(01)
「&(の働き)」と「∨(の働き)」を理解してゐれば、
① (Fa&Fb&Fc)∨(Ga&Gb&Gc)
②(Fa∨Ga)&(Fb∨Gb)&(Fc∨Gc)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
といふことは、「容易に理解」出来る。
然るに、
(02)
「存在量記号は選言の仲間であり、普遍量記号は連言の仲間である(E.J.レモン、論理学初歩)。」といふことから、
① (Fa&Fb&Fc)∨(Ga&Gb&Gc)
②(Fa∨Ga)&(Fb∨Gb)&(Fc∨Gc)
といふ「事態」は、{a,b,c}が「ドメイン(変域)」であるとして、
① ∀xFx∨∀xGx
② ∀x(Fx∨Gx)
といふ「論理式」に相当する。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ∀xFx∨∀xGx
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1) ∀xFx∨∀xGx A
2 (2) ∀xFx A
2 (3) Fa 2UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀xGx A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7∨I
6(9)∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
従って、
(03)(04)により、
(05)
確かに、
① ∀xFx∨∀xGx
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(06)
(ⅱ)
1 (1)∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3(3) Fa A
3(4) ∀xFx 3UI
然るに、
(07)
しかし(3)は「a」を含む故、ここで∀xFxを結論することはさしとめられる。
(論理学初歩、E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、156)
(08)
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3(3) Fa A
3(4) ∀xFx 3UI
といふことは、
(2)aはFであるか、aはGである。
(3)仮に、aがFであるとする。従って、
(4)aはFであり、bもFであり、cもFである。
と言ってゐるのに「等しい」ため、当然、「マチガイ」である。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
(ⅱ)
1 (1) ∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A
3 (4) ∀xFx 3UI
に続く、
3 (5)∀xFx∨∀xGx 4∨I
6(6) Ga A
6(7) ∀xGx 6UI
6(8)∀xFx∨∀xGx 7∨I
1 (9)∀xFx∨∀xGx 23568∨E
といふ「計算」も、「妥当」ではない。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
確かに、
① ∀xFx∨∀xGx
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
② ならば、① ではない。
従って、
(03)(05)(09)により、
(10)
確かに、
① ∀xFx∨∀xGx
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
(11)
「&(の働き)」と「∨(の働き)」を理解してゐれば、
① (Fa&Fb&Fc)∨(Ga&Gb&Gc)
②(Fa∨Ga)&(Fb∨Gb)&(Fc∨Gc)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
といふことは、「容易に理解」できる。といふ際に、
「どのやうに、容易に理解できる」のかと言ふと、「結局」は、
(ⅰ)
1 (1) ∀xFx∨∀xGx A
2 (2) ∀xFx A
2 (3) Fa 2UE
2 (4) Fa∨Ga 3∨I
2 (5)∀x(Fx∨Gx) 4UI
6(6) ∀xGx A
6(7) Ga 6UE
6(8) Fa∨Ga 7UI
6(9)∀x(Fx∨Gx) 8UI
1 (ア)∀x(Fx∨Gx) 12569∨E
(ⅱ)
1 (1) ∀x(Fx∨Gx) A
1 (2) Fa∨Ga 1UE
3 (3) Fa A
3 (4) ∀xFx 3UI
といふ「計算」と、「同じ思考の過程を辿る」ことによって、「容易に理解できる」。
(01)
①「男子の学生がゐる。」ならば、
②「男子がゐて、学生がゐる。」
然るに、
(02)
②「男子がゐて、学生がゐる。」としても、
①「男子の学生がゐる。」とは、限らない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
①「男子の学生がゐる。」
②「男子がゐて、学生がゐる。」
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
然るに、
(04)
「存在量記号は選言の仲間であり、普遍量記号は連言の仲間である(E.J.レモン、論理学初歩)。」といふことから、
{a,b,c}の{三人}が「ドメイン(変域)」であるならば、
①「男子の学生がゐる。」
②「男子がゐて、学生がゐる。」
は、それぞれ、
①(男子a&学生a)∨(男子b&学生b)∨(男子c&学生c)
②(男子a∨男子b∨男子c)&(学生a∨学生b∨学生c)
といふ「事態」に、相当する。
然るに、
(05)
{a,b,c}の{三人}が「ドメイン(変域)」であるならば、
①(男子a&学生a)∨(男子b&学生b)∨(男子c&学生c)
②(男子a∨男子b∨男子c)&(学生a∨学生b∨学生c)
といふ「事態」は、
① ∃x(男子x&学生x)
② ∃x男子x&∃x学生x
といふ「式」で、表すことが、出来る。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①「男子の学生がゐる。」
②「男子がゐて、学生がゐる。」
といふ「日本語」は、
① ∃x(男子x&学生x)
② ∃x男子x&∃x学生x
といふ「式」に、相当し、それ故に、
① ∃x(男子x&学生x)
② ∃x男子x&∃x学生x
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)
1 (1)∃x(男子x&学生x) A
1 (〃)男子の学生がゐる。 A
2(2) 男子a&学生a A
2(3) 男子a 2&E
2(4)∃x(男子x) 3EI
2(5) 学生a 2&E
2(6) ∃x(学生x) 5EI
2(7)∃x(男子x)&∃x(学生x) 46&I
1 (8)∃x(男子x)&∃x(学生x) 127EE
といふ「計算」は、「妥当」であるが、
(ⅱ)
1 (1)∃x(男子x) A
1 (〃)あるxは男子である。 A
2 (2)∃x(学生x) A
2 (〃)あるxは学生である。 A
3 (3) 男子a A
4(4) 学生a A
34(5) 男子a&学生a 34&I
34(6)∃x(男子x&学生x) 5EI
23 (7)∃x(男子x&学生x) 24EE
12 (8)∃x(男子x&学生x) 13EE
12 (〃)男子の学生がゐる。 13EE
といふ「計算」は、「妥当」ではない。
(08)
「&(の働き)」と「∨(の働き)」と「真理表」を理解してゐれば、
①(男子a&学生a)∨(男子b&学生b)∨(男子c&学生c)
②(男子a∨男子b∨男子c)&(学生a∨学生b∨学生c)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① であるとは、限らない。
といふことは、「容易に理解」出来る。
(01)
1 (1)∃x(男子x&学生x) A
1 (〃)男子の学生がゐる。 A
2(2) 男子a&学生a A
2(3) 男子a 2&E
2(4)∃x(男子x) 3EI
1 (5)∃x(男子x) 124EE
2(6) 学生a 2&E
2(7) ∃x(学生x) 6EI
1 (8) ∃x(学生x) 127EE
1 (9)∃x(男子x)&∃x(学生x) 78&I
1 (〃)男子がゐて、学生がゐる。 78&I
(02)
1 (1)∃x(男子x) A
1 (〃)あるxは男子である。 A
2 (2)∃x(学生x) A
2 (〃)あるxは学生である。 A
3 (3) 男子a A
4(4) 学生a A
34(5) 男子a&学生a 34&I
34(6)∃x(男子x&学生x) 5EI
23 (7)∃x(男子x&学生x) 24EE
12 (8)∃x(男子x&学生x) 13EE
12 (〃)男子の学生がゐる。 13EE
従って、
(01)(02)により、
(03)
①「男子の学生がゐる。」ならば「男子がゐて学生がゐる。」○
②「男子がゐて学生がゐる。」ならば「男子の学生がゐる。」×
然るに、
(04)
②「男性の教師がゐて女学生がゐる。」としても、
②「男子がゐて、 学生がゐる。」
然るに、
(05)
②「男性の教師がゐて女学生がゐる。」としても、
②「男子の学生がゐる。」といふことには、ならない。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
①「男子の学生がゐる。」ならば「男子がゐて学生がゐる。」
②「男子がゐて学生がゐる。」ならば「男子の学生がゐる。」
に於いて、
① は「妥当」であるものの、
② は「妥当」ではない。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(02)で行った「計算」は、
1 (1)∃x(男子x) A
1 (〃)あるxは男子である。 A
2 (2)∃x(学生x) A
2 (〃)あるxは学生である。 A
3 (3) 男子a A
までは、「妥当」であるものの、
4(4) 学生a A
34(5) 男子a&学生a 34&I
34(6)∃x(男子x&学生x) 5EI
23 (7)∃x(男子x&学生x) 24EE
12 (8)∃x(男子x&学生x) 13EE
に関しては、「妥当」ではない。
従って、
(07)により、
(08)
昨日示した、以下の「計算」も、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx& ∀z(社長zx→y=z)]} A
ではなく、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
であるならば、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
1 (2) S社の社員a→∃y[私y&社長ya&~∀z(社長za→y=z)] 1UE
3 (3) S社の社員a A
13 (4) ∃y[私y&社長ya&~∀z(社長za→y=z)] 23MPP
5 (5) 私b&社長ba&~∀z(社長za→b=z) A
5 (6) 私b&社長ba 5&E
5 (7) 私b 5&E
5 (8) 社長ba 5&E
5 (9) ~∀z(社長za→b=z) 5&E
5 (ア) ∃z~(社長za→b=z) 9量化子の関係
イ (イ) ~(社長ca→b=c) A
イ (ウ) ~(~社長ca∨b=c) イ含意の定義
イ (エ) ~~社長ca&b≠c ウ、ド・モルガンの法則
イ (オ) 社長ca&b≠c エDN
イ (カ) 社長ca オ&E
までは、「妥当」であるものの、
キ (キ) ∃z(浜崎z&~私z) A
ク(ク) 浜崎c&~私c A
ク(ケ) 浜崎c キ&E
イ ク(コ) 浜崎c&社長ca カケ&I
イ ク(サ) ∃z(浜崎z&社長za) コEI
イキ (シ) ∃z(浜崎z&社長za) キクサEE
5 キ (ス) ∃z(浜崎z&社長za) 5イシEE
13 キ (セ) ∃z(浜崎z&社長za) 45スEE
1 キ (ソ) S社の社員a→∃z(浜崎z&社長za) 3セCP
1 キ (タ)∀x{S社の社員x→∃z(浜崎z&社長zx) ソUI
に関しては、「妥当」ではない。
従って、
(08)により、
(09)
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である、といふことはない。 然るに、
(キ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(ソ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長である。
といふ「推論」は、「妥当」ではない。
従って、
(09)により、
(10)
(1)鈴木建設は私以外にも社長はゐる。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。 従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長である。
といふ「推論」は、「妥当」ではなく、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長であるかも知れないし、社長ではないかも知れない。
といふ「結論」が、「正しい」。
然るに、
(11)
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
ではなく、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx& ∀z(社長zx→y=z)]} A
であるならば、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]} A
1 (2) S社の社員a→∃y[私y&社長ya&∀z(社長za→y=z)] 1UE
3 (3) S社の社員a A
13 (4) ∃y[私y&社長ya&∀z(社長za→y=z)] 23MPP
5 (5) 私b&社長ba&∀z(社長za→b=z) A
5 (6) 私b&社長ba 5&E
5 (7) 私b 5&E
5 (8) 社長ba 5&E
5 (9) ∀z(社長za→b=z) 5&E
5 (ア) 社長ca→b=c 9UE
イ (イ) ∃z(浜崎z&~私z) A
ウ (ウ) 浜崎c&~私c A
ウ (エ) 浜崎c ウ&E
ウ (オ) ~私c ウ&E
カ(カ) b=c A
ウカ(キ) ~私b オカ=E
5 ウカ(ク) ~私b&私b 7キ&I
5 ウ (ケ) b≠c カクRAA
5 ウ (コ) ~社長ca アケMTT
5 ウ (サ) 浜崎c&~社長ca エコ&I
5 ウ (シ) ∃z(浜崎z&~社長za) サEI
5イ (ス) ∃z(浜崎z&~社長za) イウシEE
13 イ (セ) ∃z(浜崎z&~社長za) 45スEE
1 イ (ソ) S社の社員a→∃z(浜崎z&~社長za) 3セCP
1 イ (タ)∀x{S社の社員x→∃z(浜崎z&~社長zx)} ソUI
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(11)により、
(12)
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
(イ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(タ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」であり、
従って、
(12)により、
(13)
(1)鈴木建設は私が社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。 従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
(1)鈴木建設は私が社長です。
といふ「日本語」は、
(1)鈴木建設は、私は社長であり、私以外は社長ではない。
とい「意味」であり、それ故、「記号」で書くならば、
(1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]}。
といふ、ことになる。
(01)
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]} A
1 (2) S社の社員a→∃y[私y&社長ya&∀z(社長za→y=z)] 1UE
3 (3) S社の社員a A
13 (4) ∃y[私y&社長ya&∀z(社長za→y=z)] 23MPP
5 (5) 私b&社長ba&∀z(社長za→b=z) A
5 (6) 私b&社長ba 5&E
5 (7) 私b 5&E
5 (8) 社長ba 5&E
5 (9) ∀z(社長za→b=z) 5&E
5 (ア) 社長ca→b=c 9UE
イ (イ) ∃z(浜崎z&~私z) A
ウ (ウ) 浜崎c&~私c A
ウ (エ) 浜崎c ウ&E
ウ (オ) ~私c ウ&E
カ(カ) b=c A
ウカ(キ) ~私b オカ=E
5 ウカ(ク) ~私b&私b 7キ&I
5 ウ (ケ) b≠c カクRAA
5 ウ (コ) ~社長ca アケMTT
5 ウ (サ) 浜崎c&~社長ca エコ&I
5 ウ (シ) ∃z(浜崎z&~社長za) サEI
5イ (ス) ∃z(浜崎z&~社長za) イウシEE
13 イ (セ) ∃z(浜崎z&~社長za) 45スEE
1 イ (ソ) S社の社員a→∃z(浜崎z&~社長za) 3セCP
1 イ (タ)∀x{S社の社員x→∃z(浜崎z&~社長zx)} ソUI
従って、
(01)により、
(02)
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
(イ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(タ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(1)鈴木建設は私が社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。 従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
① すべてのzはFである。
② Fでないzは存在しない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
② Fでないzは存在しない。の「否定」は、
② Fでないzが存在する。 の「肯定」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① すべてのzはFである。 の「否定」は、
② Fでないzが存在する。 の「肯定」である。
従って、
(06)により、
(07)
① ~∀zFz=すべてのzがFである。といふことはない。
② ∃z~Fz=Fでないzが存在する。
に於いて、
①=② であるものの、このことを、「量化子の関係」といふ。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1 (1)~∀z(社長zx→y=z) A
1 (2)∃z~(社長zx→y=z) 1量化子の関係
3(3) ~(社長cx→y=c) A
3(4) ~(~社長cx∨y=c) 3含意の定義
3(5) ~~社長cx&y≠c 4ド・モルガンの法則
3(6) 社長cx&y≠c 5DN
3(7) ∃z(社長zx&y≠z) 6EI
1 (8) ∃z(社長zx&y≠z) 237EE
(ⅱ)
1 (1) ∃z(社長zx&y≠z) A
2(2) 社長cx&y≠c A
2(3) ~(~社長cx∨y=c) 2ド・モルガンの法則
2(4) ~(社長cx→y=c) 3含意の定義
2(5)∃z~(社長zx→y=z) 4EI
1 (6)∃z~(社長zx→y=z) 125EE
1 (7)~∀z(社長zx→y=z) 6量化子の関係
従って、
(07)(08)により、
(09)
「量化子の関係」により、
① ~∀z(社長zx→y=z)≡すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。といふわけではない。
② ∃z(社長zx&y≠z)≡ あるzは、xの社長であって、 yとzは「同一」ではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx& ∀z(社長zx→y=z)]} A
ではなく、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
であるならば、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
1 (2) S社の社員a→∃y[私y&社長ya&~∀z(社長za→y=z)] 1UE
3 (3) S社の社員a A
13 (4) ∃y[私y&社長ya&~∀z(社長za→y=z)] 23MPP
5 (5) 私b&社長ba&~∀z(社長za→b=z) A
5 (6) 私b&社長ba 5&E
5 (7) 私b 5&E
5 (8) 社長ba 5&E
5 (9) ~∀z(社長za→b=z) 5&E
5 (ア) ∃z~(社長za→b=z) 9量化子の関係
イ (イ) ~(社長ca→b=c) A
イ (ウ) ~(~社長ca∨b=c) イ含意の定義
イ (エ) ~~社長ca&b≠c ウ、ド・モルガンの法則
イ (オ) 社長ca&b≠c エDN
イ (カ) 社長ca オ&E
キ (キ) ∃z(浜崎z&~私z) A
ク(ク) 浜崎c&~私c A
ク(ケ) 浜崎c キ&E
イ ク(コ) 浜崎c&社長ca カケ&I
イ ク(サ) ∃z(浜崎z&社長za) コEI であるものの、
イ ク(〃) ∃z(浜崎z&社長za) コEI の場合は、(イ)にも(ク)にも、「c」があるため、
イキ (シ) ∃z(浜崎z&社長za) キクサEE は、「反則」であって、そのため、ここ迄で、「終了」である。
従って、
(02)(09)(10)により、
(11)
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
(イ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(タ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」であるが、
(1)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である、といふことはない。 然るに、
(キ)あるzは浜崎であって、zは私ではない。 従って、
(ソ)すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるzは浜崎であって、zはxの社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」ではない。
従って、
(03)(10)(11)により、
(12)
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx& ∀z(社長zx→y=z)]} A
ではなく、
1 (1)∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&~∀z(社長zx→y=z)]} A
であるならば、
(1)鈴木建設は私が社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。 従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」ではない。
然るに、
(13)
① ~∀z(社長zx→y=z)≡すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。といふわけではない。
② ∃z(社長zx&y≠z)≡ あるzは、xの社長であって、 yとzは「同一」ではない。
といふことは、
② すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、社長は、少なくとも、yとzの、「二人」がゐる。
といふことに、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
(1)鈴木建設は私が社長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。 従って、
(タ)鈴木建設であるならば、浜崎は社長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
といふのであれば、
(1)鈴木建設は私が社長です。
と言へば、それだけで、
(1)鈴木建設には、「社長は一人しかゐない。」
といふ風に、言ってゐる、ことになる。
然るに、
(15)
(1)鈴木建設は私が社長です。
といふ「言ひ方」は、「普通」であるが、
(2)鈴木建設は私は社長です。
といふ「言ひ方」は、「普通」は、しない。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 鈴木建設は私が社長です。⇔
① 鈴木建設の社長は私であり、私以外は社長ではない。⇔
① ∀x{S社の社員x→∃y[私y&社長yx&∀z(社長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xが鈴木建設の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの社長であって、すべてのzについて、zがxの社長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(16)により、
(17)
② タゴール記念会は私が理事長です。⇔
② タゴール記念会の理事長は私であり、私以外は理事長ではない。⇔
② ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
② すべてのxについて、xがタゴール記念会の社員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(01)~(17)により、
(18)
(1)タゴール記念会は私が理事長です。 然るに、
(イ)浜崎は私ではない。 従って、
(タ)タゴール記念会であるならば、浜崎は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」であるとされるのであれば、三上章先生は、
「タゴール記念会は私が理事長です。」といふ「日本語」の、
∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理構造」を、「否定」することは、出来ないし、「無視」することも、出来ない。
然るに、
(19)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(20)
② タゴール記念会は私が理事長です。⇔
② ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理構造」と、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
といふこととは、「無関係」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
「三上章、日本語の論理、1963年」を書いた、三上章先生は、
② タゴール記念会は私が理事長です。
といふ「日本語」の、
② ∀x{T記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理構造」を、理解してゐたとは、言へない。