(01)
公理(こうり、英: axiom)は、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系(英語版) (axiomatic system) という[1] 。公理を前提として演繹手続きによって導きだされる命題は定理とよばれる(ウィキペディア)。
然るに、
(02)
(ⅰ)
1(1)P A
(2)P→P 11CP
(〃)PならばPである。11CP
従って、
(02)により、
(03)
①├ P→P
である。
然るに、
(04)
①├ P→P
に於いて、
① P→P
は、「仮定の数がゼロである証明可能な連式の結論である(論理学初歩、E.J.レモン、64頁)。」
然るに、
(05)
このかたちで証明される連式の結論を、定理(theorem)とよぶのである。故に仮定の数がゼロである証明可能な連式の結論である。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、64頁)
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①├ P→P
①├ PならばPである(同一律)。
は、「論理学初歩、E.J.レモン」で言ふ所の、「定理(theorem)」であって、「ウィキペディア」で言ふ「公理(axiom)」ではない。
然るに、
(07)
1(1)P A
(2)P→P 11CP
に於いて、「A,CP」は、「規則(rules)」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「論理学初歩、E.J.レモン」に於ける、
① PならばPである(同一律)。
といふ「恒真式(トートロジー)」は、「規則」によって、「証明」される所の「定理」である。
従って、
(09)
「ウィキペディア」で言ふ所の、「公理」は、
「論理学初歩、E.J.レモン」で言ふ所の「規則」に「対応」し、
「論理学初歩、E.J.レモン」で言ふ所の「定理」は、「普通の言い方」では、「恒真式(トートロジー)」に「相当」する。
然るに、
(10) (ⅰ)
1 (1) Na&(a=b) A
1 (2) Na 1&E
1 (3) a=b 1&E
1 (4) Nb 23=E
(5) Na&(a=b)→Nb 14CP
6 (6) ~Nb A
6 (7) ~{Na&(a=b)} 56MTT
6 (8) ~Na∨(a≠b) 7ド・モルガンの法則
6 (9) Na→(a≠b) 8含意の定義
(ア)~Nb→{Na→(a≠b)} 69CP
イ(イ) Na&~Nb A
イ(ウ)~Nb イ&E
イ(エ) {Na→(a≠b)} アウMPP
イ(オ) Na イ&E
イ(カ) (a≠b) エオMPP
(キ) Na&~Nb→(a≠b) イカCP
(ク) ∀y{Na&~Ny→(a≠y)} キUI
(ケ)∀x∀y{Nx&~Ny→(x≠y)} クUI
(〃)すべてxとすべてのyについて{xが日本人であって、yが日本人でないならば、xとyは同一人物ではない}。
(ⅱ)
1 (1) Na&(a=b) A
1 (2) Na 1&E
1 (3) a=b 1&E
1 (4) Nb 23=E
(5) Na&(a=b)→Nb 14CP
6 (6) ~Nb A
6 (7) ~{Na&(a=b)} 56MTT
6 (8) ~Na∨(a≠b) 7ド・モルガンの法則
6 (9) Na→(a≠b) 8含意の定義
(ア)~Nb→{Na→(a≠b)} 69CP
イ (イ) Na&~Nb A
イ (ウ)~Nb イ&E
イ (エ) {Na→(a≠b)} アウMPP
イ (オ) Na イ&E
イ (カ) (a≠b) エオMPP
(キ) Na&~Nb→(a≠b) イカCP
ク (ク) (a=b) A
ク (ケ) ~(a≠b) クDN
ク (コ) ~(Na&~Nb) キケMTT
ク (サ) ~Na∨ Nb コ、ド・モルガンの法則
ク (シ) Na→ Nb サ含意の定義
(ス) (a=b)→(Na→Nb) クシCP
セ(セ) (a=b)& Na A
セ(ソ) (a=b) セ&E
セ(タ) Na→Nb スソMPP
セ(チ) Na セ&E
セ(ツ) Nb タチMPP
(テ) (a=b)&Na→Nb セツCP (ト) ∀y{(a=y)&Na→Ny} テUI
(ナ)∀x∀y{(x=y)&Nx→Ny} トUI
(〃)すべてxとすべてのyについて{xとyが同一人物であって、xが日本人であるならば、yも日本人である}。
従って、
(04)(05)(06)(08)により、
(11)
②├ ∀x∀y{Nx&~Ny→(x≠y)}
③├ ∀x∀y{(x=y)&Nx→Ny}
といふ「定理」は、「恒真式(トートロジー)」である。
従って、
(11)により、
(12)
例へば、
①「xが日本人であって、yが日本人でない。」ならば、「xとyは、同一人物ではない。」
②「xとyが、同一人物であって、xが日本人である。」ならば、「yも日本人である。」
といふ『自明の理』は、「恒真式(トートロジー)」である。
―「昨日(令和2年10月13日)の記事」を書き直します。―
(01)
1 (1) Ra&(a=b) A
1 (2) Ra 1&E
1 (3) a=b 1&E
1 (4) Rb 23=E
(5) Ra&(a=b)→Rb 14CP
6 (6) ~Rb A
6 (7) ~{Ra&(a=b)} 56MTT
6 (8) ~Ra∨(a≠b) 7ド・モルガンの法則
6 (9) Ra→(a≠b) 8含意の定義
(ア)~Rb→{Ra→(a≠b)} 69CP
イ(イ) Ra&~Rb A
イ(ウ)~Rb イ&E
イ(エ) {Ra→(a≠b)} アウMPP
イ(オ) Ra イ&E
イ(カ) (a≠b) エオMPP
(キ) Ra&~Rb→(a≠b) イカCP
(ク) ∀y{Ra&~Ry→(a≠y)} キUI
(ケ)∀x∀y{Rx&~Ry→(x≠y)} クUI
(〃)すべてxとすべてのyについて{xがRであって、yがRでないならば、xとyは同一ではない}。
従って、
(01)により、
(02)
R=理事 であるとして、
① ∀x∀y{理事x&~理事y→(x≠y)}⇔
① すべてxとすべてのyについて{xが理事であって、yが理事でないならば、xとyは同一ではない}。
といふ「論理式」は、「トートロジー(恒真式)」である。
従って、
(02)により、
(03)
① xが理事であって、yが理事でないならば、xとyは「同一人物」ではない。
といふ「命題(関数)」は、「恒に、真」である。
cf.
①「理事であって、尚且つ、理事でない人」は、存在しない。
然るに、
(04)
① 理事 が、仮に、5人ゐるのであれば、
① xが理事長であって、yも理事長であるならば、xとyは「同一人物」である。
とは、言へない。
然るに、
(05)
① 理事 ではなく、
① 理事長は、1人しかゐないため、
① xが理事長であって、yが理事長でないならば、xとyは「同一人物」ではない。
① xが理事長であって、yも理事長であるならば、xとyは「同一人物」である。
といふ「命題(関数)」は、「両方」とも、「恒に、真」である。
従って、
(05)により、
(06)
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて{xがT会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)}。
とするならば、
① 私はT記念会の理事長であって、私以外に、T記念会の理事長はゐない。
といふ、ことになる。
然るに、
(07)
② 私は、「大倉」であるならば、
② 私は、「小倉」ではない。
然るに、
(06)(07)により、
(08)
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。
② 私は、大倉であって、小倉ではない。
といふのであれば、
③ タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
然るに、
(09)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3スCP
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(05)~(09)により、
(10)
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。⇔
① ∀x{タゴール会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて{xがタゴール会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(11)
① 理事長は私です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(12)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① タゴール記念会は、私が理事です。⇔
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて{xがタゴール会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(14)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
従って、
(13)(14)により、
(15)
例へば、
① タゴール記念会は、私が理事です。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ「等式」に於ける、
① ∀x を、「総主語」と呼ぶ。
といふ風に、「定義」するならば、
① ∀x≡タゴール記念会(タゴール記念会の会員)
といふ「語」が、
① タゴール記念会は、私が理事です。
といふ「日本語」の、「総主語」である。
といふ、ことになる。
同様に、
(16)
② 象は、鼻が長い。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「等式」に於ける、
② ∀x を、「総主語」と呼ぶ。
といふ風に、「定義」するならば、
② ∀x≡象
といふ「語」が、
② 象は、鼻が長い。
といふ「日本語」の、「総主語」である。
然るに、
(17)
「明治時代の標準的な文体(普通文)」である所の、「漢文訓読体」の場合は、
② 象は、鼻が長い。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「言ひ方」は無く、
③ 象は、鼻長し。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
といふ「言ひ方」しか、無い。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
「明治三十ニ年」であれば、
③ 象は、體(体)大なり。⇔
③ ∀x{象x→∃y(体yx&大y)}⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの体であって、yは大きい}。
に於ける、
③ ∀x≡象
といふ「語」が、
③ 象は、體(体)大なり。
といふ「日本語」の、「総主語」である。
然るに、
(19)
一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「象」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。何トナレバ「象は體大なり」「熊は力強し」等ヨリ「象」「熊」等ノ再度ノ主語ヲ取去ル時ハ、殘餘ハ「體大なり」「力強し」等トナリテ、文法上ノ文ノ形ハ完全ニ之ヲ具フルニモ拘ラズ、意義ニ不足ヲ生ジ、其事ノ主トアルベキ「象」「熊」等ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ意義ノ完全ナル一圓ノ説話ヲ成サントスル傾アルコト、ナホ普通ノ動詞、形容詞ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ一ノ完全ナル説話ヲ成サントスル傾アルト同趣味ノモノアレバナリ。殊ニ「性有り」「限無し」等ノ一種ノ説話ニ對シテハ、實用ノ際ニ再度ノ主語ノ必要アル事ハ頗ル顯著ナルニアラズヤ。コレハ「うら(心)やまし(疚)」「て(質)がたし(堅)」ナドノ一説話ノ轉シテ一ノ形容詞トナリ、然ル上ハ實用ノ際ニ更ニソノ主語ヲ取ルト一般ナリ。サレバ「富貴は羨し」ノ「うらやまし」ニ對シテ「富貴」ヲ主語トイフヲ至當トセバ、「體大なり」「力強し」ニ對シテ「象」「熊」ヲソノ主語トイフモ亦不當ニハアラジ。斯カレバコノ類ノ再度ノ主ヲ予ハ別ニ「總主」ト名ヅケントス。
總主ハ斯ク頗ル簡單ニ説明セラルベク、亦容易ニ會得セラルベキ者ナリ。學者ノ潛思苦慮ヲモ要セズ、考古引證ヲモ須タズシテ、小學ノ兒童モ、口頭ニ、文章ニ、此語法ヲ用ヰ、歌人文士モ之ヲ用ヰテ毫モ疑フ事ナシ。コノ語法ハ本ヨリ我國ニ有リシナランガ、漢學ノ流行ニ連レテ益廣ク行ハレ、今日トナリテハ最早之ヲ目シテ國語ノ法則ニ非ズトイフヲ得ザルニ至レリ。然ルニ國語ノ法則トシテ日本ノ文法ニ之ヲ編入スル者ナキハ何故ゾ。西洋ノ言語ニ類似ノ語法ナク、西洋ノ文典ニ類似ノ記載ナキガ故ニハ非ザルカ。 (草野淸民、國語の特有セル語法 ― 總主、『帝國文學』五卷五號、明治三十二年:大修館書店、日本の言語学 第3巻 文法Ⅰ、1978年、533頁)
従って、
(18)(19)により、
(20)
③ 象は、體(体)大なり。⇔
③ ∀x{象x→∃y(体yx&大y)}⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの体であって、yは大きい}。
といふ「等式」に於ける、
③ ∀x≡象
といふ「語」を、
③ ∀x を、「総主語」と呼ぶ。
といふ風に、「定義」するならば、「総主語」とは、草野淸民 先生 が、所謂、「總主」である。
従って、
(15)(16)(20)により、
(21)
① タゴール記念会は、私が理事です。≡ ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
② 象は、鼻が長い。 ≡ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
③ 象は、體大なり。 ≡ ∀x{象x→∃y(体yx&大y)}
に於ける、
① ∀x≡タゴール記念会(タゴール記念会の会員)
② ∀x≡象
③ ∀x≡象
といふ「語」は、3つとも、草野淸民 先生 が、謂ふ所の、「總主」である。
然るに、
(22)
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は、象ではない。
といふ「(日本語による)推論」は、明らかに、「妥当」である。
然るに、
(23)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (〃)象は、鼻が長い。 A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
2 (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。 A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 象a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
12 (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。 ナUI
12 (〃)兎は、象ではない。 ナUI
従って、
(22)(23)により、
(24)
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は、象ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(25)により、
(26)
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 象は鼻が長い≡すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(27)
これに対して三上は、日本語には主語はない、とする。「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)〔三上文法! : wrong, rogue and log〕。
然るに、
(26)(27)により、
(28)
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、
といふことは、
(ⅰ)これから象についてのことを述べますよ、
といふことに、他ならない。
然るに、
(29)
(ⅱ)括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(27)(29)により、
(30)
(ⅱ)メンタルスペースのスコープを形成する働きをもつ。
といふことと、
(ⅱ)括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。
といふことは、「無関係」ではない。はずである。
従って、
(26)~(30)により、
(31)
②「三上章先生 の学説」と、
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 象は鼻が長い≡すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。
といふ「等式」は、「矛盾」しない。
然るに、
(32)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである。
(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)
従って、
(27)(31)(32)により、
(33)
「主語」という語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われている。
といふ、ことからすれば、
② 象は鼻が長い。
② The elephant has a long trunk.
に於いて、
② 象 といふ「主語」が、「主題(話題)」であるならば、
② The elephant といふ「主語」も、「主題(話題)」である。
従って、
(32)(33)により、
(34)
「主語」という語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われている。
といふ、ことからすれば、
② 象は鼻が長い。
② The elephant has a long trunk.
に於いて、
② 象 といふ「主題(話題)」が、「主語」であるならば、
② The elephant といふ「主題(話題)」も、「主語」である。
(01)
―「昨日(令和02年10月11日)の記事」でも示した通り、―
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (〃)あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い)。 A
2 (2) ∃x{タマx& ∃y(名前yx)} A
3 (3) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
4(4) タマa& ∃y(名前ya) A
3 (5) ~∃y(名前ya) 3&E
4(6) ∃y(名前ya) 4&E
34(7) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 56&I
23 (8) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 247EE
12 (9) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 138EE
1 (ア) ~∃x{タマx& ∃y(名前yx)} 29RAA
1 (イ) ∀x~{タマx& ∃y(名前yx)} ア量化子の関係
1 (ウ) ~{タマa& ∃y(名前ya) イUE
1 (エ) ~タマa∨ ~∃y(名前ya) ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ) ~∃y(名前ya)∨~タマa エ交換法則
1 (カ) ∃y(名前ya)→~タマa オ含意の定義
1 4(キ) ~タマa 6カMPP
12 (ク) ~タマa 24キEE
3 (ケ) 吾輩a&猫a 3&E
123 (コ) 吾輩a&猫a&~タマa クケ&I
123 (サ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) コEI
12 (シ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) 13サEE
12 (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)},∃x{タマx&∃y(名前yx)}├ ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)
といふ「推論」、すなはち、
①{吾輩は猫である。名前は無い。}然るに、{タマには名前が有る。}従って、{吾輩はタマではないが、猫である。}
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(03)
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が「以降の文の主語」としても働く現象のことだ。それはどういうものなのか、実例として
夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭の文章を見てみよう。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
最初の文の主語(「主題」とも言う)である「吾輩」は、以降の文の主語でもある。
(オルタナティブブログ:どんなときに主語を省略できるのか。)
従って、
(03)により、
(04)
「ピリオド越え」といふのは、例へば、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
といふ「文」が、「実質的」に、
① 吾輩は猫である。(吾輩は)名前はまだ無い。
といふ「意味」である。といふ、ことを言ふ。
然るに、
(05)
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (〃) あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い)。 A
2(2) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
2(3) 吾輩a 2&E
2(4) 猫a 2&E
2(5) ~∃y(名前ya) 2&E
2(6) 吾輩a&~∃y(名前ya) 35&I
2(7) ∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)} 6EI
1 (8) ∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)} 127EE
2(9) 吾輩a&猫a 34&I
2(ア) ∃x(吾輩x&猫x) 9EI
1 (イ) ∃x(吾輩x&猫x) 12アEE
1 (ウ)∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)} 8イ&I
1 (〃)あるxは(吾輩であって猫である。)&
あるxは{吾輩であって(xの名前である所のyは)存在しない。}8イ&I
従って、
(05)により、
(06)
① ∃x{吾輩x&猫x & ~∃y(名前yx)}├
∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}
といふ「連式」、すなはち、
①{吾輩は猫である。 名前は無い。}故に、
{吾輩は猫であり}、{吾輩は名前は無い。}
といふ「連式」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
①{吾輩は猫である。 名前は無い。}故に、
{吾輩は猫であり}、{吾輩は名前は無い。}
といふ「推論」が、「妥当」である。といふことは、
① 吾輩は猫である。 名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)~(07)により、
(08)
① 吾輩は猫である。 名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「ピリオド越え」に、他ならない。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすると、
① ∃x{吾輩x&猫x & ~∃y(名前yx)}├
∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}
といふ「連式」が「妥当」であるからこそ、
① 吾輩は猫である。 名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふ「ピリオド越え」が、「実現」する。
然るに、
(10)
EXCERCISES
1 For each of the following formulae, state whether it is a well-formed formula, a propositional function not a well-formed formula, or neither.
練習問題
1 つぎの式のそれぞれについて、それが「論理式であるのか」、または、「論理式ではなくて、命題関数であるのか」、または、「論理式でも、命題関数でも、ないのか」を述べよ。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、187頁改)
(私による)解答:
(a)∀x(Gxa) は、「論理式」である。
(b)∀x(Gya) は、「論理式」でも、「命題関数」でもないため、所謂、「非文」である。
(c)∀x(Gxy) は、「yに関する、命題関数」である。
然るに、
(11)
「Fx」、「(Fy→∀x(Gx))」、「Hxy」のような式は、「縛られていない、変数x」および「縛られていない、変数y」が含まれていることから考えて、「真または偽なる命題」を表現する、「完全な文(complete sentence)」でないことから、われわれの今の定義によって「論理式」とはみなされないのではあるが、以下においては、それらの式に対する呼び名のある方が便利である。われわれは論理学の伝統にしたがって、「命題関数(propositional function)」の名を用いるであろう。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、182頁改)
従って、
(10)(11)
(12)
「論理式」は「完全な文(complete sentence)」であるが、
「命題関数」は「完全な文(complete sentence)」ではない。
然るに、
(13)
「完全な文(complete sentence)」ではないのであれば、「文(sentence)」ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「命題関数」は、所謂、「文(sentence)」ではない。
然るに、
(15)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}≡吾輩は猫である。名前は無い。
② ~∃y(名前yx) ≡名前は無い(xの名前である所のyは存在しない)。
に於いて、
① は「 論理式(文である)」であるが、
② は「命題関数(文でない)」である。
従って、
(05)(09)(14)(15)により、
(16)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすると、
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が「以降の文(sentence)の主語」としても働く現象のことだ。
といふ「言ひ方」は、「正しく」はなく、
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が『以降の「命題関数(propositional function)」の主語』としても働く現象のことだ。
といふ「言ひ方」こそが、「正しい」。
(01)
三上章の『象は鼻が長い』を読み、「主語廃止論」と並んで衝撃的であったのは、「は」のコンマ超えとピリオド越えである。
(金谷武洋、日本語の文法の謎を解く、2003年、72頁)
(02)
ピリオド越えとは、「Xは」という主語が以降の文の主語としても働く現象のことだ。それはどういうものなのか、実例として夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭の文章を見てみよう。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
最初の文の主語(「主題」とも言う)である「吾輩」は、以降の文の主語でもある。
(オルタナティブブログ:どんなときに主語を省略できるのか。)
従って、
(02)により、
(03)
「ピリオド越え」といふのは、例へば、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
に於ける、
① 名前はまだ無い。
といふ「文」が、「実質的」に、
① 吾輩は猫である。(吾輩は)名前はまだ無い。
といふ「意味」である。といふ、ことを言ふ。
然るに、
(04)
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (〃)あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い)。 A
2 (2) ∃x{タマx& ∃y(名前yx)} A
3 (3) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
4(4) タマa& ∃y(名前ya) A
3 (5) ~∃y(名前ya) 3&E
4(6) ∃y(名前ya) 4&E
34(7) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 56&I
23 (8) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 247EE
12 (9) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 138EE
1 (ア) ~∃x{タマx& ∃y(名前yx)} 29RAA
1 (イ) ∀x~{タマx& ∃y(名前yx)} ア量化子の関係
1 (ウ) ~{タマa& ∃y(名前ya) イUE
1 (エ) ~タマa∨ ~∃y(名前ya) ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ) ~∃y(名前ya)∨~タマa エ交換法則
1 (カ) ∃y(名前ya)→~タマa オ含意の定義
1 4(キ) ~タマa 6カMPP
12 (ク) ~タマa 24キEE
3 (ケ) 吾輩a&猫a 3&E
123 (コ) 吾輩a&猫a&~タマa クケ&I
123 (サ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) コEI
12 (シ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) 13サEE
12 (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(04)により、
(05)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)},∃x{タマx&∃y(名前yx)}├ ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)
といふ「推論」、すなはち、
① 吾輩は猫である。名前は無い。然るに、タマには名前が有る。従って、吾輩はタマではないが、猫である。
① I am a cat. I have no name for me. However, Tama has his own name. Therefore, I am not Tama, but a cat.
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(06)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある); (論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
(ⅱ)括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
に於いて、
① ∃x≡吾輩
の「意味」は、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式(完全な文)の全体」に、及んでゐる。
従って、
(07)により、
(08)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
とするならば、「定義」により、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
に於ける「主語(MAIN WORD)]は、
① ∃x≡吾輩
である。といふことになる。
然るに、
(09)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
に於ける、
① ~∃y(名前yx)≡名前は無い。
の場合は、
① xに関する、「命題関数(propositional function)」であって、
①「命題関数」は、「完全な文(Well-formed formula)」ではない。
従って、
(04)(09)
(10)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「等式」に基づく限り、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
こそが、「1つの論理式(完全な文)」であって、それ故、
① 名前は無い。
といふ「命題関数」は、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
といふ「論理式(完全な文)」の、飽くまでも、「一部」に過ぎない。
従って、
(10)により、
(11)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「等式」に基づく限り、
① 吾輩は猫である。名前は無い。 といふ「文」は、「2つの文」ではなく、飽くまでも、「1つの文」である。
従って、
(02)(11)により、
(12)
「ピリオド越え」とは、「Ⅹは」という主語が以降の文(論理式)の主語としても働く現象のことだ。
といふ風に「定義」する。のであれば、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
に於いて、「ピリオド越え」は、無い。
然るに、
(13)
「一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる(ウィキペディア)。」としても、
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」
といふ「文の全体」を、「(数学用の)述語論理式」に「翻訳」することは、「無理」である。
然るに、
(11)(12)(13)により、
(14)
(ⅰ)名前はまだ無い。
(ⅱ)どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
(ⅲ)何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
に於いて、仮に、
(ⅰ)だけでなく、
(ⅱ)も「論理式(完全な文)」ではなく、「命題関数(不完全な文)」である。
(ⅲ)も「論理式(完全な文)」ではなく、「命題関数(不完全な文)」である。
とするならば、その限りに於いて、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
② 吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
に於いて、
① だけなく、
② であっても、「ピリオド越え」は、無い。
然るに、
(08)により、
(15)
もう一度、確認すると、
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
とするのであれば、
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (〃)象は、鼻が長い。 A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
2 (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。 A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 象a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
12 (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。 ナUI
12 (〃)兎は、象ではない。 ナUI
といふ「計算(Predicate calculus)」が「可能」であるが故に、「定義」により、
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於ける、「主語(MAIN WORD)」は、
② 象≡∀x
である。といふ、ことになる。
同様に、
(16)
1 (1)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)} A
1 (〃)鼻は象が長い。 A
1 (2) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&長a→~鼻ay)} 1UE
3 (3) (鼻ab&象b→長a)&(~象b&長a→~鼻ab) A
3 (4) ~象b&長a→~鼻ab 3&E
5 (5)∃x∃y(兎y&~象y&鼻xy) A
5 (〃)兎は象ではないが、鼻がある。 A
6 (6) ∃y(兎y&~象y&鼻ay) A
7(7) 兎b&~象b&鼻ab A
7(8) 兎b& 7&E
7(9) ~象b 7&E
7(ア) 鼻ab 7&E
7(イ) ~~鼻ab アDN
3 7(ウ) ~(~象b& 長a) 4イMTT
3 7(エ) ~~象b∨~長a ウ、ド・モルガンの法則
3 7(オ) ~象b→~長a エ含意の定義
3 7(カ) ~長a 9オMPP
7(キ) 兎b&鼻ab 8ア&I
3 7(ク) 兎b&鼻ab&~長a カキ&I
3 7(ケ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) クEI
3 6 (コ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) 67ケEE
3 6 (サ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) コEI
35 (シ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 56サEE
1 5 (ス)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 13シEE
1 5 (〃)兎の鼻は、長くない。 13シEE
といふ「計算(Predicate calculus)」が「可能」であるが故に、「定義」により、
③ 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
に於ける、「主語(MAIN WORD)」は、
③ 鼻≡∀x
である。といふ、ことになる。
然るに、
(17)
2 Show the validity of following arguments:
2 つぎの論証の妥当性を示せ。
(d)Some girls like William; all boys like any girl; William is a boy; therefore there is someone who likes William and is liked by William.
(〃)幾人かの少女はウィリアムが好きである。すべての少年はいかなる少女も好きである。ウィリアムは少年である。故にある人はウィリアムが好きであって、ウィリアムもその人を好きである。
(私による)解答:
(d)
1 (1)∃x(少女x&愛xw) A
2 (2)∀y{少年y→∀x(少女x→愛yx)} A
3 (3) 少年w A
2 (4) 少年w→∀x(少女x→愛wx) 2UE
23 (5) ∀x(少女x→愛wx) 23MPP
23 (6) 少女a→愛wa 5UE
7(7) 少女a&愛aw A
7(8) 少女a 7&E
237(9) 愛wa 68MPP
7(ア) 愛aw 7&E
237(イ) 愛aw&愛wa 9ア&I
237(ウ) ∃x(愛xw&愛wx) イEI
123 (エ) ∃x(愛xw&愛wx) 17ウEE
従って、
(08)(17)により、
(18)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
といふ「定義」により、
① ∃x(少女x&愛xw) ≡Some girls like William≡幾人かの少女はウィリアムが好きである。
② ∀y{少年y→∀x(少女x→愛yx)}≡all boys like any girl ≡すべての少年はいかなる少女も好きである。
に於ける、「主語(MAIN WORDS)」は、
① ∃x≡少女≡Some girls≡幾人かの少女
② ∀y≡少年≡all boys ≡すべての少年
である。といふ、ことになる。
(19)
③ 少年w=William is a boy=ウィリアムは少年である。
の場合は、「素文(atomic sentence)」といって、「述語論理式(完全な文)」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
(ⅲ)ただし、「少年w」のやうな「素文」の場合は、「w」を、「主語(MAIN WORD)」とする。
とするならば、
① ∃x(少女x&愛xw) ≡Some girls like William≡幾人かの少女はウィリアムが好きである。
② ∀y{少年y→∀x(少女x→愛yx)}≡all boys like any girl ≡すべての少年はいかなる少女も好きである。
③ 少年w ≡William is a boy ≡ウィリアムは少年である。
に於ける、「主語(MAIN WORDS)」は、
① ∃x≡少女≡Some girls≡幾人かの少女
② ∀y≡少年≡all boys ≡すべての少年
③ w≡William ≡ウィリアム
である。といふ、ことになる。
然るに、
(21)
④ ∃x(愛xw&愛wx)=there is someone who likes William and is liked by William=ある人はウィリアムが好きであって、ウィリアムもその人を好きである。
に関しては、
④ ∃x≡someone≡ある人
が、「主語(MAIN WORD)」であるため、
① ∃x≡少女≡Some girls≡幾人かの少女
② ∀y≡少年≡all boys ≡すべての少年
③ w≡William ≡ウィリアム
といふ「主語(MAIN WORDS)」とは、「様子が、違ふ」ことになる。
従って、
(20)(21)により、
(22)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
(ⅲ)ただし、「少年w」のやうな「素文」の場合は、「w」を、「主語(MAIN WORD)」とする。
(ⅳ)ただし、「there is(are)・・・・.」のやうな「英文」には、「注意」すること。
といふ風に、「主語(MAIN WORD)」を、「定義」出来る。
然るに、
(23)
「MAIN WORD」と訳される「主語」は、無い。
然るに、
(24)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである。
(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)
(25)
三、主語から主題へ 「主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、148頁)
(26)
① 吾輩は猫である。名前は無い≡∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
③ 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
に於ける、「主語」は、
① 吾輩≡∃x
② 象≡∀x
③ 鼻≡∀x
である。としても、「少なくとも、私は困らない」し、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
② 象は鼻が長い。
③ 鼻は象が長い。
に於ける「主語」は、
① 吾輩 であって、
② 象 であって、
③ 鼻 である。
とするのは、明らかに、「多数派」である。
然るに、
(27)
かりに既成専門語をご破算にして、文法(英文法、日本文法)と論理学とが今後新たにそれぞれの専門語をきめるものと仮定しよう。問題は Subject という俗語を採用すべきか否かである。
(三上章、日本語の論理、1963年、62頁)
従って、
(22)(26)(27)により、
(28)
「主語(Subject)」に換へて、
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
(ⅲ)ただし、「少年w」のやうな「素文」の場合は、「w」を、「主語(MAIN WORD)」とする。
といふ「新たな定義」を、行ったとしても、
① 吾輩
② 象
③ 鼻
こそが、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
② 象は鼻が長い。
③ 鼻は象が長い。
といふ「日本語」に於ける「主語」である。
といふ「常識」は、「これまで」と、「変り」が無い。
(01)
われわれはつぎの結果をたやすく証明できる。
158 ∃x∃y(Rxy)├ ~{∀x∀y(Rxy→Ryx)&∀x∀y(Rxy→~Ryx)}
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、233頁)
然るに、
(02)
1 (1) ∃x∃y(Rxy) A
2 (2) ∃y(Ray) A
3 (3) Rab A
4(4) ∀x∀y(Rxy→Ryx)&∀x∀y(Rxy→~Ryx) A
4(5) ∀x∀y(Rxy→Ryx) 4&E
4(6) ∀y(Rxb→Rbx) 5UE
4(7) Rab→Rba 6UE
4(8) ∀x∀y(Rxy→~Ryx) 4&E
4(9) ∀y(Ray→~Rya) 8UE
4(ア) Rab→~Rba 9UE
34(イ) Rba 37MPP
34(ウ) ~Rba 3アMPP
34(エ) Rba&~Rba イウ&I
3 (オ)~{∀x∀y(Rxy→Ryx)&∀x∀y(Rxy→~Ryx)} 4エRAA
2 (カ)~{∀x∀y(Rxy→Ryx)&∀x∀y(Rxy→~Ryx)} 23オEE
1 (キ)~{∀x∀y(Rxy→Ryx)&∀x∀y(Rxy→~Ryx)} 12カEE
従って、
(01)(02)により、
(03)
私にも、
158 ∃x∃y(Rxy)├ ~{∀x∀y(Rxy→Ryx)&∀x∀y(Rxy→~Ryx)}
といふ結果をたやすく証明できる。
然るに、
(04)
つぎの結果は容易に証明される。
159 ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(x≠y&Rxy→~Ryx)
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、234頁)
然るに、
(05)
15□ ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(Rxy→x≠y&~Ryx)
1 (1) ∀x∀y(Rxy→~Ryx) A
1 (2) ∀y(Ray→~Rya) 1UE
1 (3) Rab→~Rba 2UE
4 (4) a=b& Rab A
4 (5) a=b 4&E
4 (6) Rab 4&E
14 (7) ~Rba 36MPP
14 (8) Raa 56=E
14 (9) ~Raa 57=E
14 (ア) Raa&~Raa 89&I
1 (イ) ~(a=b& Rab) 4アRAA
1 (ウ) a≠b∨~Rab イ、ド・モルガンの法則
1 (エ) ~Rab∨a≠b ウ交換法則
1 (オ) Rab→a≠b エ含意の定義
カ(カ) Rab A
1 カ(キ) ~Rba 3カMPP
1 カ(ク) a≠b オカMPP
1 カ(ケ) a≠b&~Rba キク&I
1 (コ) Rab→a≠b&~Rba カケCP
1 (サ) ∀y(Ray→a≠y&~Rya) コUI
1 (シ)∀x∀y(Rxy→x≠y&~Ryx) サUI
従って、
(04)(05)により、
(06)
① ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(x≠y&Rxy→~Ryx)
② ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(Rxy→x≠y&~Ryx)
に於いて、
① は、E.J.レモン によって、「証明」されて、
② は、 私 によって、「証明」される。
然るに、
(07)
①(x≠y&Rxy→~Ryx)
②(Rxy→x≠y&~Ryx)
に於いて、
③ x≠y が「偽」であって、
③ Rxy が「真」であるならば、
① は、「(式全体として、)真」であるが、
② は、「(式全体として、)偽」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(x≠y&Rxy→~Ryx)
② ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(Rxy→x≠y&~Ryx)
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(09)
(3)∀x∀y(Rxy→~Ryx)
であるときまたそのときに限って非対称的である。
親であるという関係は非対称的である。なぜならば、aがbの親であるならば、bはaの親ではないからである。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、232頁)
従って、
(08)(09)により、
(10)
① ∀x∀y(親xy→~親yx)├ ∀x∀y(x≠y&親xy→~親yx)
② ∀x∀y(親xy→~親yx)├ ∀x∀y(親xy→x≠y&~親yx)
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(11)
① ∀x∀y(x≠y&親xy→~親yx)
② ∀x∀y(親xy→x≠y&~親yx)
に於いて、それぞれ、
①「xとyが同一人物でなくて、xがyの親であること」は、「yがxの親でないこと」の「十分条件」である。
②「xがyの親であること」は、「xとyが同一人物でなくて、yがxの親でないこと」の「十分条件」である。
といふ、「意味」である。
然るに、
(12)
例へば、
②「サザエさんがタラちゃんの親である」ことは、「サザエさんとタラちゃんが、同一人物ではなく、タラちゃんがサザエさんの親でないこと」の「十分条件」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
②「xがyの親であること」は、「xとyが同一人物でなくて、yがxの親でないこと」の「十分条件」である。⇔
②「サザエさんがタラちゃんの親であること」は、「サザエさんとタラちゃんが、同一人物ではなく、タラちゃんがサザエさんの親でないこと」の「十分条件」である。
といふ「常識」からすると、
① ∀x∀y(親xy→~親yx)├ ∀x∀y(x≠y&親xy→~親yx)
② ∀x∀y(親xy→~親yx)├ ∀x∀y(親xy→x≠y&~親yx)
といふ「連式(Sequents)」に於いて、
① は、「妥当」ではなく、
② が、「妥当」であると、すべきである。
従って、
(04)(13)により、
(14)
つぎの結果は容易に証明される。
159 ∀x∀y(Rxy→~Ryx)├ ∀x∀y(x≠y&Rxy→~Ryx)
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、234頁)
といふ「2行」は、「正しく」はないと、思はれる(?)。
(01)
練習問題 1
1 つぎの連式の妥当性を証明せよ。
(a)∀x∀y∀z(Fxyz)├ ∀z∀y∀x(Fxyz)
(b)∀x∃y∀z(Fxyz)├ ∀x∀z∃y(Fxyz)
(c)∃x∃y∀z(Fxyz)├ ∀z∃y∃x(Fxyz)
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、174頁)
〔(私の)解答〕:
(a)∀x∀y∀z(Fxyz)├ ∀z∀y∀x(Fxyz)
1(1)∀x∀y∀z(Fxyz) A
1(2) ∀y∀z(Fayz) 1UE
1(3) ∀z(Fabz) 2UE
1(4) Fabc 3UE
1(5) ∀x(Fxbc) 4UI
1(6) ∀y∀x(Fxyc) 5UI
1(7)∀z∀y∀x(Fxyz) 6UI
(b)∀x∃y∀z(Fxyz)├ ∀x∀z∃y(Fxyz)
1 (1)∀x∃y∀z(Fxyz) A
1 (2) ∃y∀z(Fayz) 1UE
2(3) ∀z(Fabz) A
2(4) Fabc 1UE
2(5) ∃y(Fayc) 4EI
2(6) ∀z∃y(Fayz) 5UI
1 (7) ∀z∃y(Fayz) 126EE
1 (8)∀x∀z∃y(Fxyz) 7UI
(c)∃x∃y∀z(Fxyz)├ ∀z∃y∃x(Fxyz)
1 (1)∃x∃y∀z(Fxyz) A
2 (2) ∃y∀z(Fayz) A
3(3) ∀z(Fabz) A
3(4) Fabc 3UE
3(5) ∃x(Fxbc) 4EI
2 (6) ∃x(Fxbc) 235EE
2 (7) ∃y∃x(Fxyc) 6EI
2 (8)∀z∃y∃x(Fxyz) 7UI
1 (9)∀z∃y∃x(Fxyz) 128EE
然るに、
(02)
(a)∀x∀y∀z(Fxyz):((連言の)、連言の)、連言。
(ⅰ) Fxyz
(ⅱ) Fxyz&Fxyz
(ⅲ) Fxya&Fxyb
(ⅳ) (Fxya&Fxyb)&(Fxya&Fxyb)
(ⅴ) (Fxaa&Fxab)&(Fxba&Fxbb)
(ⅵ){(Fxaa&Fxab)&(Fxba&Fxbb)}&{(Fxaa&Fxab)&(Fxba&Fxbb)}
(ⅶ){(Faaa&Faab)&(Faba&Fabb)}&{(Fbaa&Fbab)&(Fbba&Fbbb)}
(α)∀z∀y∀x(Fxyz):((連言の)、連言の)、連言。
(ⅰ) Fxyz
(ⅱ) Fxyz&Fxyz
(ⅲ) Fayz&Fbyz
(ⅳ) (Fayz&Fbyz)&(Fayz&Fbyz)
(ⅴ) (Faaz&Fbaz)&(Fabz&Fbbz)
(ⅵ){(Faaz&Fbaz)&(Fabz&Fbbz)}&{(Faaz&Fbaz)&(Fabz&Fbbz)}
(ⅶ){(Faaa&Fbaa)&(Faba&Fbba)}&{(Faab&Fbab)&(Fabb&Fbbb)}
(b)∀x∃y∀z(Fxyz):((連言の)、選言の)、連言。
(ⅰ) Fxyz
(ⅱ) Fxyz&Fxyz
(ⅲ) Fxya&Fxyb
(ⅳ) (Fxya&Fxyb)∨(Fxya&Fxyb)
(ⅴ) (Fxaa&Fxab)∨(Fxba&Fxbb)
(ⅵ){(Fxaa&Fxab)∨(Fxba&Fxbb)}&{(Fxaa&Fxab)∨(Fxba&Fxbb)}
(ⅶ){(Faaa&Faab)∨(Faba&Fabb)}&{(Fbaa&Fbab)∨(Fbba&Fbbb)}
(β)∀x∀z∃y(Fxyz):((選言の)、連言の)、連言。
(ⅰ) Fxyz
(ⅱ) Fxyz∨Fxyz
(ⅲ) Fxaz∨Fxbz
(ⅳ) (Fxaz∨Fxbz)&(Fxaz∨Fxbz)
(ⅴ) (Fxaa∨Fxba)&(Fxab∨Fxbb)
(ⅵ){(Fxaa∨Fxba)&(Fxab∨Fxbb)}&{(Fxaa∨Fxba)&(Fxab∨Fxbb)}
(ⅶ){(Faaa∨Faba)&(Faab∨Fabb)}&{(Fbaa∨Fbba)&(Fbab∨Fbbb)}
(c)∃x∃y∀z(Fxyz):((連言の)、選言の、)選言。
(ⅰ) Fxyz
(ⅱ) Fxyz&Fxyz
(ⅲ) Fxya&Fxyb
(ⅳ) (Fxya&Fxyb)∨(Fxya&Fxyb)
(ⅴ) (Fxaa&Fxab)∨(Fxba&Fxbb)
(ⅵ){(Fxaa&Fxab)∨(Fxba&Fxbb)}&{(Fxaa&Fxab)∨(Fxba&Fxbb)}
(ⅶ){(Faaa&Faab)∨(Faba&Fabb)}&{(Fbaa&Fbab)∨(Fbba&Fbbb)}
(γ)∀z∃y∃x(Fxyz):(選言の)、選言の、)連言。
(ⅰ) Fxyz
(ⅱ) Fxyz∨Fxyz
(ⅲ) Fayz∨Fbyz
(ⅳ) (Fayz∨Fbyz)∨(Fayz∨Fbyz)
(ⅴ) (Faaz∨Fbaz)∨(Fabz∨Fbbz)
(ⅵ){(Faaz∨Fbaz)∨(Fabz∨Fbbz)}&{(Faaz∨Fbaz)∨(Fabz∨Fbbz)}
(ⅶ){(Faaa∨Fbaa)∨(Faba∨Fbba)}&{(Faab∨Fbab)∨(Fabb∨Fbbb)}
従って、
(03)
(a)∀x∀y∀z(Fxyz)├ ∀z∀y∀x(Fxyz)
(b)∀x∃y∀z(Fxyz)├ ∀x∀z∃y(Fxyz)
(c)∃x∃y∀z(Fxyz)├ ∀z∃y∃x(Fxyz)
といふ「連式(sequents)」は、{a,b}のみを含む、「2つの対象」から成る「世界」に於いて、それぞれ、
(a){(Faaa&Faab)&(Faba&Fabb)}&{(Fbaa&Fbab)&(Fbba&Fbbb)}┤├
(α){(Faaa&Fbaa)&(Faba&Fbba)}&{(Faab&Fbab)&(Fabb&Fbbb)}
(b){(Faaa&Faab)∨(Faba&Fabb)}&{(Fbaa&Fbab)∨(Fbba&Fbbb)}├
(β){(Faaa∨Faba)&(Faab∨Fabb)}&{(Fbaa∨Fbba)&(Fbab∨Fbbb)}
(c){(Faaa&Faab)∨(Faba&Fabb)}&{(Fbaa&Fbab)∨(Fbba&Fbbb)}├
(γ){(Faaa∨Fbaa)∨(Faba∨Fbba)}&{(Faab∨Fbab)∨(Fabb∨Fbbb)}
といふ「連式(sequents)」に「相当」し、尚且つ、「これらの連式」は、3つとも、「妥当」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(a)∀x∀y∀z(Fxyz)├ ∀z∀y∀x(Fxyz)
(b)∀x∃y∀z(Fxyz)├ ∀x∀z∃y(Fxyz)
(c)∃x∃y∀z(Fxyz)├ ∀z∃y∃x(Fxyz)
といふ「3つの連式(sequents)」すなはち、
(a)├ (α)
(b)├ (β)
(c)├ (γ)
といふ「3つの連式(sequents)」が「妥当」である「所以」は、すべて、
① P&Q→(P∨Q)&(Q∨P)
② P∨Q→(P&Q)∨(Q&P)
に於いて、
① は、「恒真式(トートロジー)」であるが、
② は、「非妥当(インバリッド)」である、からである。
cf.
(ⅰ)
1(1) P&Q A
1(2) P 1&E
1(3) P∨Q 2∨I
1(4) Q 1&E
1(5) Q∨P 4∨I
1(6) (P∨Q)&(Q∨P) 35&I
(7) P→(P∨Q)&(Q∨P) 16CP
(01)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとして、
① ∃y∀x(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛ay&愛by&愛cy)
(ⅱ)(愛ay&愛by&愛cy)∨(愛ay&愛by&愛cy)∨(愛ay&愛by&愛cy)
(ⅲ)(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
同様に、
(02)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとして、
② ∀x∃y(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅱ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅲ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
従って、
(01)により、
(03)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
(ⅰ)
1 (1)∃y∀x(愛xy) A
2(2) ∀x(愛xb) A
2(3) 愛ab 2UE
2(4) ∃y(愛ay) 2EI
2(5)∀x∃y(愛xy) 4UI
1 (6)∀x∃y(愛xy) 125EE
といふ「述語計算(Predicate calculus)」は、
(ⅰ)
1 (1)(愛aa&愛ba&愛ca)∨ (愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc) A
1 (2)(愛aa&愛ba&愛ca)∨{(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)} 1結合法則
3 (3)(愛aa&愛ba&愛ca) A
3 (4) 愛aa 3&E
3 (5) 愛aa∨愛ab∨ 4∨I
3 (6)(愛aa∨愛ab∨愛ac) 5∨I
3 (7) 愛ba 3&E
3 (8) 愛ba∨愛bb 7∨I
3 (9) (愛ba∨愛bb∨愛bc) 8∨I
3 (ア) 愛ca 3&E
3 (イ) 愛ca∨愛cb ア∨I
3 (ウ) (愛ca∨愛cb∨愛cc) イ∨I
3 (エ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc) 69&I
3 (オ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc) ウエ&I
カ (カ) {(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)} A
キ (キ) (愛ab&愛bb&愛cb) A
キ (ク) 愛ab キ&E
キ (ケ) 愛aa∨愛ab ク∨I
キ (コ) (愛aa∨愛ab∨愛ac) ケ∨I
キ (サ) 愛bb キ&E
キ (シ) 愛ba∨愛bb サ∨I
キ (ス) (愛ba∨愛bb∨愛bc) シ∨I
キ (セ) 愛cb キ&E
キ (ソ) 愛cb∨愛cc セ∨I
キ (タ) (愛ca∨愛cb∨愛cc) ソ∨I
キ (チ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc) コス&I
キ (ツ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc) タチ&I
テ(テ) (愛ac&愛bc&愛cc) A
テ(ト) 愛ac テ&E
テ(ナ) 愛ab∨愛ac ト∨I
テ(ニ) (愛aa∨愛ab∨愛ac) ナ∨I
テ(ヌ) 愛bc ニ&E
テ(ネ) 愛bb∨愛bc ヌ∨I
テ(ノ) (愛ba∨愛bb∨愛bc) ネ∨I
テ(ハ) 愛cc テ&E
テ(ヒ) 愛cb∨愛cc ハ∨I
テ(フ) (愛ca∨愛cb∨愛cc) ヒ∨I
テ(ヘ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc) ニノ&I
テ(ホ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc) フヘ&I
カ (マ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc) カキツテホ∨E
1 (ミ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc) 23オカマ∨E
といふ「命題計算(Propositional calculus)」に、「等しい」。
然るに、
(02)により、
(04)
(ⅱ)
1 (1)∀x∃y(愛xy) A
1 (2) ∃y(愛ay) 1UE
3(3) (愛ab) A
3(4) ∀x(愛xb) 3UI
3(5)∃y∀x(愛xy) 4EI
1 (6)∃y∀x(愛xy) 135EE
といふ「述語計算(?)」は、
(ⅱ)
1 (1)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc) A
1 (2)(愛aa∨愛ab∨愛ac) 1&E
3(3) 愛ab A
3(4) 愛aa&愛ab 33&I?
3(〃)(愛aa&愛ab&愛ca) 33&I?
3(5)(愛aa&愛ab&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb) 4∨I
3(6)(愛aa&愛ab&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc) 5∨I
といふ「命題計算(?)」に、「相当」する。
然るに、
(05)
(ⅱ)
3(3) (愛ab) A
3(4) ∀x(愛xb) 3UI
は、「規則UI」に対する、「違反」であって、尚且つ、
(ⅱ)
1 (2)(愛aa∨愛ab∨愛ac) 1&E
3(3) 愛ab A
3(4) 愛aa&愛ab 33&I?
3(〃)(愛aa&愛ab&愛ca) 33&I?
といふ「計算(?)」も、「デタラメ」であって、
例へば、
①(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
②(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
③(愛aa )&( 愛bb )&( 愛cc)
に於いて、
① ならば、② であって、
③ ならば、② であるが、
③ と ② は、「同時に真である」ことが、出来るが、
③ と ① は、「同時に真である」ことは、出来ない。
cf.
1 (1) ①→② A
2 (2) ③→② A
3 (3)~(③&①) A
4 (4) ②→① A
5(5) ③ A
2 5(6) ② 25MPP
2 45(7) ① 46MPP
2 45(8) (③&①) 57&I
2345(9)~(③&①)&
(③&①)
23 5(ア)~(②→①) 49RAA
従って、
(01)~(05)により、
(06)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
然るに、
(07)
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
の場合は、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)
であっても、「真」である。
従って、
(07)により、
(08)
① ∃y∀x(愛xy)≡(aは、a自身を愛してゐて、bは、aを愛してゐて、cは、aを愛してゐる。)
であっても、「真」である。
然るに、
(09)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとして、
①(aは、a自身を愛してゐて、bは、aを愛してゐて、cは、aを愛してゐる。)
といふことは、
① aといふ、ある人は、すべての人(a、b、c)に、愛されてゐる。
といふことに、他ならない。
然るに、
(10)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
の場合は、
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)
であれば、「偽」であり、それ故、
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
でなければ、「真」には、ならない。
然るに、
(11)
②(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふことは、
②(aはa自身を愛してゐるか、または、aはbを愛してゐるか、または、aはcを愛してゐる。)そして、
②(bはaを愛してゐるか、または、bはb自身を愛してゐるか、または、bはcを愛してゐる、)そして、
②(cはaを愛してゐるか、または、cはbを愛してゐるか、または、cはc自身を愛してゐる。)
といふことであって、といふことは、
② すべての人(a、b、c)は、ある人を愛してゐる。
といふことに、他ならない。
従って、
(06)~(11)により、
(12)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとして、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「式」は、それそれ、
① ある人は、すべての人(a、b、c)に、愛されてゐる。
② すべての人(a、b、c)は、ある人を愛してゐる。
といふ「意味」である。
然るに、
(13)
① 例へば、aが、すべての人によって愛されてゐる。
といふのであれば、
② すべての人は、ある人(a)を愛してゐる。
然るに、
(14)
② すべての人が、ある人を愛してゐる。
としても、
② すべての人が、一人の、同じ人物(例へば、a)を愛してゐる。
とは、限らない。
従って、
(01)~(14)により、
(15)
① ∃y∀x(愛xy)≡ ある人は、すべての人によって、愛されてゐる。
② ∀x∃y(愛xy)≡ すべての人が、ある人を愛してゐる。
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
(01)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛ay&愛by&愛cy)
(ⅱ)(愛ay&愛by&愛cy)∨(愛ay&愛by&愛cy)∨(愛ay&愛by&愛cy)
(ⅲ)(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
同様に、
(02)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
② ∀x∃y(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅱ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅲ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
然るに、
(01)(02)により、
(03)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「式」は、それぞれ、
① ある人はすべての人によって、愛されてゐる(受動態)。
② すべての人は、ある人を愛してゐる(能動態)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(04)
「&(そして)」と「∨(または)」の「働き」からすれば、
①(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
②(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
に於いて、明らかに、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
(05)
例へば、
①(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
②(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
③(愛aa )&( 愛bb )&( 愛cc)
に於いて、
① ならば、② であって、
③ ならば、② であるが、
③ と ② は、「同時に真である」ことが、出来るが。
③ と ① は、「同時に真である」ことは、出来ない。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1 (1)∃y∀x(愛xy) A
2(2) ∀x(愛xb) A
2(3) 愛ab 2UE
2(4) ∃y(愛ay) 2EI
2(5)∀x∃y(愛xy) 4UI
1 (6)∀x∃y(愛xy) 125EE
(ⅱ)
1 (1)∀x∃y(愛xy) A
1 (2) ∃y(愛ay) 1UE
3(3) (愛ab) A
3(4) ∀x(愛xb) 3UI
3(5)∃y∀x(愛xy) 4EI
1 (6)∃y∀x(愛xy) 135EE
然るに、
(06)により、
(07)
(ⅱ)
3(3) (愛ab) A
3(4) ∀x(愛xb) 3UI
は、「規則UI」に対する、「違反」である。
従って、
(03)~(07)により、
(08)
いづれにせよ、
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「式」は、それぞれ、
① ある人はすべての人によって、愛されてゐる(受動態)。
② すべての人は、ある人を愛してゐる(能動態)。
といふ「意味」であって、尚且つ、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
然るに、
(09)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
然るに、
(10)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(03)(08)(09)(10)により、
(11)
① ∃y∀x(愛xy)≡ ある人はすべての人によって、愛されてゐる。
② ∀x∃y(愛xy)≡ すべての人は、ある人を愛してゐる。
といふ「述語論理式」は、「量記号の作用範囲(scope)」といふことからすれば、それぞれ、
① ∃y{∀x(愛xy)}≡ ある人はすべての人によって愛されてゐる。
② ∀x{∃y(愛xy)}≡ すべての人はある人を愛してゐる。
といふ風に、書くのが、「正しい」。
従って、
(11)により、
(12)
① ∃y{∀x(愛xy)}≡ ある人はすべての人によって愛されてゐる。
② ∀x{∃y(愛xy)}≡ すべての人はある人を愛してゐる。
に於ける、「2つの右辺」にしても、
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる}。
といふ「括弧(scope)」が、有るに、違ひ無い。
然るに、
(13)
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる}。
に於いて、
① ある人は
② すべての人は
それぞれ、「文頭」にあって、「その意味」が「文末」にまで及んでゐる。
然るに、
(14)
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる}。
に於いて、
① ある人は
② すべての人は
は、「2つ」とも、「常識的」には、「主語」と言ふ。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
『主に「文頭」にあって、「その意味」が「文末」にまで及んでゐる「語」』を「日本語の主語」とするならば、
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}≡∃y{∀x(愛xy)}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる} ≡∀x{∃y(愛xy)}。
③ 象は{鼻が長い}≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 鼻は{象が長い}≡∀x{∃y[鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)]}。
に於いて、
① ある人は
② すべての人は
③ 象は
④ 鼻は
は、それぞれ、
①{すべての人によって愛されてゐる}。
②{ある人を愛してゐる}。
③{鼻が長い}。
④{象が長い}。
に対する、「主語」である。
然るに、
(16)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである。
(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)
(17)
三、主語から主題へ
「主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、148頁)
然るに、
(18)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (〃)象は、鼻が長い。 A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
2 (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。 A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 象a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
12 (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。 ナUI
12 (〃)兎は、象ではない。 ナUI
従って、
(15)~(18)により、
(19)
③ 象は{鼻が長い}≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「等式」は、「正しく」、それ故、
『主に「文頭」にあって、「その意味」が「文末」にまで及んでゐる「語」』を「日本語の主語」とするならば、
③ 象は{鼻が長い}。
に於ける「主語」は、明らかに、
③ 象は
であるといふことになり、そのため、「少しも、困らない。」
令和02年10月06日(は奥歯が痛い)
(01)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∀x∃y(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅱ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅲ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
従って、
(01)により、
(02)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∀x∃y(愛xy)
③(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
に於いて、
①=③ である。
然るに、
(03)
③(愛aa∨愛ab∨愛ac)≡(aはa自身を愛してゐるか、または、aはbを愛してゐるか、または、aはcを愛してゐる。)そして、
③(愛ba∨愛bb∨愛bc)≡(bはaを愛してゐるか、または、bはb自身を愛してゐるか、または、bはcを愛してゐる、)そして、
③(愛ca∨愛cb∨愛cc)≡(cはaを愛してゐるか、または、cはbを愛してゐるか、または、cはc自身を愛してゐる。)
といふことは、
② すべての人(a、b、c)は、ある人を愛してゐる。
といふことに、他ならない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∀x∃y(愛xy)
② すべての人は、ある人を愛してゐる。
③(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)
(ⅰ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅱ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅲ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「手順」を「応用」すると、
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
として、
① 鼻は象が長い(鼻は象以外は長くない)。
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
③ {[(鼻αa&象a→長α)&(~象a&長α→~鼻αa)]∨[(鼻αb&象b→長α)&(~象b&長α→~鼻αb)]}&{[(鼻βa&象a→長β)&(~象a&長β→~鼻βa)]∨[(鼻βb&象b→長β)&(~象b&長β→~鼻βb)]}
に於いて、
①=②=③ である。
(06)
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
として、
③{[(鼻αa&象a→長α)&(~象a&長α→~鼻αa)]∨[(鼻αb&象b→長α)&(~象b&長α→~鼻αb)]}
&{[(鼻βa&象a→長β)&(~象a&長β→~鼻βa)]∨[(鼻βb&象b→長β)&(~象b&長β→~鼻βb)]}
といふ「式」は、
③{[鼻αは象aの鼻であって長く]尚且つ[aが象ではなく、αが長いならば、αはaの鼻ではないか、]または、
[鼻αは象bの鼻であって長く]尚且つ[bが象ではなく、αが長いならば、αはbの鼻ではなくて、]}尚且つ、
③{[鼻βは象aの鼻であって長く]尚且つ[aが象ではなく、βが長いならば、βはaの鼻ではないか、]または、
[鼻βは象bの鼻であって長く]尚且つ[bが象ではなく、βが長いならば、βはbの鼻ではなくて、]}。
といふ「意味」である。
従って、
(06)により、
(07)
③{[(鼻αa&象a→長α)&(~象a&長α→~鼻αa)]∨[(鼻αb&象b→長α)&(~象b&長α→~鼻αb)]}
&{[(鼻βa&象a→長β)&(~象a&長β→~鼻βa)]∨[(鼻βb&象b→長β)&(~象b&長β→~鼻βb)]}
といふ「式」は、
③{鼻αは、象aの鼻であるか、象bの鼻であるならば、その時に限って、長く、}尚且つ、{鼻βは、象aの鼻であるか、象bの鼻であるならば、その時に限って、長い}。
といふ「意味」になる。
然るに、
(08)
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
として、
③{鼻αは、象aの鼻であるか、象bの鼻であるならば、その時に限って、長く、}尚且つ、{鼻βは、象aの鼻であるか、象bの鼻であるならば、その時に限って、長い}。
といふことは、
① 鼻は象が長い(鼻は象以外は長くない)。⇔
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
といふことに、他ならない。
令和02年10月06日(は奥歯が痛い)。
(01)
(ⅰ)鼻は象が長い(鼻は象以外は長くない)。然るに、
(ⅱ)ある兎は、象ではないが鼻が有る。 従って、
(ⅲ)ある兎の鼻は長くない。
といふ「論証(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(01)により、
(02)
「記号」と書くと、
(ⅰ)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。然るに、
(ⅱ)∃x∃y(兎y&~象y&鼻xy)。 従って、
(ⅲ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x)。
といふ「論証(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(03)
1 (1)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)} A
1 (2) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&長a→~鼻ay)} 1UE
3 (3) (鼻ab&象b→長a)&(~象b&長a→~鼻ab) A
3 (4) ~象b&長a→~鼻ab 3&E
5 (5)∃x∃y(兎y&~象y&鼻xy) A
6 (6) ∃y(兎y&~象y&鼻ay) A
7(7) 兎b&~象b&鼻ab A
7(8) 兎b& 7&E
7(9) ~象b 7&E
7(ア) 鼻ab 7&E
7(イ) ~~鼻ab アDN
3 7(ウ) ~(~象b& 長a) 4イMTT
3 7(エ) ~~象b∨~長a ウ、ド・モルガンの法則
3 7(オ) ~象b→~長a エ含意の定義
3 7(カ) ~長a 9オMPP
7(キ) 兎b&鼻ab 8ア&I
3 7(ク) 兎b&鼻ab&~長a カキ&I
3 7(ケ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) クEI
3 6 (コ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) 67ケEE
3 6 (サ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) コEI
35 (シ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 56サEE
1 5 (ス)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 13シEE
従って、
(02)(03)により、
(04)
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)},∃x∃y(兎y&~象y&鼻xy)├ ∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x)
といふ「推論(連式)」は、果たして、「妥当」である。
然るに、
(05)
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
として、
∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ) [(鼻xa&象a→長x)&(~象a&長x→~鼻xa)]∨[(鼻xb&象b→長x)&(~象b&長x→~鼻xb)]
(ⅱ){[(鼻xa&象a→長x)&(~象a&長x→~鼻xa)]∨[(鼻xb&象b→長x)&(~象b&長x→~鼻xb)]}&{[(鼻xa&象a→長x)&(~象a&長x→~鼻xa)]∨[(鼻xb&象b→長x)&(~象b&長x→~鼻xb)]}
(ⅲ){[(鼻αa&象a→長α)&(~象a&長α→~鼻αa)]∨[(鼻αb&象b→長α)&(~象b&長α→~鼻αb)]}&{[(鼻βa&象a→長β)&(~象a&長β→~鼻βa)]∨[(鼻βb&象b→長β)&(~象b&長β→~鼻βb)]}
といふ「手順」で、「展開」出来る。
従って、
(04)(05)により、
(06)
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
として、
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
③ {[(鼻αa&象a→長α)&(~象a&長α→~鼻αa)]∨[(鼻αb&象b→長α)&(~象b&長α→~鼻αb)]}&{[(鼻βa&象a→長β)&(~象a&長β→~鼻βa)]∨[(鼻βb&象b→長β)&(~象b&長β→~鼻βb)]}
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(07)
① 鼻は象が長い(鼻は象以外は長くない)。
といふ「日本語」を、
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}⇔
② すべてのxとあるyについて{xがyの鼻であって、yが象であるならば、xは長く、yが象でなくて、xが長いならば、xはyの鼻ではない}。
といふ風に、
② ∀x∃y
といふ「量記号(quantifiers)」を用ひて、「翻訳」すべきであると、「感じた」のは、
①{x│xは鼻である。}
といふ「集合」の、「真部分集合」として、
②{y│yは象の鼻である。}
といふ「集合」があるためである。
然るに、
(07)により、
(08)
さうだとすると、
n(鼻)=「鼻といふ集合の要素の個数」は、必ず、
n(象)=「象といふ集合の要素の個数」よりも、「多い」ことになる。
従って、
(06)(08)により、
(09)
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
といふ風に、
n(鼻)=n(象)
であるのは、「マズイ」のであって、例へば、
鼻={α,β,γ,δ,ε,}は「集合」である。
象={a,b} は「集合」である。
といふに、
n(鼻)>n(象)
でなければ、ならない。
従って、
(06)(09)により、
(10)
「厳密」には、
鼻={α,β}は「集合」である。
象={a,b}は「集合」である。
として、
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
③ {[(鼻αa&象a→長α)&(~象a&長α→~鼻αa)]∨[(鼻αb&象b→長α)&(~象b&長α→~鼻αb)]}&{[(鼻βa&象a→長β)&(~象a&長β→~鼻βa)]∨[(鼻βb&象b→長β)&(~象b&長β→~鼻βb)]}
に於いて、
②=③ である。
といふ風には、言へない。
(11)
① 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。
といふ「翻訳」もさうであるやうに、
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。
Flexibility of mind is generally required for translating from ordinary speech into sentences of the predicate calculus. No firm rules can be given, and practice is needed before full familiarity with quantifiers is reached.
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)
(01)
象={a,b}は「集合」である。
鼻={α,β}も「集合」である。
として、
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)} A
2 (2)∃x(象x) A
1 (3) 象a→∃y(鼻ya&長y) 1UE
3 (4) 象a A
1 3 (5) ∃y(鼻ya&長y) 34&I
6(6) 鼻ba&長b A
36(7) 象a&鼻ba&長b 46&I
36(8) ∃y(象a&鼻ya&長y) 7EI
1 3 (9) ∃y(象a&鼻ya&長y) 568EE
1 3 (ア) ∃x∃y(象x&鼻yx&長y) 9EI
12 (イ) ∃x∃y(象x&鼻yx&長y) 23アEE
といふ「述語計算(Predicate calculus)」は、
1 (1){象a→(鼻αa&長α)∨象a→(鼻βa&長β)}&
{象b→(鼻αb&長α)∨象b→(鼻βb&長β)} A
2 (2) 象a∨象b A
1 (3){象a→(鼻αa&長α)∨象a→(鼻βa&長β)} 1&E
4 (4) 象a A
5 (5) 象a→(鼻αa&長α) A
45 (6) 鼻αa&長α 45MPP
45 (7) 象a&鼻αa&長α 46&I
45 (8) (象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β) 7∨I
9 (9) 象a→(鼻βa&長β) A
4 9 (ア) 鼻βa&長β 49MPP
4 9 (イ) 象a&鼻βa&長β 4ア&I
4 9 (ウ) (象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β) イ∨I
1 4 (エ) (象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β) 3589ウ∨E
1 4 (オ){(象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β)}∨
{(象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β)} オ∨I
1 (カ){象b→(鼻αb&長α)∨象b→(鼻βb&長β)} 1&E
キ (キ) 象a A
ク (ク) 象b→(鼻αb&長α) A
キク (ケ) 鼻αb&長α キクMPP
キク (コ) 象b&鼻αb&長α キケ&I
キク (シ) (象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β) コ∨I
ス(ス) 象b→(鼻βb&長β) A
キ ス(セ) 鼻βb&長β キシMPP
キ ス(ス) 象b&鼻βb&長β キス&I
キ ス(セ) (象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β) セ∨I
1 キ (ソ) (象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β) カクシスセ∨E
1 キ (タ){(象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β)}∨
{(象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β)} ソ∨I
12 (チ){(象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β)}∨
{(象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β)} 24オキタ∨E
といふ「命題計算(Propositional calculus)」に、「相当」する。
従って、
(01)により、
(02)
{aとb}が「象」であって、
{αとβ}が「鼻」である「世界」を想定すると、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)},∃x(象x)├ ∃x∃y(象x&鼻yx&長y)
②{象a→(鼻αa&長α)∨象a→(鼻βa&長β)}&{象b→(鼻αb&長α)∨象b→(鼻βb&長β)}, (象a∨象b)├ {(象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β)}∨{(象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β)}
といふ「連式(Sequents)」に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
{aとb}が「象」であって、
{αとβ}が「鼻」である「世界」を想定すると、
① 象は鼻は長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}⇔
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長い}。
とするならば、
②{(象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β)}∨{(象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β)}⇔
②{(象aの鼻はαであって、αは長い)か、または、(象aの鼻はβであって、βは長い)}か、または、{(象bの鼻はαであって、αは長い)か、または、(象bの鼻はβであって、βは長い)}。
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(04)
つぎの2章において取り扱をうとする述語計算のような、より複雑なレベルの論理学においては、真理表の方法は無効となる。実際このレベルにおける表現を、妥当なものと不妥当なものにふるいわける機械的な手段は存在しないことが知られているのである。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、115頁)
然るに、
(05)
「述語論理」ではなく、「命題論理」の場合は、「妥当なものと不妥当なものにふるいわける機械的な手段が存在する。」
従って、
(04)(05)
(06)
「すべての述語倫理式」が、「命題論理式」に「翻訳」出来るとするならば、「矛盾」する。
従って、
(03)(06)
(07)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)},∃x(象x)├ ∃x∃y(象x&鼻yx&長y)
②{象a→(鼻αa&長α)∨象a→(鼻βa&長β)}&{象b→(鼻αb&長α)∨象b→(鼻βb&長β)}, (象a∨象b)├ {(象a&鼻αa&長α)∨(象a&鼻βa&長β)}∨{(象b&鼻αb&長α)∨(象b&鼻βb&長β)}
といふ「連式(Sequents)」に於いて、
①=② である。
といふのは、あるいは、「方便」である。
といふ、ことになる(?)。
(01)
{a,b,c}のみを含む、「3つの対象」から成る「世界」に於いて、
1 (1)∀x(象x→動物x) A
2 (2)∃x(象x) A
1 (3) 象a→動物a 1UE
4(4) 象a A
1 4(5) 動物a 34MPP
1 4(6) 象a&動物a 45&I
1 4(7)∃x(象x&動物x) 6EI
12 (8)∃x(象x&動物x) 247EE
12 (〃)象といふ動物がゐる。 247EE
といふ「述語計算(Predicate calculus)」は、
1 (1)(象a→動物a)&(象b→動物b)&(象c→動物c) A
2 (2)(象a∨象b∨象c) A
1 (3)(象a→動物a) 1&E
1 (4)(象b→動物b) 1&E
1 (5)(象c→動物c) 1&E
2 (6) 象a∨(象b∨象c) 2結合法則
7 (7) 象a A
1 7 (8) 動物a 37MPP
1 7 (9) 象a&動物a 78&I
1 7 (ア)(象a&動物a)∨(象b&動物b) 9∨I
1 7 (イ)(象a&動物a)∨(象b&動物b)∨(象c&動物c) ア∨I
ウ (ウ) (象b∨象c) A
エ (エ) 象b A
1 エ (オ) 動物b 4エMPP
1 エ (カ) 象b&動物b エオ&I
1 エ (キ) (象b&動物b)∨(象x&動物c) カ∨I
1 エ (ク)(象a&動物a)∨(象b&動物b)∨(象c&動物c) キ∨I
ケ(ケ) 象c A
1 ケ(コ) 動物c 5ケMPP
1 ケ(サ) 象c&動物c ケコ&I
1 ケ(シ) (象b&動物b)∨(象x&動物c) サ∨I
1 ケ(ス)(象a&動物a)∨(象b&動物b)∨(象c&動物c) シ∨I
ウ (セ)(象a&動物a)∨(象b&動物b)∨(象c&動物c) ウエクケス∨E
12 (ソ)(象a&動物a)∨(象b&動物b)∨(象c&動物c) 27イウセ∨E
といふ「命題計算(Propositional calculus)」に、「等しい」。
従って、
(01)により、
(02)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (〃)象は、鼻が長い。 A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
2 (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。 A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 象a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
12 (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。 ナUI
12 (〃)兎は、象ではない。 ナUI
といふ「述語計算(Predicate calculus)」であっても、「命題計算(Propositional calculus)」に、「置き換へ」ることが、出来るはずであるが、「大変(面倒)」なので、「やりたくない」。
然るに、
(01)により、
(03)
12 (8)∃x(象x&動物x) 247EE
といふ「結論」は、
∀x(象x→動物x),∃x(象x)├ ∃x(象x&動物x)
といふ「連式」に、相当する。
従って、
(01)(03)により、
(04)
{a,b,c}のみを含む、「3つの対象」から成る「世界」に於いて、
12 (8)∃x(象x&動物x) 247EE
といふ「結論」は、
(象a→動物a)&(象b→動物b)&(象c→動物c),(象a∨象b∨象c)├(象a&動物a)∨(象b&動物b)∨(象c&動物c)
といふ「連式」に、相当する。
従って、
(04)により、
(05)
{a,b,c}のみを含む、「3つの対象」から成る「世界」に於いて、
12 (8)∃x(象x&動物x) 247EE
といふ「結論」は、
(aが象ならば、aは動物である。)&(bが象ならば、bは動物である。)&(cが象ならば、cは動物である。),(aは象であるか、または、bは象であるか、または、cは象である。)それ故、(aは象であって、動物である)か、または、(bは象であって、動物である)か、または、(cは象であって、動物である)。
といふ「意味」である。
然るに、
(06)
(aが象ならば、aは動物である。)&(bが象ならば、bは動物である。)&(cが象ならば、cは動物である。)
といふのであれば、
(aは、象ではない)かも知れないし、
(bは、象ではない)かも知れないし、
(cは、象ではない)かも知れない。
然るに、
(07)
(aは象であるか、または、bは象であるか、または、cは象である。)
といふのであれば、「結論」としては、
(a、b、cの内の、少なくとも、1個体は、象である。)
といふことになり、そのため、「象は、存在する。」
従って、
(01)(03)~(07)により、
(08)
1 (1)∀x(象x→動物x) A
2(2)∃x(象x) A
1 (1)(象a→動物a)&(象b→動物b)&(象c→動物c) A
2(2)(象a∨象b∨象c) A
に於いて、
2(2)∃x(象x) A
といふ「前提2」ではなく、
1 (1)∀x(象x→動物x)≡(象a→動物a)&(象b→動物b)&(象c→動物c) A
といふ「前提1」自体は、「象の存在」を「確認」してはゐない。
従って、
(08)により、
(09)
∀x(Fx→Gx)
の形の文が意味していることはAのクラスにはどのようなxも存在しないということであって、xがどこか特定のクラスの中に存在しているということをいっているのではない(沢田允、現代論理学入門、1962年、124頁)。
といふ、ことになる。
(01)
{a,b,c}のみを含む、「3つの対象」から成る「世界」に於いて、
111
1 (1)∃x(Fx&Gx) A
2(2) Fa&Ga A
2(3) Fa 2&E
2(4)∃x(Fx) 3EI
2(5) Ga 2&E
2(6) ∃x(Ga) 5EI
2(7)∃x(Fx)&∃x(Gx) 46&I
1 (8)∃x(Fx)&∃x(Gx) 127EE
といふ「述語計算(Predicate calculus)」は、
1 (1)(Fa&Ga)∨ (Fb&Gb)∨(Fc&Gc) A
1 (2)(Fa&Ga)∨{(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)} 1結合法則
3 (3)(Fa&Ga) A
3 (4) Fa 3&E
3 (5) Fa∨Fb 4∨I
3 (6) Fa∨Fb∨Fc 5∨I
3 (7) Ga 3&E
3 (8) Ga∨Gb 7∨I
3 (9) Ga∨Gb∨Gc 8∨I
3 (ア)(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc) 69&I
イ (イ) (Fb&Gb)∨(Fc&Gc) A
ウ (ウ) Fb&Gb A
ウ (エ) Fb ウ&E
ウ (オ) Fa∨Fb エ∨I
ウ (カ) Fa∨Fb∨Fc オ∨I
ウ (キ) Gb ウ&E
ウ (ク) Ga∨Gb キ∨I
ウ (ケ) Ga∨Gb∨Gc ク∨I
ウ (コ)(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc) カケ&I
サ(サ) Fc&Gc A
サ(シ) Fc サ&E
サ(ス) Fb∨Fc シ∨I
サ(セ) Fa∨Fb∨Fc ス∨I
サ(ソ) Gc サ&E
サ(タ) Gb∨Gc ソ∨I
サ(チ) Ga∨Gb∨Gc タ∨I
サ(ツ)(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc) セチ&I
イ (テ)(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc) イウコサツ∨E
1 (ト)(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc) 23アイテ∨E
といふ「命題計算(Propositional calculus)」に、「等しい」。
cf.
「述語計算」は「命題計算」の「拡張」であるが、「(1)~(ト)」は、「命題計算の規則」だけを用ひてゐる。従って、以上に示した「(1)~(ト)」は「命題計算」である。
従って、
(01)により、
(02)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(03)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
③(Fa & Gb )
に於いて、
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
といふ「3つの選言支」の中に、
③(Fa&Gb)
といふ「選言支」は無い。
従って、
(03)により、
(04)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
③(Fa & Gb )
に於いて、
①と③ が、「同時に、真になる」ことはない。
然るに、
(05)
「∨のマトリックス(真理表)」と、「&のマトリックス(真理表)」により、
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
③(Fa & Gb )
に於いて、
②と③ が、「同時に、真になる」ことは、「可能」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
③(Fa & Gb )
に於いて、
①と③ は、「同時に、真になる」ことが、「不可能」であるが、
②と③ は、「同時に、真になる」ことが、「 可能」である。
従って、
(06)により、
(07)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
に於いて、
② ならば、① である。
とは、限らない。
従って、
(02)(05)(06)(07)により、
(08)
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(09)
{a,b,c}のみを含む、「3つの対象」から成る「世界」に於いて、
①(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
②(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
といふ「式」は、
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃x(Fx)&∃x(Gx)
といふ「述語論理式」に、相当する。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① ∃x(Fx&Gx)
② ∃x(Fx)&∃x(Gx)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(11)
111 ∃x(Fx&Gx)├ ∃x(Fx)&∃x(Gx)
に対して、
逆の連式 ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx) は妥当ではない。
― 中略、―
この連式を証明しようとする自然な試みが、EE に対する制限に照らして、どのようにして失敗に帰するかを見ておくことは有益である。われわれは次のように証明をはじめるであろう。
1 (1)∃x(Fx)&∃x(Gx) A
1 (2)∃x(Fx) 1&E
1 (3) ∃x(Gx) 1&E
4 (4) Fa A
5(5) Ga A
45(6) Fa&Ga 45&I
45(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(2)および(3)に対して、われわれは代表的選言項(4)および(5)を仮定して、それらから結論 ∃x(Fx&Gx) を導出した。しかし EE を適用するどのようなくわだても、(2)を用いるにせよ(3)を用いるにせよ、こんどはうまく行かない。(7)の行の結論は(4)と(5)に依存し、そのいずれも「a」が現れているからである。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、154頁改)
従って、
(01)~(11)により、
(12)
いづれにせよ、
① ∃x(Fx&Gx)≡(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
② ∃x(Fx)&∃x(Gx)≡(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。
然るに、
(13)
F=フランス人
G=学生
とするならば、
① ∃x(Fx&Gx)≡(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
② ∃x(Fx)&∃x(Gx)≡(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
といふ「式」は、それぞれ、
① あるフランス人は、学生である。
② フランス人がゐて、学生もゐる。
といふ「意味」である。
然るに、
(14)
① あるフランス人(ギイ)は、学生である。
とするならば、当然、
② フランス人(ギイ)がゐて、学生(ギイ)もゐる。
然るに、
(15)
② フランス人(ギイ)がゐて、学生(カトリーヌ)もゐる。
としても、
② ギイ≠カトリーヌ
であって、
② ギイ=カトリーヌ
ではないのであれば、
① あるフランス人(ギイ)は、学生である。
といふことには、ならない。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① ∃x(Fx&Gx)≡(Fa&Ga)∨(Fb&Gb)∨(Fc&Gc)
② ∃x(Fx)&∃x(Gx)≡(Fa∨Fb∨Fc)&(Ga∨Gb∨Gc)
といふ「式」が、例へば、
① あるフランス人は、学生である。
② フランス人がゐて、学生もゐる。
といふ「意味」であったとしても、
① ならば、② であるが、
② ならば、① ではない。