日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(743)三上文法批判:「私が理事長です。」の「否定」の「述語論理」。

2020-10-22 11:53:15 | 象は鼻が長い、述語論理。

 ―「昨日(令和02年12月21日)の記事」を、書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1  (1) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  A
1  (2)   ∀y(Fa&Fy→a=y)  1UE
1  (3)      Fa&Fb→a=b   2UE
1  (4)    ~(Fa&Fb)∨a=b  3含意の定義
 5 (5)    ~(Fa&Fb)      A
 5 (6)     ~Fa∨~Fb      5ド・モルガンの法則
 5 (7)     ~Fa∨~Fb∨a=b  6∨I
  8(8)             a=b  A
  8(9)     ~Fa∨~Fb∨a=b  8∨I
1  (ア)     ~Fa∨~Fb∨a=b  15789∨E
1  (イ)  ∀y(~Fa∨~Fy∨a=y) アUI
1  (ウ)∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y) イUI
(ⅱ)
1  (1)∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y) A
1  (2)  ∀y(~Fa∨~Fy∨a=y) 1UE
1  (3)     ~Fa∨~Fb∨a=b  2UE
1  (4)   (~Fa∨~Fb)∨a=b  3結合法則
 5 (5)   (~Fa∨~Fb)      A
 5 (6)   ~(Fa& Fb)      5ド・モルガンの法則
 5 (7)   ~(Fa& Fb)∨a=b  6∨I
  8(8)             a=b  A
  8(9)   ~(Fa& Fb)∨a=b  8∨I
1  (ア)   ~(Fa& Fb)∨a=b  15789∨E
1  (イ)     Fa&Fb→a=b    ア含意の定義
1  (ウ)  ∀y(Fa&Fy→a=y)   イUI
1  (エ)∀x∀y(Fx&Fy→x=y)   ウUI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x∀y( Fx& Fy→x=y)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
(ⅰ)
1  (1)∀x∀y(Fx&Fy→x=y)   A
1  (2)  ∀y(Fa&Fy→a=y)   1UE
1  (3)     Fa&Fb→a=b    2UE
 4 (4)     Fa           A
  5(5)        Fb        A
 45(6)     Fa&Fb        45&I
145(7)            a=b   36MPP
14 (8)         Fb→a=b   57CP
1  (9)     Fa→(Fb→a=b)  48CP
1  (ア)  ∀y{Fa→(Fy→a=y)} 9UI
1  (イ)∀x∀y{Fx→(Fy→x=y)} アUI
(ⅲ)
1  (1)∀x∀y{Fx→(Fy→x=y)} A
1  (2)  ∀y{Fa→(Fy→a=y)} 1UE
1  (3)     Fa→(Fb→a=b)  2UE
 4 (4)     Fa& Fb       A
 4 (5)     Fa           4&E
 4 (6)         Fb       4&E
14 (7)         Fb→a=b   35MPP
14 (8)            a=b   67MPP
1  (9)     Fa&Fb→ a=b   48CP
1  (ア)  ∀y(Fa&Fy→a=y)   9UI
1  (イ)∀x∀y(Fx&Fy→x=y)   アUI
従って、
(03)により、
(04)
① ∀x∀y(Fx& Fy→x=y)
③ ∀x∀y{Fx→(Fy→x=y)}
に於いて、
①=③ である。
然るに、
従って、
(02)(04)により、
(05)
① ∀x∀y( Fx& Fy→x=y)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
③ ∀x∀y{ Fx→(Fy→x=y)}
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(06)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
③ ∀x∀y{ Fx→(Fy→x=y)}
に於いて、
② は、「すべてのxとyは、Fではない。」といふことを「否定」しない
③ は、「Fxの次のFyも、Fxである。」といふことを「意味」してゐる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
③ ∀x∀y{ Fx→(Fy→x=y)}
といふ「論理式」と「同値」である所の、
① ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
といふ「論理式」は、『Fをもつものが存在しないことも、またFをもつ1つのものが存在することを許す。しかし、1つより多いものが存在するならば、それは明らかにになる(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、211頁)。』
然るに、
(08)
① ∃x(Fx)≡Fである所のxが存在する。
① ∃x(Fx)≡1個以上の、xがFである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① ∃x(Fx)                ≡1個以上のxがFである。
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)≡1個以上で、2個未満のxがFである。
然るに、
(10)
1個以上で、2個未満のxがFである。
といふことは、
① 過不足なく、正確に1個のxが、Fである。
といふことである。
従って、
(09)(10)
(11)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
といふ「論理式」は、
① 過不足なく、正確に1個のxが、Fである。
といふことを、示してゐる。
然るに、
(12)
(ⅰ)
1 (1)∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  A
1 (2)∃x(Fx)                  1&E
 3(3)   Fa                   A
1 (4)       ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  1&E
1 (5)         ∀y(Fa&Fy→a=y)  4UE
1 (6)            Fa&Fa→a=a   5UE
 3(7)            Fa&Fa       3冪等律
13(8)                  a=a   67MPP
1 (9)               Fa→a=a   38CP
1 (ア)            ∀y(Fy→a=y)  9UI
13(イ)         Fa&∀y(Fy→a=y)  3ア&I
13(ウ)      ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} イEI
1 (エ)      ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13ウEE
(ⅱ)
1  (1)      ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
 2 (2)         Fa&∀y(Fy→a=y)  A
 2 (3)         Fa             2&E
 2 (4)            ∀y(Fy→a=y)  2&E
 2 (5)               Fb→a=b   4UE
  6(6)            Fb&Fb       A
  6(7)               Fb       6冪等律
 26(8)                  a=b   57MPP
   (9)                  a=a   =I
 26(ア)                  b=a   89=E
 26(イ)                  b=b   8ア=E
 2 (ウ)            Fb&Fb→b=b   6イCP
 2 (エ)         ∀y(Fb&Fy→b=y)  ウUI
 2 (オ)       ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  エUI
 2 (カ)∃x(Fx)                  3EI
1  (キ)∃x(Fx)                  12カEE
1  (ク)∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  オキ&I
従って、
(12)により、
(13)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」は、
① 過不足なく、正確に1個のxが、Fである。
といふこと(一意性:uniqueness)を、示してゐる。
然るに、
(15)
①  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
② ~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
① の「否定」が、② である。
然るに、
(16)
(ⅱ)
1  (1)~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
1  (2)∀x~{Fx&∀y(Fy→x=y)} 1量化子の関係
1  (3)  ~{Fa&∀y(Fy→a=y)} 2UE
1  (4)  ~Fa∨~∀y(Fy→a=y)  3ド・モルガンの法則
1  (5)   Fa→~∀y(Fy→a=y)  4含意の定義
 6 (6)   Fa              A
16 (7)      ~∀y(Fy→a=y)  56MPP
16 (8)      ∃y~(Fy→a=y)  7量化子の関係
  9(9)        ~(Fb→a=b)  A
  9(ア)       ~(~Fb∨a=b)  9含意の定義
  9(イ)          Fb&a≠b   ア、ド・モルガンの法則
  9(ウ)       ∃y(Fy&a≠y)  イEI
16 (エ)       ∃y(Fy&a≠y)  89ウEE
1  (オ)    Fa→∃y(Fy&a≠y)  6エCP
1  (カ) ∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)} オUI
(ⅲ)
1  (1) ∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)} A
1  (2)    Fa→∃y(Fy&a≠y)  1UE
 3 (3)    Fa             A
13 (4)       ∃y(Fy&a≠y)  23MPP
  5(5)          Fb&a≠b   A
  5(6)       ~(~Fb∨a=b)  5ド・モルガンの法則
  5(7)        ~(Fb→a=b)  6含意の定義
  5(8)      ∃y~(Fy→a=y)  7EI
13 (9)      ∃y~(Fy→a=y)  458EE
13 (ア)      ~∀y(Fy→a=y)  9量化子の関係
1  (イ)   Fa→~∀y(Fy→a=y   3アCP
1  (ウ)  ~Fa∨~∀y(Fy→a=y)  イ含意の定義
1  (エ)  ~{Fa&∀y(Fy→a=y)} ウ、ド・モルガンの法則
1  (オ)∀x~{Fx&∀y(Fy→x=y)} エUI
1  (カ)~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} オ量化子の関係
従って、
(16)により、
(17)
② ~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
③  ∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(17)により、
(18)
② ~~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
③  ~∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)}
に於いても、
②=③ である。
従って、
(18)により、
(19)
「二重否定律(DN)」により、
②  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
③ ~∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(19)により、
(20)
「番号」と「文字」を付け直すと、
①  ∃y{Gy&∀z(Gz→y=z)}
② ~∀y{Gy→∃z(Gz&y≠z)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(20)により、
(21)
① ∀x{Fx→ ∃y[Gy&∀z(Gz→y=z)]}
② ∀x{Fx→~∀y[Gy→∃z(Gz&y≠z)]}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(22)
(ⅰ)
1  (1) ∀z(Gzx→z=y) A
 2 (2) ∃z(z≠y&Gzx) A
 2 (3)    Gcx→c=y  1UE
  4(4)    c≠y&Gcx  A
  4(5)    c≠y      4&E
  4(6)        Gcx  4&E
1 4(7)   ~Gcx      35MTT
1 4(8)  ~Gcx&Gcx   67&I
12 (9)  ~Gcx&Gcx   24EE
1  (ア)~∃z(z≠y&Gzx) 29RAA
(ⅲ)
1  (1)~∃z(z≠y&Gzx) A
1  (2)∀z~(z≠y&Gzx) 1量化子の関係
1  (3)  ~(c≠y&Gcx) 2UE
1  (4)   c=y∨~Gcx  3ド・モルガンの法則
1  (5)   ~Gcx∨c=y  4交換法則
1  (6)    Gcx→c=y  5含意の定義
1  (7) ∀z(Gzx→z=y) 6UI
従って、
(22)により、
(23)
① ∀z(Gzx→z=y)
③ ~∃z(z≠y&Gzx)
に於いて、
①=③ である。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
① ∀x{Fx→ ∃y[Gy& ∀z(Gz→y=z)]}
② ∀x{Fx→~∀y[Gy→ ∃z(Gz&y≠z)]}
③ ∀x{Fx→~∃y[Gy&~∃z(z≠y&Gz)]}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(24)により、
(25)
例へば、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→ ∃y[私y&理事長yx& ∀z(理事長zx→y=z)]}
② ∀x{タゴール記念会の会員x→~∀y[私y&理事長yx→ ∃z(理事長zx&y≠z)]}
③ ∀x{タゴール記念会の会員x→ ∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(25)により、
(26)
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、 yとzは「同一人物」である)]。}
② すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、すべてのyについて[yが私であり、yがxの理事長であるならば、あるzが(xの理事長であって、yとzが「同一人物」ではない)]。といふことはない。}
③ すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、あるz(が、y以外であって、xの理事長である)といふことはない。]}
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(26)により、
(27)
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、 yとzは「同一人物」である)]。}
② すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、すべてのyについて[yが私であり、yがxの理事長であるならば、あるzが(xの理事長であって、yとzが「同一人物」ではない)]。といふことはない。}
③ すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、あるz(が、y以外であって、xの理事長である)といふことはない。]}
といふことは、要するに、3つとも、
① タゴール記念会の理事長は私であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない
② タゴール記念会の理事長は私であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない
③ タゴール記念会の理事長は私であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない
といふ「意味」である。
然るに、
(28)
① タゴール記念会の理事長は私である。
② 私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(29)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(25)~(29)により、
(30)
① タゴール記念会は、私理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、zとyは「同一人物」である)]。}
といふ「等式」が、成立する。
cf.
ラッセルの確定記述(The definite description)。
然るに、
(31)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、「日本語」として、「正しい」。
然るに、
(32)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  34MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)     ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)        小倉c&~私c                       A
    ア (イ)        小倉c                           ア&E
    ア (ウ)            ~私c                       ア&E
     エ(エ)               b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3スCP
1  9  (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
1  9  (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。                セUI
従って、
(31)(32)により、
(33)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(30)~(33)により、
(34)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」を、「妥当」であるとする一方で、
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、zとyは「同一人物」である)]。}
といふ「等式」を、「マチガイ」であると、することは出来ない。
然るに、
(35)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(34)(35)により、
(36)
① タゴール記念会は、私理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、zとyは「同一人物」である)]。}
といふ「等式」は、「正しい」。
然るに、
(37)
伝統的論理学を速水滉『論理学』(16)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九刷一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多く読者を持つ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂の『現代論理学入門』(62)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(38)
「三上章、日本語の論理、1963年」を読む限り、三上章 先生が、「述語計算(Predicate calculus)」を学んだ「形跡」はない。
然るに、
(39)
いまわれわれに必要なのは、命題の内部へわけいりその内部構造(inner structure)を明らかにする道具(tools)である。これらの道具は、述語計算(Predicate calculus)によって与えられる。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、118頁改)
従って、
(25)~(39)により、
(40)
「三上章、日本語の論理、1963年」を上肢する際に、
「その文の、内部構造(inner structure)を明らかにする所の道具(tools)」である「述語計算(Predicate calculus)」を学んでゐたのであれば、三上章 先生も、
① タゴール記念会は、私理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、あるz(が、y以外であって、xの理事長である)といふことはない。]}
といふ「等式」に、気付くことが、出来たはずであるにも拘らず、三上章 先生は、そのことを、怠った。
と、言ふべきである。
(41)
① タゴール記念会は、私理事長です。
といふ「日本語」は、「述語論理」で書けば、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
といふ「意味」であり、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
といふ「述語論理」は、「日本語」で言へば、
① タゴール記念会は、私理事長です。
といふ「意味」である。
従って、
(29)(41)により、
(42)
① タゴール記念会は、私理事長です。
といふ「日本語」の、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
といふ「意味」に触れないまま、
また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
といふ風に、述べたとしても、
 タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」の、「文法」を、説明したことには、ならないはずである。