日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(359)「鈴木建設は私が社長です」の「述語論理」(Ⅱ)。

2019-10-02 14:11:52 | 象は鼻が長い、述語論理。

(01)
1     (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]} A
1     (2)   S社の社員a→∃y[私y&社長ya&∀z(社長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   S社の社員a                           A
13    (4)          ∃y[私y&社長ya&∀z(社長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&社長ba&∀z(社長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&社長ba                5&E
  5   (7)             私b                     5&E
  5   (8)                社長ba                5&E
  5   (9)                     ∀z(社長za→b=z)   5&E
  5   (ア)                        社長ca→b=c    9UE
   イ  (イ)   ∃z(浜崎z&~私z)                      A
    ウ (ウ)      浜崎c&~私c                       A
    ウ (エ)      浜崎c                           ウ&E
    ウ (オ)          ~私c                       ウ&E
     カ(カ)            b=c                     A
    ウカ(キ)          ~私b                       オカ=E
  5 ウカ(ク)          ~私b&私b                    7キ&I
  5 ウ (ケ)            b≠c                     カクRAA
  5 ウ (コ)                       ~社長ca        アケMTT
  5 ウ (サ)      浜崎c&~社長ca                     エコ&I
  5 ウ (シ)   ∃z(浜崎z&~社長za)                    サEI
  5イ  (ス)   ∃z(浜崎z&~社長za)                    イウシEE
13 イ  (セ)   ∃z(浜崎z&~社長za)                    45スEE
1  イ  (ソ)   S社の社員a→∃z(浜崎z&~社長za)             3セCP
1  イ  (タ)∀x{S社の社員x→∃z(浜崎z&~社長zx)}            ソUI
従って、
(01)により、
(02)
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
(イ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(タ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(1)鈴木建設は私社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。    従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
① すべてのzはFである。
② Fでないzは存在しない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
② Fでないzは存在しない。の「否定」は、
② Fでないzが存在する。 の「肯定」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① すべてのzはFである。 の「否定」は、
② Fでないzが存在する。 の「肯定」である。
従って、
(06)により、
(07)
① ~∀zFz=すべてのzがFである。といふことはない。
② ∃z~Fz=Fでないzが存在する。
に於いて、
①=② であるものの、このことを、「量化子の関係」といふ。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1 (1)~∀z(社長zx→y=z) A
1 (2)∃z~(社長zx→y=z) 1量化子の関係
 3(3)  ~(社長cx→y=c) A
 3(4) ~(~社長cx∨y=c) 3含意の定義
 3(5)  ~~社長cx&y≠c  4ド・モルガンの法則 
 3(6)    社長cx&y≠c  5DN
 3(7) ∃z(社長zx&y≠z) 6EI
1 (8) ∃z(社長zx&y≠z) 237EE
(ⅱ)
1 (1) ∃z(社長zx&y≠z) A
 2(2)    社長cx&y≠c  A
 2(3) ~(~社長cx∨y=c) 2ド・モルガンの法則
 2(4)  ~(社長cx→y=c) 3含意の定義
 2(5)∃z~(社長zx→y=z) 4EI
1 (6)∃z~(社長zx→y=z) 125EE
1 (7)~∀z(社長zx→y=z) 6量化子の関係
従って、
(07)(08)により、
(09)
量化子の関係」により、
① ~∀z(社長zx→y=z)≡すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。といふわけではない
②  ∃z(社長zx&y≠z)≡       あるzは、xの社長であって、  yとzは「同一」ではない
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
1     (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx& ∀z(社長zx→y=z)]} A
ではなく、
1     (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
であるならば、
1     (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
1     (2)   S社の社員a→∃y[私y&社長ya&~∀z(社長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   S社の社員a                            A
13    (4)          ∃y[私y&社長ya&~∀z(社長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&社長ba&~∀z(社長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&社長ba                 5&E
  5   (7)             私b                      5&E
  5   (8)                社長ba                 5&E
  5   (9)                     ~∀z(社長za→b=z)   5&E
  5   (ア)                     ∃z~(社長za→b=z)   9量化子の関係
   イ  ()                       ~(社長a→b=)   A
   イ  (ウ)                      ~(~社長ca∨b=c)   イ含意の定義
   イ  (エ)                       ~~社長ca&b≠c    ウ、ド・モルガンの法則
   イ  (オ)                         社長ca&b≠c    エDN
   イ  (カ)                         社長a        オ&E
    キ (キ)   ∃z(浜崎z&~私z)                       A
     ク()      浜崎&~私                        A
     ク(ケ)      浜崎c                            キ&E
   イ ク(コ)      浜崎c&社長ca                       カケ&I
   イ ク(サ)   ∃z(浜崎z&社長za)                      コEI であるものの、
   イ ク(〃)   ∃z(浜崎z&社長za)                      コEI の場合は、(イ)にも(ク)にも、「」があるため、
   イキ (シ)   ∃z(浜崎z&社長za)                      キクサEE は、「反則」であって、そのため、ここ迄で、「終了」である。
従って、
(02)(09)(10)により、
(11)
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
(イ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(タ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」であるが、
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である、といふことはない。 然るに、
(キ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(ソ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」ではない
従って、
(03)(10)(11)により、
(12)
1     (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx& ∀z(社長zx→y=z)]} A
ではなく、
1     (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]} A
であるならば、
(1)鈴木建設は私社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。    従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」ではない
然るに、
(13)
① ~∀z(社長zx→y=z)≡すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。といふわけではない
②  ∃z(社長zx&y≠z)≡       あるzは、xの社長であって、  yとzは「同一」ではない
といふことは、
② すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、社長は、少なくとも、yとzの、「二人」がゐる。
といふことに、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
(1)鈴木建設は私社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。    従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
といふのであれば、
(1)鈴木建設は私社長です。
と言へば、それだけで、
(1)鈴木建設には、「社長は一人しかゐない。」
といふ風に、言ってゐる、ことになる。
然るに、
(15)
(1)鈴木建設は私社長です。
といふ「言ひ方」は、「普通」であるが、
(2)鈴木建設は私社長です。
といふ「言ひ方」は、「普通」は、しない
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 鈴木建設は私社長です。⇔
① 鈴木建設の社長は私であり、私以外は社長ではない。⇔
① ∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(16)により、
(17)
② タゴール記念会は私理事長です。⇔
② タゴール記念会の理事長は私であり、私以外は理事長ではない。⇔
② ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
② すべてのxについて、xがタゴール記念会の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(01)~(17)により、
(18)
(1)タゴール記念会は私理事長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。        従って、
(タ)タゴール記念会であるならば、浜崎は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」であるとされるのであれば、三上章先生は、
「タゴール記念会は私理事長です。」といふ「日本語」の、
 ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理構造」を、「否定」することは、出来ないし、「無視」することも、出来ない。
然るに、
(19)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(20)
② タゴール記念会は私理事長です。⇔
② ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理構造」と、
 タゴール記念会は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である
といふこととは、「無関係」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
「三上章、日本語の論理、1963年」を書いた、三上章先生は、
② タゴール記念会は私理事長です。
といふ「日本語」の、
② ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理構造」を、理解してゐたとは、言へない