―「昨日(令和02年12月21日)の記事」を、書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1 (1) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2) ∀y(Fa&Fy→a=y) 1UE
1 (3) Fa&Fb→a=b 2UE
1 (4) ~(Fa&Fb)∨a=b 3含意の定義
5 (5) ~(Fa&Fb) A
5 (6) ~Fa∨~Fb 5ド・モルガンの法則
5 (7) ~Fa∨~Fb∨a=b 6∨I
8(8) a=b A
8(9) ~Fa∨~Fb∨a=b 8∨I
1 (ア) ~Fa∨~Fb∨a=b 15789∨E
1 (イ) ∀y(~Fa∨~Fy∨a=y) アUI
1 (ウ)∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y) イUI
(ⅱ)
1 (1)∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y) A
1 (2) ∀y(~Fa∨~Fy∨a=y) 1UE
1 (3) ~Fa∨~Fb∨a=b 2UE
1 (4) (~Fa∨~Fb)∨a=b 3結合法則
5 (5) (~Fa∨~Fb) A
5 (6) ~(Fa& Fb) 5ド・モルガンの法則
5 (7) ~(Fa& Fb)∨a=b 6∨I
8(8) a=b A
8(9) ~(Fa& Fb)∨a=b 8∨I
1 (ア) ~(Fa& Fb)∨a=b 15789∨E
1 (イ) Fa&Fb→a=b ア含意の定義
1 (ウ) ∀y(Fa&Fy→a=y) イUI
1 (エ)∀x∀y(Fx&Fy→x=y) ウUI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x∀y( Fx& Fy→x=y)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2) ∀y(Fa&Fy→a=y) 1UE
1 (3) Fa&Fb→a=b 2UE
4 (4) Fa A
5(5) Fb A
45(6) Fa&Fb 45&I
145(7) a=b 36MPP
14 (8) Fb→a=b 57CP
1 (9) Fa→(Fb→a=b) 48CP
1 (ア) ∀y{Fa→(Fy→a=y)} 9UI
1 (イ)∀x∀y{Fx→(Fy→x=y)} アUI
(ⅲ)
1 (1)∀x∀y{Fx→(Fy→x=y)} A
1 (2) ∀y{Fa→(Fy→a=y)} 1UE
1 (3) Fa→(Fb→a=b) 2UE
4 (4) Fa& Fb A
4 (5) Fa 4&E
4 (6) Fb 4&E
14 (7) Fb→a=b 35MPP
14 (8) a=b 67MPP
1 (9) Fa&Fb→ a=b 48CP
1 (ア) ∀y(Fa&Fy→a=y) 9UI
1 (イ)∀x∀y(Fx&Fy→x=y) アUI
従って、
(03)により、
(04)
① ∀x∀y(Fx& Fy→x=y)
③ ∀x∀y{Fx→(Fy→x=y)}
に於いて、
①=③ である。
然るに、
従って、
(02)(04)により、
(05)
① ∀x∀y( Fx& Fy→x=y)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
③ ∀x∀y{ Fx→(Fy→x=y)}
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(06)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
③ ∀x∀y{ Fx→(Fy→x=y)}
に於いて、
② は、「すべてのxとyは、Fではない。」といふことを「否定」しない。
③ は、「Fxの次のFyも、Fxである。」といふことを「意味」してゐる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② ∀x∀y(~Fx∨~Fy∨x=y)
③ ∀x∀y{ Fx→(Fy→x=y)}
といふ「論理式」と「同値」である所の、
① ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
といふ「論理式」は、『Fをもつものが存在しないことも、またFをもつ1つのものが存在することを許す。しかし、1つより多いものが存在するならば、それは明らかに偽になる(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、211頁)。』
然るに、
(08)
① ∃x(Fx)≡Fである所のxが存在する。
① ∃x(Fx)≡1個以上の、xがFである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① ∃x(Fx) ≡1個以上のxがFである。
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)≡1個以上で、2個未満のxがFである。
然るに、
(10)
① 1個以上で、2個未満のxがFである。
といふことは、
① 過不足なく、正確に1個のxが、Fである。
といふことである。
従って、
(09)(10)
(11)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
といふ「論理式」は、
① 過不足なく、正確に1個のxが、Fである。
といふことを、示してゐる。
然るに、
(12)
(ⅰ)
1 (1)∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃x(Fx) 1&E
3(3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fa→a=a 5UE
3(7) Fa&Fa 3冪等律
13(8) a=a 67MPP
1 (9) Fa→a=a 38CP
1 (ア) ∀y(Fy→a=y) 9UI
13(イ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3ア&I
13(ウ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} イEI
1 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13ウEE
(ⅱ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6冪等律
26(8) a=b 57MPP
(9) a=a =I
26(ア) b=a 89=E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 6イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ)∃x(Fx) 3EI
1 (キ)∃x(Fx) 12カEE
1 (ク)∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オキ&I
従って、
(12)により、
(13)
① ∃x(Fx)&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」は、
① 過不足なく、正確に1個のxが、Fである。
といふこと(一意性:uniqueness)を、示してゐる。
然るに、
(15)
① ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
② ~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
① の「否定」が、② である。
然るに、
(16)
(ⅱ)
1 (1)~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
1 (2)∀x~{Fx&∀y(Fy→x=y)} 1量化子の関係
1 (3) ~{Fa&∀y(Fy→a=y)} 2UE
1 (4) ~Fa∨~∀y(Fy→a=y) 3ド・モルガンの法則
1 (5) Fa→~∀y(Fy→a=y) 4含意の定義
6 (6) Fa A
16 (7) ~∀y(Fy→a=y) 56MPP
16 (8) ∃y~(Fy→a=y) 7量化子の関係
9(9) ~(Fb→a=b) A
9(ア) ~(~Fb∨a=b) 9含意の定義
9(イ) Fb&a≠b ア、ド・モルガンの法則
9(ウ) ∃y(Fy&a≠y) イEI
16 (エ) ∃y(Fy&a≠y) 89ウEE
1 (オ) Fa→∃y(Fy&a≠y) 6エCP
1 (カ) ∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)} オUI
(ⅲ)
1 (1) ∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)} A
1 (2) Fa→∃y(Fy&a≠y) 1UE
3 (3) Fa A
13 (4) ∃y(Fy&a≠y) 23MPP
5(5) Fb&a≠b A
5(6) ~(~Fb∨a=b) 5ド・モルガンの法則
5(7) ~(Fb→a=b) 6含意の定義
5(8) ∃y~(Fy→a=y) 7EI
13 (9) ∃y~(Fy→a=y) 458EE
13 (ア) ~∀y(Fy→a=y) 9量化子の関係
1 (イ) Fa→~∀y(Fy→a=y 3アCP
1 (ウ) ~Fa∨~∀y(Fy→a=y) イ含意の定義
1 (エ) ~{Fa&∀y(Fy→a=y)} ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ)∀x~{Fx&∀y(Fy→x=y)} エUI
1 (カ)~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} オ量化子の関係
従って、
(16)により、
(17)
② ~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
③ ∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(17)により、
(18)
② ~~∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
③ ~∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)}
に於いても、
②=③ である。
従って、
(18)により、
(19)
「二重否定律(DN)」により、
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
③ ~∀x{Fx→∃y(Fy&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(19)により、
(20)
「番号」と「文字」を付け直すと、
① ∃y{Gy&∀z(Gz→y=z)}
② ~∀y{Gy→∃z(Gz&y≠z)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(20)により、
(21)
① ∀x{Fx→ ∃y[Gy&∀z(Gz→y=z)]}
② ∀x{Fx→~∀y[Gy→∃z(Gz&y≠z)]}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(22)
(ⅰ)
1 (1) ∀z(Gzx→z=y) A
2 (2) ∃z(z≠y&Gzx) A
2 (3) Gcx→c=y 1UE
4(4) c≠y&Gcx A
4(5) c≠y 4&E
4(6) Gcx 4&E
1 4(7) ~Gcx 35MTT
1 4(8) ~Gcx&Gcx 67&I
12 (9) ~Gcx&Gcx 24EE
1 (ア)~∃z(z≠y&Gzx) 29RAA
(ⅲ)
1 (1)~∃z(z≠y&Gzx) A
1 (2)∀z~(z≠y&Gzx) 1量化子の関係
1 (3) ~(c≠y&Gcx) 2UE
1 (4) c=y∨~Gcx 3ド・モルガンの法則
1 (5) ~Gcx∨c=y 4交換法則
1 (6) Gcx→c=y 5含意の定義
1 (7) ∀z(Gzx→z=y) 6UI
従って、
(22)により、
(23)
① ∀z(Gzx→z=y)
③ ~∃z(z≠y&Gzx)
に於いて、
①=③ である。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
① ∀x{Fx→ ∃y[Gy& ∀z(Gz→y=z)]}
② ∀x{Fx→~∀y[Gy→ ∃z(Gz&y≠z)]}
③ ∀x{Fx→~∃y[Gy&~∃z(z≠y&Gz)]}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(24)により、
(25)
例へば、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→ ∃y[私y&理事長yx& ∀z(理事長zx→y=z)]}
② ∀x{タゴール記念会の会員x→~∀y[私y&理事長yx→ ∃z(理事長zx&y≠z)]}
③ ∀x{タゴール記念会の会員x→ ∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(25)により、
(26)
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、 yとzは「同一人物」である)]。}
② すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、すべてのyについて[yが私であり、yがxの理事長であるならば、あるzが(xの理事長であって、yとzが「同一人物」ではない)]。といふことはない。}
③ すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、あるz(が、y以外であって、xの理事長である)といふことはない。]}
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(26)により、
(27)
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、 yとzは「同一人物」である)]。}
② すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、すべてのyについて[yが私であり、yがxの理事長であるならば、あるzが(xの理事長であって、yとzが「同一人物」ではない)]。といふことはない。}
③ すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、あるz(が、y以外であって、xの理事長である)といふことはない。]}
といふことは、要するに、3つとも、
① タゴール記念会の理事長は私であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。
② タゴール記念会の理事長は私であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。
③ タゴール記念会の理事長は私であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。
といふ「意味」である。
然るに、
(28)
① タゴール記念会の理事長は私である。
② 私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(29)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(25)~(29)により、
(30)
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、zとyは「同一人物」である)]。}
といふ「等式」が、成立する。
cf.
ラッセルの確定記述(The definite description)。
然るに、
(31)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、「日本語」として、「正しい」。
然るに、
(32)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3スCP
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(31)(32)により、
(33)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(30)~(33)により、
(34)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」を、「妥当」であるとする一方で、
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、zとyは「同一人物」である)]。}
といふ「等式」を、「マチガイ」であると、することは出来ない。
然るに、
(35)
(ⅰ)私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。然るに、
(ⅱ)小倉氏は、私ではない。故に、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(34)(35)により、
(36)
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→z=y)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、zとyは「同一人物」である)]。}
といふ「等式」は、「正しい」。
然るに、
(37)
伝統的論理学を速水滉『論理学』(16)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九刷一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多く読者を持つ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂の『現代論理学入門』(62)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(38)
「三上章、日本語の論理、1963年」を読む限り、三上章 先生が、「述語計算(Predicate calculus)」を学んだ「形跡」はない。
然るに、
(39)
いまわれわれに必要なのは、命題の内部へわけいりその内部構造(inner structure)を明らかにする道具(tools)である。これらの道具は、述語計算(Predicate calculus)によって与えられる。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、118頁改)
従って、
(25)~(39)により、
(40)
「三上章、日本語の論理、1963年」を上肢する際に、
「その文の、内部構造(inner structure)を明らかにする所の道具(tools)」である「述語計算(Predicate calculus)」を学んでゐたのであれば、三上章 先生も、
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私です。⇔
① タゴール記念会の理事長は、私以外にはゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}⇔
① すべてのxについて、{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるy[は私であり、yはxの理事長であり、あるz(が、y以外であって、xの理事長である)といふことはない。]}
といふ「等式」に、気付くことが、出来たはずであるにも拘らず、三上章 先生は、そのことを、怠った。
と、言ふべきである。
(41)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」は、「述語論理」で書けば、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
といふ「意味」であり、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
といふ「述語論理」は、「日本語」で言へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「意味」である。
従って、
(29)(41)により、
(42)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」の、
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∃z(z≠y&理事長zx)]}
といふ「意味」に触れないまま、
また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
といふ風に、述べたとしても、
タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」の、「文法」を、説明したことには、ならないはずである。