一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸や生け花を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣-49.オーストリア「ウィーン編」(6/11)~シュテファン寺院→オペラ座→美術史博物館へ 6/25~29

2024-07-11 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 シュテファン寺院の見た後、オペラ座の前を通り、美術史博物館まで歩きました。この通りは、歩行者天国になっており、高級ブランドの店が軒を並べています。








  




国立オペラ座です。












 




オペラ座の前で、日本人の男性に声をかけられました。「日本人ですか?」と。ちょうど、現地の人に道を聞いて行く方向がはっきりわかった後でした。そのやりとりを見ていたのでしょう。彼曰く、今回ツアーで来ていて、自由時間を使って今行きたい所へ行くところとのこと。私が、ルーマニアをスタートとして、ブルガリア、セルビアなどを旅行してきたことを聞くと、東欧は何か危険なことや物騒なことが旅行案内書などに載っているのですが、と。旅行案内書やブログなどの情報で、この人も悪い印象をインプットしてしまった一人でした。彼も東欧の旅行には興味をもっており、私との出会いで実現するかもー。

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1⃣-48.オーストリア「ウィーン編」(5/11)~シュテファン寺院 6/25~29

2024-07-10 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  12世紀から建設が始まったこの寺院の中で、現存する最古の部分は、正面入口の部分という。この寺院は、ハプスブルク家の支配が始まる前に、ロマネスク様式で建てられましたが、その後、寺院全体はゴシック様式で建て替えられました。内部の祭壇は、18世紀になってから造られたバロック様式です。本寺院は、第2次世界大戦によって被害を受けました。しかし、オーストリア国民の寄付で再建されました。






 


教会内部の様子 





  



  





 
これは木彫です。  


~教会周囲の様子~








ちょうどこの辺りが祭壇の正面にあたります。






寺院の周辺には花屋さんが2軒ありました。


ここは、マチの中心部にも当たり、観光コースにもなっており広場は大勢の人で賑わっていました。はじめ行った時は、途中から大雨でカサをさして歩いても濡れるほどでした。次の日は、天気に恵まれ、寺院の周辺も含めゆっくり写真を撮って歩くことがました。 寺院内部は、ほとんどは観光客ですが、本来は、熱心な信者の祈りの場でもあります。

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1⃣-47.オーストリア「ウィーン編」(4/11)~国会議事堂とフォルクス庭園 6/25~29

2024-07-09 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 国会議事堂とフォルクス庭園へ行きました。オーストリアは、全州議会(上院)と国民議会(下院)の二院制です。ギリシャ神殿のようなオーストリアの国会議事堂は、ウィーンのリンク通りに面し、市庁舎とウィーン自然史博物館の間に位置します。地下鉄Volkstheater駅から徒歩1分。路面電車から徒歩1分のところに。周辺には、自然史博物館、ウィーン美術史博物館、ウィーン大学などがあります。





 国会議事堂


 この国会議事堂の道路挟んだところに、「フォルクス庭園」があります。 新王宮側からみると、王宮庭園の向かい側、カール大公騎馬像の背後に広がっています。かつて、王宮庭園が皇帝一家の庭園だったことに対して、フォルクス庭園は一般市民に開放されていました。



 この庭園は、巨大なバラ園になっており、100種類に及ぶバラが5000本以上植えられているという。






 


 フォルクス庭園の一角にはギリシャ神殿風の建物「テセウス神殿」が建っています。これは、アテネのテセウス神殿を模したもので、皇帝フランツ1世がローマから購入した「ミノタウロスを殺すテセウス」の像を収めるために建設されました。現在、この像は美術史博物館に飾られています。


 



  

  

 



 


  昨日この近辺に来たので、再度この「フォルクス庭園」に来て見ました。


 

 


 「テセウス神殿」






 カモの親子がいました。


2回目に来た時は、前日より天気がよかったので心なしか写真もきれいに撮れました。マチの中心部にこのような手入れされた美しい公園があることはすばらしいことですネ。

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1⃣-46.オーストリア「ウィーン編」(3/11)~活気ある西駅の様子 6/25~29

2024-07-08 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ホテルは、この西駅のすぐ近くにあります。2008〜2011年に改増築工事が終わったといいますから完成から2年目の新しい駅です。このウィーン西駅はバーンホフシティ(ステーションシティ)とも呼ばれ、オーストリア西部やドイツ、スイスなど西ヨーロッパ諸国からの幹線が乗り入れています。ステーションビル内のショッピングモールにはさまざまなスタイルのカフェやレストラン、オーストリア国鉄の各種サービス施設などがあります。駅ホール前には、空港と市内をバスの発着停留所があり、地下鉄、電車なども集まっています。



 西駅正面の様子です。  


 ここは駅構内で右側には列車が泊まっています。








 ~駅構内の様子~












駅のすぐ向い側の様子です。



 


 大きな教会がそびえています。日中雨模様
でしたが、夕方やっと青空がでてきました。


 とにかく新しく、きれいな駅舎で、しかも治安も大変いいようです。またここには、各種カフェテリアや大きなスーパーがあるので、食事や買い物にも非常に便利でした。フリーの会食コナーがあり、スーパーなどで好きな物があれば買ってきてここで食べることができます。ドミトリールームの場合は、室内では食べる環境でないのでよく利用しました。 

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1⃣-45.オーストリア「ウィーン編」(2/11)プラチスラヴァ→ウィーン 移動日(2) 6/25~29

2024-07-07 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 高速艇は、ドナウ川を全速力でさかのぼって行きます。途中、2か所ほど船内アナウンスで名所、旧跡について案内していました。日本語はないので、よくわかりませんが、景色を見るとおよそのことがわかります。


   




 話は突然変わるようですが、昨日プラチスラヴァの安着祝いをしにホテルの近くのカフェテリアのような所へ入りました。たまたま若い2人組のエレキバンドのライブ中でした。ここはレストランでないので、手の込んだものはできないという。ピザはいろいろな種類ができると言うので、ピザをたのみました。このピザの大きくてしょっぱいこと、ガンバって全部食べようとしましたが、食べきれません。そこで、今日新しく入った青年に4分の1を持っていくことにしました。彼恐縮し、外出した折「お礼に!」ということでチョコレートを買ってきてくれました。古今東西、老若男女、心は同じだなあーと。小さな親切のつもりが、彼に負担かけさせたかな、と複雑な気持ちでした。そのチョコレートを高速艇でのおやつにしながら、彼に思いを馳せたものです。





 左は普通の定期船で、すぐ抜かしていきます。

 










 ドナウ川の所どころにこのような高床式の住居があります。
考えられることは、別荘地で、増水対策ではないかとー。  




 途中、橋はなかったような気がします。市街地に
あったとしてもマレです。
これは送電用かなと考え
ましたが、日本では見かけないおもしろい形です。


 ドナウ川からウィーン市内に入る運河にやってきました。




 12:10、10分程遅れでしたが、シュヴェーデンブラッツのウイーン・シティ船着場に着きました。ちょうど太陽がでてきてイイ感じです。このまま天気になってほしいものです。地理的には、まだよくわかりませんが、まずは「ウィーンカード72時間券」を買うことにしました。地下鉄を乗り継いで「西駅」で降り、ホテルに着きました。このホテルは、お客のニーズに対応できるようにいろいろなパターンの部屋が用意されています。私の場合は、最も安い2段ベットが3つのドミトリールームです。





 初日は計6人が泊まり、満ベット!でした。

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1⃣-44.オーストリア「ウィーン編」(1/11)~プラチスラヴァ→ウィーン 移動日(1) 6/25~29

2024-07-06 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ウィーンは、6/9成田からオーストリア航空でこの地で乗り換え、ブカレスト(ルーマニア)に行くために降り立ったところです。また、私たち家族には、ずーっと以前に来たことがあるので、なつかしい地でもあります。

 オーストリアの首都ウィーンは、ヨーロッパが東西に分かれていた時代には、西側陣営で最も東にある州都であり、国土は北海道よりやや大きい国(約83,900k㎡)です。そもそもハプスブルク帝国の中核だったオーストリアは、チェコやスロヴァキア、ハンガリーといった東側陣営の国とは歴史的に非常に近い関係にあり、南はイタリア、北はドイツというヨーロッパ南北を結ぶ文化の通り道でした。特に、モーツァルト、シューベルト、ヨハン・シュトラウスといった音楽家たちは、このマチで王族や有力貴族庇護を得て活躍したことはよく知られています。

 6/25、今日はプラチスラヴァ10:30発の高速船に乗ってウィーンへ移動の日です。きっと話題性があるので乗ってみたく、ネットで調べてありました。高速船の下調べをした折、天気がよくないのでバスも選択肢の中にあり、予約しませんでした。天気は昨日に引き続き曇天の霧雨の天気です。電光板の気温は13℃で半袖なら寒いほど。天気がよければ、もう少しプラチスラヴァを見て午後の便も考えていました。

 昨日携帯が復旧し、なおった!と思い、家内にPCメールで報告しました。その後、電池が少なくなってきたので充電しました。・・・ところがです。今までの喜びも一瞬にして吹っ飛びました。また、同じ状態なのです。過充電になっているのかな。充電器を改めて眺めても「海外用」に。もしかして、電池が少なくなると画面が戻るかもーとのアワイ期待をもつことにしました。だんだん画面が暗くなっていく間にアラームをセットしましたが、結局は鳴りませんでした。

 6:30には起床。昨夜は4人部屋に4人泊まったので、起きるタイミングに気を使います。何となく呼吸を合わせて互いに迷惑をかけないようにしています。朝食は8時から。学生たちが泊まっていましたので狭いダイニングルームは一瞬いっぱいに。







 荷物をまとめてあるので、すぐマチを見ながら桟橋へ向かいました。カサをさすほどではありませんが、だんだんしっとり濡れる感じです。


  巨大なショッピングモールで、「EUROVEA GALLERIA」といい、人が入っていくので入ってみました。各テナントが全部開いているのではなく、コーヒーショップや一部の店がオープンしています。




 強風で倒れたものです。 


 スロバキア新国立劇場

 昨日、高速船の「Twin City Liner」の会社に下調べで行った時、30分前に来て下さい、と。しかし、30分前に着いた時、客は自分一人です。本当にイイのかな?受付の女性は愛想よく対応してくれ、自分一人でも船は動くのだなーと安心しました。その後、一般の客と同じホテルに泊まっていた高校生の団体がやって来てニギニギしくなりました。船内は、搭乗率20~30%といったところでしょうか。きっと天気にも左右されたかも。水量は結構多く、水は濁っていて、少しですが流木も所々に見かけられます。

 

 さて、水面からの視点からどのような光景が見られるでしょうか。ブラティスラバ発10:30ジャストに出航しました。ドナウ川をさかのぼって行くことになります。 天気が回復し、青空が出てくることを期待しながらー。

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⒠₋20.第32回 「北創美術協会展」へ~By;旭川市民文化会館  2024.6.14

2024-07-05 09:00:00 | ⒠イベント展示会鑑賞

 第37回「北創美術協会展」(於;旭川市民文化会館)をみた友人から、「イイ作品がたくさんあり、とてもよかったヨ!」と聞き、6/14、行ってきました。これは、北創美術協会が公募展で、作品には墨だけを使って表現している「水墨画」と墨絵にいろいろな色を使って表現する「墨彩画」が展示されていました。確かに、見ごたえのある作品がいっぱいありました。



 故 秋山 國夫氏のコーナー(受付前)


 本会代表だった秋山氏の作品











 会場内の秋山氏の作品


会場の様子


 陶芸でも、素焼きの素材に下絵具のゴスなどで描く手法(染付とも)がありますので、この表現方法を如何に染付に取り入れることができないか!の視点で鑑賞することができました。とりわけ、秋山氏の作品は際立っており、そのすばらしさには敬服しました。また、全体的にレベルが高く、特に構図のとり方、墨の線や陰影、ぼかし等を駆使した力作が多く、大変参考になりました。

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⒠‐19.和泉雅子さんの「北極点遠征の資料」展示室へ~By;士別市立博物館)

2024-07-04 09:00:00 | ⒠イベント展示会鑑賞

  バイク友とツーリング途中、士別市立博物館へ立ち寄った折開催していた和泉雅子さんの「北極点遠征の資料」展示室の様子です。



 1989年(S64年)、今から30年前の5月10日のこと。女優・和泉雅子さんが北極点に到達した!、とのニュースを新聞で 知ったことを思い出します。これは、1985年に挑戦したのですが氷の割れ目に行く手を阻まれリベンジでの成功です。

 

 

  




和泉雅子さんのコレクション 

 


 ウルといい、動物の解体や皮剥ぎ、衣類の制作等に使用。

第一印象は、リベンジに成功しすごいことを成し遂げたもの!と。南極観測隊などにも触発され、より若いときはアドベンチャー的なことにもトライしてきましたので興味津々でした。極地は、北海道の寒い!とは比較にならないほどの超極寒!の地。吹雪とかホワイトアウトどころではなく、ブリザードのイメージがぴったりの地です。そして、氷上の道なき道を北極点に向けて進むとてつもない過酷な挑戦です。その気力、体力、チーム力、資金力等々が頭を巡りました。

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⒠‐18.藤原 英幸氏の「私の中の北海道」展~By;名寄市立北国博物館

2024-07-03 09:00:00 | ⒠イベント展示会鑑賞
 バイク友と名寄市立北国博物館へ行ったとき、名寄市立北国博物館内で開催されていた藤倉英幸氏の「私の中の北海道」展の様子です。


 藤倉氏の作品は、JR北海道の社内広報誌「THE JR HOKKAID」の表紙や六花亭製菓のお菓子の「ゆきやこんこ」のパッケージなどに採用されており、以前から知っていました。特に、北海道の原風景をモチーフに、デザイン性があり合いも豊かですばらしい作品!と好感をもっていました。

 



制作の方法の解説


  藤倉氏の作品は、今までポスターカラーで描いたのかな⁉と。ちょうど本館の職員がいて説明を聞くことができたのですが、ナント「切り絵」とのことです。私のやっている陶芸の加飾・装飾にも応用できないかな?と思いながら大変興味深く見せてもらいました。

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Ⓖ₋55.庭にどんなバラが?   2024.6.30

2024-07-02 09:00:00 | Ⓖ-Myガーデニング🌼

 よく、庭園巡りの個人邸訪問!などのyoutubeを見ていると、見事な美しいバラを育てている家があり、あこがれを持って視聴することがあります。バラの栽培は、我が家もアレコレトライしてきましたが、なかなかうまく育たなく現状維持で甘んじています。それにしても、庭にどんなバラが、どの場所に、どのくらいあるのか調べ、写真で記録しておくことにしました。


(1)庭のバラ




➀ 白いつるバラ(過去モノ)





② モカ





③ 赤いバラ





 ④バレリーナ





⑤ 黄色いバラ   🌺;終了




⑥ ピンク色のバラ





 ⑦ ピンクのつるバラ





 ⑧ 白いつるバラ



❷ 歩道側のバラ




ロサ・グラウカ 🌷;終了





⑩ つるバラ(赤)





⑪ つるバラ(赤)~庭入口



❸ 母屋前のバラ


 ⑫ つるバラ(赤)~庭入口





⑬ つるバラ(ピンク)~ブドウ棚下





⑭ つるバラ(ピンク)~歩道側





 ⑮ アンジェラ~歩道側


 バラの呼称は不明なものが多くありましたが、全部で15株あることがわかりました。種類としては12種類です。なお、つるバラは、友人からのもらい物がほとんどです。バラをきれいに育てることは、大変テマがかかり、害虫の被害にあったり難しさを実感しています。以前、バラを主にした庭造りも考えたことがありますが、まあ、トシ相応にこんなところで!?と妥協してー。

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