(01)
―「昨日(令和02年10月11日)の記事」でも示した通り、―
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (〃)あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い)。 A
2 (2) ∃x{タマx& ∃y(名前yx)} A
3 (3) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
4(4) タマa& ∃y(名前ya) A
3 (5) ~∃y(名前ya) 3&E
4(6) ∃y(名前ya) 4&E
34(7) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 56&I
23 (8) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 247EE
12 (9) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 138EE
1 (ア) ~∃x{タマx& ∃y(名前yx)} 29RAA
1 (イ) ∀x~{タマx& ∃y(名前yx)} ア量化子の関係
1 (ウ) ~{タマa& ∃y(名前ya) イUE
1 (エ) ~タマa∨ ~∃y(名前ya) ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ) ~∃y(名前ya)∨~タマa エ交換法則
1 (カ) ∃y(名前ya)→~タマa オ含意の定義
1 4(キ) ~タマa 6カMPP
12 (ク) ~タマa 24キEE
3 (ケ) 吾輩a&猫a 3&E
123 (コ) 吾輩a&猫a&~タマa クケ&I
123 (サ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) コEI
12 (シ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) 13サEE
12 (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)},∃x{タマx&∃y(名前yx)}├ ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)
といふ「推論」、すなはち、
①{吾輩は猫である。名前は無い。}然るに、{タマには名前が有る。}従って、{吾輩はタマではないが、猫である。}
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(03)
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が「以降の文の主語」としても働く現象のことだ。それはどういうものなのか、実例として
夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭の文章を見てみよう。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
最初の文の主語(「主題」とも言う)である「吾輩」は、以降の文の主語でもある。
(オルタナティブブログ:どんなときに主語を省略できるのか。)
従って、
(03)により、
(04)
「ピリオド越え」といふのは、例へば、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
といふ「文」が、「実質的」に、
① 吾輩は猫である。(吾輩は)名前はまだ無い。
といふ「意味」である。といふ、ことを言ふ。
然るに、
(05)
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (〃) あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い)。 A
2(2) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
2(3) 吾輩a 2&E
2(4) 猫a 2&E
2(5) ~∃y(名前ya) 2&E
2(6) 吾輩a&~∃y(名前ya) 35&I
2(7) ∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)} 6EI
1 (8) ∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)} 127EE
2(9) 吾輩a&猫a 34&I
2(ア) ∃x(吾輩x&猫x) 9EI
1 (イ) ∃x(吾輩x&猫x) 12アEE
1 (ウ)∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)} 8イ&I
1 (〃)あるxは(吾輩であって猫である。)&
あるxは{吾輩であって(xの名前である所のyは)存在しない。}8イ&I
従って、
(05)により、
(06)
① ∃x{吾輩x&猫x & ~∃y(名前yx)}├
∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}
といふ「連式」、すなはち、
①{吾輩は猫である。 名前は無い。}故に、
{吾輩は猫であり}、{吾輩は名前は無い。}
といふ「連式」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
①{吾輩は猫である。 名前は無い。}故に、
{吾輩は猫であり}、{吾輩は名前は無い。}
といふ「推論」が、「妥当」である。といふことは、
① 吾輩は猫である。 名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)~(07)により、
(08)
① 吾輩は猫である。 名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「ピリオド越え」に、他ならない。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすると、
① ∃x{吾輩x&猫x & ~∃y(名前yx)}├
∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}
といふ「連式」が「妥当」であるからこそ、
① 吾輩は猫である。 名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふ「ピリオド越え」が、「実現」する。
然るに、
(10)
EXCERCISES
1 For each of the following formulae, state whether it is a well-formed formula, a propositional function not a well-formed formula, or neither.
練習問題
1 つぎの式のそれぞれについて、それが「論理式であるのか」、または、「論理式ではなくて、命題関数であるのか」、または、「論理式でも、命題関数でも、ないのか」を述べよ。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、187頁改)
(私による)解答:
(a)∀x(Gxa) は、「論理式」である。
(b)∀x(Gya) は、「論理式」でも、「命題関数」でもないため、所謂、「非文」である。
(c)∀x(Gxy) は、「yに関する、命題関数」である。
然るに、
(11)
「Fx」、「(Fy→∀x(Gx))」、「Hxy」のような式は、「縛られていない、変数x」および「縛られていない、変数y」が含まれていることから考えて、「真または偽なる命題」を表現する、「完全な文(complete sentence)」でないことから、われわれの今の定義によって「論理式」とはみなされないのではあるが、以下においては、それらの式に対する呼び名のある方が便利である。われわれは論理学の伝統にしたがって、「命題関数(propositional function)」の名を用いるであろう。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、182頁改)
従って、
(10)(11)
(12)
「論理式」は「完全な文(complete sentence)」であるが、
「命題関数」は「完全な文(complete sentence)」ではない。
然るに、
(13)
「完全な文(complete sentence)」ではないのであれば、「文(sentence)」ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「命題関数」は、所謂、「文(sentence)」ではない。
然るに、
(15)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}≡吾輩は猫である。名前は無い。
② ~∃y(名前yx) ≡名前は無い(xの名前である所のyは存在しない)。
に於いて、
① は「 論理式(文である)」であるが、
② は「命題関数(文でない)」である。
従って、
(05)(09)(14)(15)により、
(16)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすると、
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が「以降の文(sentence)の主語」としても働く現象のことだ。
といふ「言ひ方」は、「正しく」はなく、
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が『以降の「命題関数(propositional function)」の主語』としても働く現象のことだ。
といふ「言ひ方」こそが、「正しい」。