福島・広野町の若手農家 2年ぶり出荷 米作り「負けてたまるか」より転載
2012年11月14日 夕刊 東京新聞
東京電力福島第一原発事故で飛散した放射性物質のため、田畑の作付け自粛が続く福島県広野町で、農家の横田和希さん(31)が米の作付けに踏み切り、二年ぶりに出荷した。原発事故に続く風評被害、戻らない住民。幾重もの苦境に「負けてたまるか」という思いが体を突き動かしている。 (沢田佳孝)
午前五時に起きて田んぼを見回り、家に戻って新聞を読み、朝食をとる。昨年はできなかった、ごく当たり前の生活だ。「体に染み付いた習慣。うれしいね」。稲刈りを終えたばかりの田んぼを前に喜びをかみしめる。
四百戸近い町の農家で最年少。先祖代々の田畑を守るだけでなく、「稼げる農業」を目指してきた。休耕地を借りて規模を拡大し、減農薬などを売りに全国に顧客を広げてきた。それが原発事故で「夢も希望も吹っ飛んだ」。
町は緊急時避難準備区域に指定され、妻と三人の娘を神奈川県に避難させ、自らは福島県いわき市の農家に身を寄せた。故郷を一年間離れて、あらためて分かった。「稼げるかどうか以前に、俺は米作りが好きなんだ」。三人の娘も「広野のおうちじゃなきゃ、いや」と言う。妻にも異存はなく、今年に入り町へ戻った。
町は放射性物質の濃度が高い「汚染米」ができることを恐れ、今年も作付け自粛を求めた。「作っても誰も買わねえ」。農家仲間もあきらめ顔だったが、納得できなかった。「実際に作って自分の目で確かめないと分かんねえ。米から放射性物質が出て出荷できなくても構わない」
背丈まで伸び放題の草を刈り、深く張った根をトラクターで掘り起こした。「町が自粛を求めているのに」と周囲の非難が心配だったが、田植えを終えた五月下旬、近所の人がつぶやいた。「稲の成長が見られっと、やっぱうれしい」。応援の声が広がっていった。
五ヘクタールに作付けし、収穫した米は十一トン。検査の結果、放射性物質の濃度はいずれも、国の基準値(一キログラム当たり一〇〇ベクレル)を下回る二〇ベクレル以下だった。
町内で米を出荷したのは、自分ともう一人の農家だけ。二人とも農協以外の販売ルートを持っていたからだ。八割を町民に直売し、残り二割を米穀業者に卸した。業者には買いたたかれるのを覚悟したが、「基準値以下なら問題ない」と例年の相場より高く買い取ってくれた。
町の見通しは、決して明るくはない。緊急時避難準備区域の指定は昨年九月末に解除されたが、戻った町民は二割ほど。娘が通う町内でただ一つの広野小学校のクラスメートも、四分の三が戻っていない。
離農する動きも続いているが、「放棄した田んぼを引き受けたい」と考える。「稼げる農業」の旗を降ろす気はない。ここで農家が暮らせると証明することが、自分のできる復興策だと思っている。
福島県産の米は昨年、原発事故の影響で国の暫定規制値を超す放射性セシウムの検出が各地で相次いだ。国は作付け制限区域を設けるなどし、県も県産米の全袋検査を義務付けて基準値以下の米に限って出荷を認めている。
広野町は国の作付け制限区域ではないが、試験作付けにとどめ、出荷を自粛。ただ、農家が自主的に作付け、出荷する場合は「安全性が確認されれば、出荷を妨げない」(広野町)という姿勢だ。
2012年11月14日 夕刊 東京新聞
東京電力福島第一原発事故で飛散した放射性物質のため、田畑の作付け自粛が続く福島県広野町で、農家の横田和希さん(31)が米の作付けに踏み切り、二年ぶりに出荷した。原発事故に続く風評被害、戻らない住民。幾重もの苦境に「負けてたまるか」という思いが体を突き動かしている。 (沢田佳孝)
午前五時に起きて田んぼを見回り、家に戻って新聞を読み、朝食をとる。昨年はできなかった、ごく当たり前の生活だ。「体に染み付いた習慣。うれしいね」。稲刈りを終えたばかりの田んぼを前に喜びをかみしめる。
四百戸近い町の農家で最年少。先祖代々の田畑を守るだけでなく、「稼げる農業」を目指してきた。休耕地を借りて規模を拡大し、減農薬などを売りに全国に顧客を広げてきた。それが原発事故で「夢も希望も吹っ飛んだ」。
町は緊急時避難準備区域に指定され、妻と三人の娘を神奈川県に避難させ、自らは福島県いわき市の農家に身を寄せた。故郷を一年間離れて、あらためて分かった。「稼げるかどうか以前に、俺は米作りが好きなんだ」。三人の娘も「広野のおうちじゃなきゃ、いや」と言う。妻にも異存はなく、今年に入り町へ戻った。
町は放射性物質の濃度が高い「汚染米」ができることを恐れ、今年も作付け自粛を求めた。「作っても誰も買わねえ」。農家仲間もあきらめ顔だったが、納得できなかった。「実際に作って自分の目で確かめないと分かんねえ。米から放射性物質が出て出荷できなくても構わない」
背丈まで伸び放題の草を刈り、深く張った根をトラクターで掘り起こした。「町が自粛を求めているのに」と周囲の非難が心配だったが、田植えを終えた五月下旬、近所の人がつぶやいた。「稲の成長が見られっと、やっぱうれしい」。応援の声が広がっていった。
五ヘクタールに作付けし、収穫した米は十一トン。検査の結果、放射性物質の濃度はいずれも、国の基準値(一キログラム当たり一〇〇ベクレル)を下回る二〇ベクレル以下だった。
町内で米を出荷したのは、自分ともう一人の農家だけ。二人とも農協以外の販売ルートを持っていたからだ。八割を町民に直売し、残り二割を米穀業者に卸した。業者には買いたたかれるのを覚悟したが、「基準値以下なら問題ない」と例年の相場より高く買い取ってくれた。
町の見通しは、決して明るくはない。緊急時避難準備区域の指定は昨年九月末に解除されたが、戻った町民は二割ほど。娘が通う町内でただ一つの広野小学校のクラスメートも、四分の三が戻っていない。
離農する動きも続いているが、「放棄した田んぼを引き受けたい」と考える。「稼げる農業」の旗を降ろす気はない。ここで農家が暮らせると証明することが、自分のできる復興策だと思っている。
福島県産の米は昨年、原発事故の影響で国の暫定規制値を超す放射性セシウムの検出が各地で相次いだ。国は作付け制限区域を設けるなどし、県も県産米の全袋検査を義務付けて基準値以下の米に限って出荷を認めている。
広野町は国の作付け制限区域ではないが、試験作付けにとどめ、出荷を自粛。ただ、農家が自主的に作付け、出荷する場合は「安全性が確認されれば、出荷を妨げない」(広野町)という姿勢だ。