9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について  <円の支配者> リチャード・ヴェルナー著 その8

2017年04月23日 | 日記
とあるスナックで
小林
そしてP-240

先に述べたとおり、90年代に日銀がその気になれば日本の不況を簡単に終わらせられたことを考え合わせると謎はさらに深まる。しかも、当時も日銀を動かしていたのは同じ人びとだった。三重野と福井である。大蔵省も政治家も専門的知識が少なく、信用創造が景気回復の鍵であることを(少なくとも98年までは)知らなかったが、日銀のプリンスたちは百も承知だった。戦争直後の時代、プリンスたちは信用収縮がもたらした不況に終止符を打って、優れた腕前を示した。1945年当時、不良債権問題はもっと深刻だったが、一万田は紙幣を印刷し、CPを買い取り、銀行システムに資金を注入して、信用創造を拡大した。ところが90年代、プリンスたちは景気を回復させるどころか、危機を長期化させ、悪化させる政策を選んだ。彼らの目標が日本経済をどん底におとすことだったと考えると、はじめてその政策の一貫性が見えてくる。
だが、なぜ、深刻な不況を望んだのだろうか?


コー
要するに、<300人委員会>側に怒られて、日本を変えようとしたということだと思う。<300人委員会>側、つまり、欧米の中央銀行、欧米の経済閣僚たち、特にアメリカの。そして欧米の政治家たちから。おい、日本よ俺たちのシマを荒らすな、とね。そして日本の経済システムは、俺らにとっては非常に危険なシステムだから、それを変えろと。

そして、日銀の生え抜きたちは、ははー、かしこまりました、おっしゃるとおりでございますと、<前川リポート>を作り、そのために日本経済を計画的に破壊したんだ。破壊しなければ、日本は変えられないと思い、計画、実行したということだ。

理由はどうであれ、これは日本国民にたいする、<犯罪>だと思う。

そしてその証拠を消すために、いそいで<窓口指導>を廃止し、<営業局>を改変したんだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.11について  <円の支配者> リチャード・ヴェルナー著  その7

2017年04月23日 | 日記
とあるスナックで

小林
ではなぜか。  いよいよ 第14章 ですね。


細かい窓口指導の手続きに精通していたことを考えれば、バブル生成期に営業局長だった福井俊彦は、不動産投機の取引にどれくらいのお金が流れたかを正確に把握していたはずだ。その気になれば、大口の借りての名前まですべてあげることができたろう。上司で師でもあり、副総裁といいながら事実上の日銀総裁だった三重野康は、1960年代、70年代の実体験から、不動産業種への貸出増加がバブルを生み出すことを充分に知っていた。80年代の福井と三重野の発言を見ると、何が起ころうとしているかを当時すでに承知していたことがわかる。二人とも銀行貸出とマネーサプライの拡大が不動産価格を押し上げたと述べているのだ。窓口指導の貸出割当枠の規模に関しては、決まった規則もなく、理由の開示もされず、大蔵省からの圧力もなければ、全世界の誰にも説明責任を負っていないから、福井と三重野は自分たちの判断どおりに行動できた。彼らが大蔵省の積極的な金融緩和策にはほんとうに反対なら、窓口指導の貸出伸び率をたとえば6パーセントから7パーセントにまで引き下げることは簡単だったはずだが、福井が指示したのは12パーセントから14パーセントという二桁の伸びだった。バブル生成が不可避の高い貸出伸び率を選んだのだ。なぜか?


コー
いまの日銀総裁は、黒田東彦、どうやら日銀生え抜きの総裁ではなく、大蔵省からの総裁みたいだな。
この伝家の宝刀<窓口指導>をあまりご存知ないみたいだな。デフレ対策として<超金融緩和>をやっているつもりだが、さっぱり効果がでてこない。そりゃそうだろう、世の中に新たにお金を増やして、そしてデフレを治そうとするには、<銀行の貸し出し>が増えなければならないということだ。貸し出されたお金がしかも、<不動産>や<株>のような<GDPに含まれない取引>に流れるのではなく、<GDPに含まれる取引>に流れる必要があるということだと思うな。

残念だが<窓口指導>の経験がない黒田総裁には、<窓口指導>に変わるアイデアがないように思われるな。

日銀の生え抜きたちは、うすら笑みを浮かべて、彼が失敗するのを待っているんだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする