(01)
① 使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之=
① 使{其君子不幸而不[得〔聞(大道之要)〕]、其小人不幸而不[得〔蒙(至治之澤)〕]}。
に於いて、
① 使{ }⇒{ }使
① 不[ ]⇒[ ]不
① 得〔 〕⇒〔 〕得
① 聞( )⇒( )聞
① 不[ ]⇒[ ]不
① 得〔 〕⇒〔 〕得
① 蒙( )⇒( )蒙
といふ「移動」を行ふと、
① 使{其君子不幸而不[得〔聞(大道之要)〕]、其小人不幸而不[得〔蒙(至治之澤)〕]}⇒
① {其君子不幸而[〔(大道之要)聞〕得]不、其小人不幸而[〔(至治之澤)蒙〕得]不}使=
① {其の君子をして不幸にし而[〔(大道の要を)聞くを〕得]不、其の小人をして不幸にし而[〔(至治の澤を)蒙るを〕得]不ら}使む。
cf.
〔通釈〕政治を行う人々は、不幸にして大いなる道の要領が何処に存するかと伝う事を聞くことが出来なかったし、治めらるる所の民百姓は、不幸にして治まれる御代の恩沢を蒙ることが出来ない様になったのである(諸橋徹次、大学新釈、2005年、32・33頁改)。
然るに、
(02)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)
(03)
① 使其君子不幸而不得聞大道之要其小人不幸而不得蒙至治之。
といふ「漢文(朱子、大學章句序)」に付く、
① 使{其君子不幸而不[得〔聞(大道之要)〕]其小人不幸而不[得〔蒙(至治之澤)〕]}。
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「漢文の補足構造」と、
(ⅱ)「訓読の際の語順」を、「同時」に、表してゐる。
従って、
(03)により、
(04)
或る人が、
① 使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之。
といふ「漢文」を、
① {其の君子をして不幸にし而[〔(大道の要を)聞くを〕得]不、其の小人をして不幸にし而[〔(至治の澤を)蒙るを〕得]不ら}使む。
といふ風に、「訓読できる」のであれば、そのときに限って、其の人は、
① 使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之。
といふ「漢文(朱子、大學章句序)」の、
① 使{其君子不幸而不[得〔聞(大道之要)〕]其小人不幸而不[得〔蒙(至治之澤)〕]}。
といふ「補足構造」を、「把握」してゐる。
然るに、
(05)
① 戊{四[三〔二(一)〕丁[丙〔乙(甲)〕]}
に於いて、
① 戊{ }⇒{ }戊
① 四[ ]⇒[ ]四
① 三〔 〕⇒〔 〕三
① 二( )⇒( )二
① 丁[ ]⇒[ ]丁
① 丙〔 〕⇒〔 〕丙
① 乙( )⇒( )乙
といふ「移動」を行ふと、
① 戊{四[三〔二(一)〕]丁[丙〔乙(甲)〕]}⇒
① {[〔(一)二〕三]四[〔(甲)乙〕丙]丁}戊=
① 一<二<三<四< 甲<乙<丙<丁<戊。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 戊 四 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」を用ひることにより、
① 使戊其君子不幸而不四得三聞二大道之要一、其小人不幸而不丁得丙蒙乙至治之澤甲⇒
① 其君子不幸而大道之要一聞二得三不四、其小人不幸而至治之澤甲蒙乙得丙不丁使戊=
① 其の君子をして不幸にし而大道之要一を聞二くを得三不四、其の小人にして不幸にし而至治之澤甲を蒙乙るを得丙不丁ら使戊む。
といふ「訓読」を行ふことが出来る。
然るに、
(07)
② 使下其君子不幸而不レ得レ聞二大道之要一、其小人不幸而不中レ得レ蒙至治之澤上。
③ 使下其君子不幸而不レ得レ聞二大道之要一、其小人不幸而不上レ得レ蒙二至治之澤一。
に於いて、
② は、「諸橋徹次、大学新釈、2005年」の「返り点」であって、
③ は、「赤塚忠、 大学中庸、2004年」の「返り点」であるものの、
② は、「間違ひ」であって、
③ が、「正しい」。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① 戊 四 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」であれば、「間違ひやう」が無いにも拘らず
② 下 レ レ 二 一 上レ レ 二 一
といふ風に、「レ点」を用ひて、書くのが「決まり」であるが故に、諸橋徹次 先生のやうな、碩学であっても、時には、
③ 下 レ レ 二 一 中レ レ 上
といふ「間違ひ」を犯す。といふ、ことになる。
(09)
3日程前から、
といふやうな「結果」を出力する、「入力」を始めてゐます。