分かったら、すっかりやり直して始めから無かったことにすればいいとしても、それが果して本当に可能であるでしょうか。


と、今のところ私はこのようにこの物語を読みましたが、何度か読むうちにまた印象は変わってくるような気もします。我ながら、今回は本筋とずれたところに反応しすぎているような感じがして仕方がないですし。もう少しして落ち着いたら、また読み返すことにしましょう。
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『ロシア・ソビエトSF傑作集(上)』

2006年10月10日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
オドエフスキー他 深見 弾訳

《内容》
長い伝統を誇るロシアSF。本書はその代表作を年代順に編纂した画期的アンソロジーである。この上巻には革命前ロシア時代を代表する作品を収録した。ロシアSFの出発点とされる、オドエフスキーの未来小説「四三三八年」をはじめ、クプリーンの描くウェルズ風の異色作「液体太陽」など5編に加えて、巻末には訳者による詳細な論攷「ロシア・ソビエトSFの系譜」を併録。

《収録作品》
四三三八年(オドエフスキー)/宇宙空間の旅(モロゾフ)/液体太陽(クプリーン)/技師メンニ(ボグダーノフ)/生き返らせないでくれ(ブリューソフ)/ロシア・ソビエトSFの系譜(深見弾)

《この一文》
”「はたして人類に、その思想が真実であることをやめさせるようなことができるだろうか? 人類が認めたがらないからといって、それに従うことを拒否したからといって、そのことで思想が苦しむだろうか? たとえ人類が消滅しても、真実は、そのまま真実として残るのだ。だめだ、思想を卑しめることはできん! 思想にいたる道を見つけるには努力が必要であるし、その偉大さを実現するには、しばしば荒っぽい労働が必要だ。だがその手段は、思想の高邁な本質とは無限のへだだりがある」 
  --「技師メンニ」より ”


先に下巻を読んでしまったのですが、どうやらこのセットに収録された作品は年代順に並んでいたらしい…。そうだったのか…。どちらにせよ、2巻を読んでみて思うことは、さすがに「傑作集」というだけはある傑作ぞろいでした。すごい。面白かったです。

私がとくに気に入った、というか、衝撃だったのは、ボグダーノフの「技師メンニ」。上巻に収録された作品の中でもとりわけ分量の多い作品です。最初は正直に言って、眠かったです。ところが、途中から突然ドラマチックになり、最後には私は涙を禁じ得ませんでした。
これは、火星における人類の歴史を振り返るという体裁で、ある英雄「技師メンニ」の生涯を物語っています。これが非常にドラマチックなのであります。物語全体としては、とにかく思想や労働についての議論の部分が多く、私には不勉強のために分からないところのほうが多かったのですが、それでも面白かったです。とりあえず、いまのところ私には、この物語は、人類が思想を掲げ、失敗や挫折、生と死を繰り返しながら、それでもとにかく前進しようとし、結果的には滅びる運命を避けられないとしても、それさえも宇宙の歴史になんらかの貢献となるはずだ、という熱いメッセージがあふれているように感じました。上に挙げた他にも名言多数。とても引用しきれません。とにかく、面白い。非常に面白いです。
しかし、いかんせん恥ずべき知識の不足のために読み違えているところもあるような気もするので、いずれまた読み返そうと思います。ちなみに紹介文によると、作者自身はかなり凄い人らしい。自分で設立した輸血研究所で体内の血液をそっくり入れ替えるという実験中に亡くなったらしい。理論を実践する人だったのでしょうか。熱いぜ。
たった2作しかないこの人の作品のもうひとつ『火星の星』は『赤い星』として邦訳があるそうなので、ぜひとも読みたいところです。

他にオドエフスキーの「四三三八年」も面白い。発表されたのが1840年ということを考えると、物語で描かれたロシア像は、かなりSF的です。とにかく、クリスタルとか、光輝くドレスとか、ロマンチックな小道具が満載です。このへんが面白かったです。そして、この時代には(四三三八年という未来を旅するという物語です)「ドイツ人」というのがなんのことを意味しているのか分からなくなっていたり、アメリカはとにかく野蛮なだけの国で、中国は文化的に未熟な歴史の浅い国として描かれていたりするのが面白い。栄えているのはロシアだけなんです。でも、そのロシアもなんだかおかしな国として描かれています。短いけれど、なかなか印象的な作品でした。

それからモロゾフの「宇宙空間の旅」。この作者は皇帝暗殺計画に参加したかどで25年間も投獄されていて(なにかにつけて投獄されている人が多い)、この作品も獄中で書かれたそうです。月面を探査するという物語で、月のクレーターは隕石が衝突したものであるということを推論しています。そのあたりが凄いんだそうです。たしかに凄い。獄中にいても学問をおろそかにしないその高い志には感動しました。というか、「技師メンニ」でも、メンニは獄中で勉強していました。もうとにかくそういう人って現実に本当に多かったのかもなー、としみじみします。

クプリーンの「液体太陽」は、かなり面白かったです。いかにもSFという感じです。はらはらさせてくれます。ちょっと物悲しいトーンで語られているのが、また良い感じです。太陽光線を液状化して保存しようという、スケールの大きい話です。そして、手に余るほどのエネルギーを得た人間の責任という問題を追求しています。興味深いです。

「生き返らせないでくれ」は、ごく短い作品ながら、ユーモアもあって、印象的です。なんとなく、ストルガツキイの「月曜日は土曜日にはじまる」に似た感触です。グロテスクなユーモアとでも言いましょうか。魔術研究所が登場するところが似てるだけかもしれませんが、面白かったです。


というわけで、上下巻とも読みごたえがあり、はずれなしの傑作集でした。ロシアSFの入門書としては、たしかに必携と言えましょう。
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『ロシア・ソビエトSF傑作集(下)』

2006年09月30日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
ベリャーエフ他 深見 弾訳(創元SF文庫)


《内容》
長い伝統を誇るソ連SFを革命前ロシア時代と、その後、第二次世界大戦までに区分し、年代順に編んだアンソロジー。ソビエト編。ソ連のヴェルヌと呼ばれ、ツィオルコフスキーと共に高く評価されている、ベリャーエフの奇譚「髑髏蛾」、スターリン時代に文壇から葬りさられたブルガーコフの、いまだに本国では日の目を見ない作品「運命の卵」、アレクセイ・トルストイによる「五人同盟」など全五編を収録。巻末の訳者による詳細な解説「初期のソビエトSF」は上巻巻末解説と共にファン必読。ソ連SF入門の書

《収録作品》
五人同盟(アレクセイ・トルストイ)/運命の卵(ミハイル・ブルガーコフ)/髑髏蛾(アレクサンドル・ベリャーエフ)/危険な発明(エ・ゼリコーヴィチ)/不死身人間(ゲ・グレブネフ)/初期のソビエトSF-革命後から第二次世界大戦まで-(深見弾)

《この一文》
”「攻撃の構想はこうだ。未曾有の堪えがたい恐怖で世界をたたきのめすのだ……」
 テーブルに坐っていた者のうち四人はふたたび葉巻を口から離したが、今度は笑わなかった。
  --「五人同盟」より ”

”「きみは、ぼくの気持もわかるが、あとでぼくがきみやエグナスのことを理解するようになると言ったね……どうやらぼくはきみたちを理解したらしい……全世界の自由と文化の運命が決せられる時代にぼくたちは生きているということがわかったよ。」
  --「不死身人間」より ”



上下巻なのに、どうして下巻から読むのか--。いいんですよ、アンソロジーですから。それに私はどうしてもアレクセイ・トルストイの「五人同盟」が読みたかったのです!

というわけで、上下巻揃いで購入した『ロシア・ソビエトSF傑作集』ですが、とりあえず下巻の品揃えはほぼ完璧でした。なにこれ、すげー面白いんですけど。

お目当ての「五人同盟」は期待を裏切らない面白さです。前回『怪奇小説傑作集(ドイツ・ロシア編)』に収められていた「カリオストロ」があまりに面白かったので、この「五人同盟」も読みたくなったのですが、こちらは魔術を扱っていてロマンス的要素の強かった「カリオストロ」とはまた違った味わいで、いかにもSFでしかも社会派、スケールも予想以上にでかくてびっくりしました。わー、面白いー。視覚的なインパクトの強さは、前作と同様とても強烈です。うん、うん、いいですよ。大昔に『技師ガーリン』という作品も邦訳されているらしいです。読みたいよう。なんとかならないでしょうか。

ブルガーコフはまたしても「運命の卵」が収録されていたのは無念。いえ、もちろんとても面白いんですけど、これはもう別の本でも持ってるから、他のが読みたいよう。『犬の心臓』とか。古書ではほとんど出回ってないようで、このあいだ見かけたのには、単行本なのに驚きの1万円超。……さすがに無理です。とりあえず図書館で借りるか。

ベリャーエフの「髑髏蛾」は虫だらけで、虫が苦手な私には地獄のような物語(特に前半)でしたが、なんだかとても面白かった。アマゾンに迷いこんでしまった学者の末路とは…。ロビンソン・クルーソーのようですが(実は私はまだ読んだことがないけど)、結末はわりとダークな感じ。この人は割と有名で、私でも知ってるくらいですが、まだほとんど読んだことがなかったので、他のも読んでみようっと。

エ・ゼリコーヴィチという人は経歴不詳らしい。この「危険な発明」は、お話の中でさらにお話が語られるという構造になっています。ある男の子が従兄にお話をねだります。それを友達の少年たちも一緒になって聞く。今回は「ほこり」をテーマにした物語を作ってくれと少年たちはせがむのでした--。なんて無茶な…。でも従兄は「はらはらして、面白くて、真面目で、空想的で、科学的で、おかしくって、しかも本当の話」を作ってくるのでした。この物語がかなり面白い。私はとっても気に入りました。「ほこり」って重要だったんですねー、しみじみ。

最後のゲ・グレブネフ「不死身人間」は、タイトルはちょっと笑ってしまいますが、内容はかなり真剣。全体的なノリとしては、こんにちではよく見かけるような超能力ものSF的な描写(謎の器械《エマスフェラ》の作用によって、主人公に近づこうとする人間がふっとばされたり、弾丸が跳ね返ったりとか。まんがっぽい)が満載ですが、書かれたのが1938年であることを考えると、かなり先取りしてますねー。すごい。ごく短い作品ではありますが、激動の時代を生きる人間の苦悩や、科学技術が進んでいくことを渇望しながらも、それが同時に悪用されうる不安も引き起こしていたりする状況をうまく描いています。面白かった。この作者も経歴がよくわからないらしいのが残念。


さあて、上巻のほうもよだれの出そうな作品ばかりです。うふふ。読むぞー!
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『怪奇小説傑作集5 ドイツ・ロシア編』(ロシア編)

2006年09月20日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
原卓也訳 (東京創元社)

《収録作品》
深夜の幻影(ミハイル・アルツィバーシェフ)/犠牲(アレクセイ・レミゾフ)/妖女ヴィイ (ニコライ・ゴーゴリ)/黒衣の僧(アントン・チェーホフ)/カリオストロ(アレクセイ・トルストイ)


《この一文》
” 「おまえは知りたいというのか?」何者かの声がたずねた。その声は四方八方から響いてくるように思われた。「だが、深い知識は悲しみを増すものだぞ。悲しみは賢人の受けねばならぬ定めなのだ!」
 「わかっている……知りたいんだ!」歓喜にふるえる人間の声が必死に答えた。
   --「深夜の幻影」より ”

”が、不意に彼女は赤くなった。「あなたをお見かけしたとたんに、心があたくしに囁きましたのよ、幸せになれって……」 
   --「カリオストロ」より ”



さて、ロシア編の「ヴィイ」と「黒衣の僧」はそれを目当てにこの本を買ったくらいですから、文句なく面白いです。しかし、その他の短篇も、まったくハズレなしでした。面白い!

収められた5編は、いずれも、主人公は正気と狂気のはざまをかけぬけています。私はそういうのが好きなので、どうにもたまりません。なぜこんなにも面白いのでしょうか。
アルツィバーシェフは青空文庫でもなにか読んだことがあると記憶していますが、内容はすっかり忘れてしまったので、あらためて読み直そうっと。
アレクセイ・トルストイの「カリオストロ」は滅茶苦茶に楽しめました(ちなみにロシアにはトルストイという作家が幾人もいるようで、このアレクセイさんは、A.N.トルストイであるらしい。他にA.K.トルストイ(河出文庫『ロシア怪談集』所収の「吸血鬼の家族」はこの人かしら?)や、レフ・トルストイ(一般的にトルストイというのはこの人)もいる。複雑です、ややこしいです)。それにしても、この「カリオストロ」はなんという面白さ。ロマンチックだし、それでいて気色悪いし。ああ、この人の作品はほかのも読んでみたいと思って、さっそく『ロシア・ソヴィエトSF傑作集』も注文してしまいました。「五人同盟」というのが読めるらしい。わくわく。


そんな感じで、期待を上回る品揃えのこの『怪奇小説傑作集5』は、買って良かった。さあ、4巻の「フランス編」も読むぞー!
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『ロシア民話集(上)』

2006年07月14日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
アファナーシエフ 中村喜和編訳(岩波文庫)

《内容》
ロシアのグリムと称えられる民俗学者アファナーシエフ(1826-71)編纂の民話集からえりすぐりの78篇をおおくりする。イワンのばかとその兄弟、蛙の王子、火の鳥や灰色狼など、ロシア民話におなじみの人物・動物はみなここに登場する。ロマン・ヤコブソンの解説「ロシアの昔話について」を付載。(全2冊)


《この一文》
” 四人がそろって旅に出た。どれほど旅をつづけたことだろう、やがて四人は昼なお暗い森にさしかかった。森の中には鶏の足の上に小さな小屋が立ち、たえずぐるぐるまわっていた。イワシコはこう言った。
 「小屋よ、小屋よ。森に背をむけ、こちらを前にしてとまれ」
   --「熊の子、ひげの勇士、山の勇士、樫の勇士」より ”


ストルガツキイの『月曜日は土曜日にはじまる』のシリーズを読んだとき、この《鶏の足の上に立つ小屋》にはじめて出くわしました。それから井戸から水を汲み上げると桶の中に泳いでいる《人間の言葉を話すカワカマス》にも。
私はロシアの民話をほとんど読んだことがなかったので、それらの本当の面白さが分かっていませんでしたが、今ふたたび『月曜日~』を読み返したらきっともっと面白いと思えるに違いありません。


さて、民話というのはどこの国のものでもある程度は突拍子もない展開になるのかもしれませんが、私はこのロシア民話集を読んでみて大変に驚かされました。まったく先が読めません……。そして、登場人物があまりに強烈すぎます。面白くて、面白くて仕方がありませんでした。なんてシュールな話ばかりなんだろう。さすがロシア。

上に引用したのは、私が上巻のなかでもっとも気に入ったお話のひとつです。主人公のイワシコは、お父さんが「熊」(森に住んでいて、村から娘さんたちがやってくるとお粥をふるまってくれる。でもお粥を食べなかった娘は強制的に嫁にならなければならないらしい)でお母さんは「蕪」(子供のいないおじいさんとおばあさんの家のかまどの中で突然人間の女の子になった。熊の家でお粥を食べなかったので、やむなく熊と暮らす羽目になった)です。そこからしてもう普通じゃありません。剛力の熊の子イワシコは、力が強過ぎて村の子供と遊ぶと大惨事を引き起こしてしまうので、村から追い出されます。そして旅の途中で出会った三人の勇士と《鶏の足の上に立つ小屋》へと辿り着きます。

《鶏の足の上に立つ小屋》というのは、他の物語にもよく登場するので、ロシアではかなり一般的なものとされているのかもしれないと思いました。その小屋の中には大抵は《ヤガーばあさん》と呼ばれる老女(魔女らしい)がいることになっているようです。ストルガツキイの『月曜日~』のなかでも、この《鶏の足の上に立つ小屋》と呼ばれる建物には管理人のおばあさんがいました。そういうものだったんですねえ。
ところで、この《ヤガーばあさん》が結構怖い。《骨の一本足のヤガーばあさん》は、鉄の臼にまたがり、鉄の杵を漕いで現れます。登場人物は大抵はこの《ヤガーばあさん》にめった打ちにされます。怖いですねー。でも、ごく稀にすごく親切なこともあって、それはそれで怖いような気にもなります。

とても面白かったので、K氏に朗読してあげたら大喜びしていました。民話であるせいか、これは読んで聞かせると面白さが倍増するようです。言い回しがいちいち笑えます。どうぞお試しあれ。


《鶏の足の上に立つ小屋》の他にも、願い事を叶えてくれる《カワカマス》、《不死身のコシチェイ》などなど、これがそうだったのか!とようやく基礎的な知識を身に付けることができたように思います。あとは下巻を読んで、さらにロシア文学への理解を深めたいところであります。それからまだ『ハンガリー民話集』というのも手もとにあるので、それも読んでみるつもりです。ちら読みした限りでは、こちらも相当面白い。ああ、他の「民話集シリーズ」も揃えて買っておけばよかったです。しまったー。
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『ロシア怪談集』

2006年03月01日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
沼野充義編(河出文庫)


《収録作品》
葬儀屋(プーシキン)/おもいがけない客(ザゴスキン)/ヴィイ(ゴーゴリ)/幽霊(オドエフスキー)/吸血鬼〈ヴァルダラーク〉の家族ーある男の回想(A・K・トルストイ)/不思議な話(ツルゲーネフ)/ボボーク(ドストエフスキー)/黒衣の僧(チェーホフ)/光と影(ソログープ)/防衛ークリスマスの物語(ブリューソフ)/魔のレコード(グリーン)/ベネジクトフーあるいは、わが人生における記憶すべき出来事(植物学者Xによって書かれたロマンティックな中編小説)(チャヤーノフ)/博物館を訪ねて(ナボコフ)



《この一文》
”この「驚き」について出した私の結論は次のようなものであるーー
《あらゆることに驚くというのは、もちろん愚かなことであり、何事にも驚かないということは、ずっと美しいこととされ、なぜかりっぱな振舞いだと認められている。しかし、本当にそうなのであろうか。私の意見では、何事にも驚かないというのは、あらゆることに驚くことよりもずっと愚かなことである。それに、それだけではない、何事にも驚かないということは、何物も尊敬しないのとほとんど同じなのだ。まったくのところ、愚か者には尊敬することができないのだ》  ーー「ボボーク」(ドストエフスキー)より”

”「じゃどうしてお前は、世界中が信じ切っている天才たちが、同じように幻を見なかったと言い切れるんだ? 今じゃ学者たちが、天才は精神錯乱と紙一重だと言っている。健康で正常なのは、君、平々凡々たる、いわゆる群衆だけさ。精神病時代だ、過労だ、堕落だなどという考えに真面目に興奮するのは、人生の目的を現在においている連中、つまり群衆だけだよ。」 ーー「黒衣の僧」(チェーホフ)より” 



喉から手が出る程欲しくなったこの1冊。お、面白い!
私が以前贈り物として頂いた「世界幻想文学1500」という本に、ドストエフスキーの「ボボーク」の紹介がありまして、その紹介文に非常に惹き付けられました。「耳元で”ボボーク(そらまめという程の意)””ボボーク”と囁く声がする」。 !! 読みてーーッ!! というわけで、幸運にも図書館にあったので借りてみました。

ドストエフスキーには、これまで何となく近づき難い雰囲気を感じていたのですが、その愚かな先入観を打ち破ることができました。うーむ、面白い。いえ、話の筋としては、墓場で死者たちがおしゃべりしているのを盗み聞くという、それほど怖くもなく、私にとっては特に新鮮な感じもしないものなのですが(なんて、偉そうに……ドストエフスキー様、ごめんなさい)、何と言うか、上に引用した本筋がはじまる前の部分がとても興味深かったのです。もうひとつ引用したチェーホフにも見られますが、思索することと愚かさや精神病との関連付けは的を射て恐ろしい。
チェーホフは「六号病室」でもこんな感じだったような気がします。考えないで済まそうとする人への痛烈な批判のように感じられ、私はかなりどっきりしました。頑張ろう。ちなみに「黒衣の僧」は、新スタートレックに出てくる「旅人」という感じですかね。ウェスリーが最後は「旅人」になってしまったのは、私としてはいまだに納得がいきません。それはさておき、「黒衣の僧」はとても悲しいお話です。主人公は非常に優秀な男ですが、周囲の善良な人々からは働き過ぎで幻覚に悩まされた不幸な男とみなされ、治療を受けます。しかし彼にしてみれば、幻覚を見なくなったことのほうが不幸であり、結局は善良な義父と妻(農園を経営するとても現実的な考えをもつ人々)をさんざん罵った挙げ句家を飛び出します。そこが悲しい。彼等はどうしてもお互いを理解することができなかったのです。普通って何だ、生活って、人生って、何だ。真理を究めようとするとき、実生活から乖離してしまう人間がいるとしたら、その人はやはり狂っているということになってしまうのか。悲しくて恐ろしい物語です。

上に挙げた2作品のほかにも、かなり面白いのが目白押しです。私が特に気に入ったのは、「ベネジクトフ(長い副題は省略)」です。チャヤーノフという人の名は知りませんでしたが、相当壮絶な生涯を送った人のようでありました。物語は、ある男が自分の魂を他人によって操られるというもの。人間の魂は三角形のコインのようなものにそれぞれ込められていて、ベネジクトフという男がふとしたきっかけでその三角形を手に入れ、語り手を含む複数の人間を好き勝手に操っていきます。語り手は、自分と同じように操られている美しい女優に恋しますが、彼女はこれから憎むべきベネジクトフと結婚するところなのでした……。私が好きなのは、結末の部分。なんて、美しいんだ! ロマンティック!!
ゴーゴリの「ヴィイ」も幻想的で良かったです。これが一番怖かったかも。A・K・トルストイの「吸血鬼の家族」も結構怖かったなー。精神的に恐ろしかったのはソログープの「光と影」。影絵を壁にうつして遊ぶってだけの話ですが、なんか怖かったです。

ああ、どうしても手に入れておきたい1冊です。しかし、当然品切れ。まあ、私が欲しがるくらいですから……ね…。
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『悪魔物語・運命の卵』

2005年12月19日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
ブルガーコフ作 水野忠夫訳(岩波文庫)


《あらすじ》

舞台は1920年代のモスクワ。奇怪な出来事が続くーー事務員コロトコフは分身に翻弄され、動物学者は不思議な光線を発見したばっかりに…… 20世紀ロシアの幻想と現実を描いた反逆の文学。ザミャーチンが激賞した映画的作品とソルジェニーツィンの刮目したSF中篇に、再評価めざましいブルガーコフ(1891-1940)がいま甦る。


《この一文》

”コロトコフは夜明けとともにようやく眠りに落ちたが、緑の草原にいる自分の前に、生き物のような巨大なビリヤードの玉が短い両足で出現するというような、グロテスクな恐ろしい夢を見た。なんとも気味の悪い夢だったので、コロトコフは叫び声をあげて、目をさました。  「悪魔物語」より”




不覚にも、この『悪魔物語・運命の卵』をまだ取り上げていませんでした。
20世紀の傑作『巨匠とマルガリータ』のブルガーコフによる小説です。「悪魔物語」は幻想的で悲劇的な短篇、「運命の卵」は恐ろしいSF中篇です。
正直に言うと、「悪魔物語」はもう3、4回は読み返しているというのに、いまだにどういう話なのか良く分かりません。いえ、とても面白いのは間違いないんですけれども。途中から幻想が加速して、何がどうなっているのやらさっぱり訳が分からなくなってしまいます。ともかく、分身に翻弄されて、身を滅ぼすことになるマッチ工場の事務員コロトコフの悲劇です。目まぐるしく場面が変わって、まるでサーカスのようです。こういう感触は、少し『巨匠とマルガリータ』に通じるものがあります。

「運命の卵」は不思議な赤色光線の発見によって引き起こされるロシアの大混乱の物語です。ある年、なぞの疫病によってロシア国内の鶏が死滅してしまいます。このあたりは、今まさに流行が懸念されているインフルエンザなんかを連想させて、笑い事ではない感じがします。ペルシコフ教授によって発見された不思議な光線は生命の力を増殖させると考えられており、それを用いてロシアに鶏を復活させようと目論まれますが……。オチは間抜けなのですが、やはり笑い事ではありません。結構迫力のあるパニックものという感じです。しかし、恐ろしいながらも、ブルガーコフ独特のユーモアが随所に散りばめられている点では楽しめる作品でありました。

それにしても、このブルガーコフといい、ストルガツキイといい、ソヴィエト/ロシアの作家のユーモアというのは何か独特な感じがします。どのへんが独特なのかは、はっきりとは申せませんが。なんだろう、この面白味は。つい笑ってしまう描写のほうが、かえって皮肉や批判を印象的に伝えることができるのかもしれないと、ちらりと感じています。
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『ブルガーコフ短編集 「モルヒネ」ほか5編』

2005年10月17日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
ミハイル・ブルガーコフ
町田清朗 訳 セルゲイ・ボルシンスキー 監修(津軽書房)

《収録作品》
モルヒネ/エジプトの暗闇/赤い冠/カフェにて/丸いハンコ/ある医師の異常な体験

《この一文》

” 夜明け時のこんな夢は今まで経験が無かった。これは二重の夢だ。
  しかも、その夢の主体はガラスのようなものと敢えて言いたい。透明である。
  こういう事なのだ。ーー途方もなく明るいランプが見える。そのランプから光のリボンが色とりどりに煌々と輝いている。アムネリスが緑の羽根をそよがせて歌っている。オーケストラは、この世のものとも思えぬほどに素晴らしい響きである。
        ーー「モルヒネ」より”




巨匠とマルガリータ』のブルガーコフの短編集です。この人は元お医者でモルヒネ中毒に罹ったこともあるらしく、この短編集にはその頃の体験に基づいた初期の短編が6つ収められています。全体的に、暗いです。『巨匠とマルガリータ』においてみられるようなユーモアは、ほとんどあらわれません。僻地診療の孤独と不安、モルヒネ中毒の高揚感と絶望などなど、どんどん滅入っていくようです。作品中には「緑の灯」という描写がよく登場するのですが、私は緑色の光だなんて美しいだろうなーと思いますけれど、物語の中では何か苦しさや孤独の象徴のように表れていて少し悲しい感じです。静かで苦悩に満ちた短編集。

引用したのは、主人公の医師が中毒症状によって起きていながら夢を見ているところです。私はこの人の夢の描写がとても気に入っています。「悪魔物語」(岩波文庫『悪魔物語・運命の卵』所収)でも、「緑の草原にいる自分の前に、生き物のような巨大なビリヤードの玉が短い両足で出現するというような、グロテスクな恐ろしい夢を見た」というシーンがあります。凄いな。


ところで、この本は古本屋さんから取り寄せたのですが、開けてびっくり〈露和対訳〉版で、左頁には露文、右頁には和文という体裁でした。ロ、ロシア語が読めるようになったらどうしよう……。と、たまにやってみたくなる取り越し苦労ができたりして、なかなか良い買い物をしました。
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