脊柱の圧迫骨折を引き起こして後、3年間整形にリハビリのため通いました。ストレッチや筋肉を落とさないように指導してくださったA先生はお若く、孫とも思える方でした。昨年末で、ご自宅の近くの病院に勤めることのなったからと退職なさいました。私もそれを機会に通院を卒業させてもらったのでした。
A先生の残された言葉が「おせっちゃん、歩くことが基本です。とにかく歩いてください。スピードよりも歩幅を大きくね」でした。
教えを守って、朝の家事を終えて、近所の公園に行き、周回路をぐるぐる回りするのが習慣になっています。よほどの雨の日以外はなるべく歩きます。辛い日もありますが、孫(?)を裏切ってはいけないと頑張っています。
そのウオーキングには、もう一つ楽しみがあります。だんだんお顔なじみの方が出来てきたのです。お互いマスク顔ですが、そして長話、近づきすぎは避けてではありますが、一日の活力の源になります。
そうしたお顔なじみの1グループはワンちゃんが主役です。公園の一角に、秋には黄葉が美しい大木が植わっている広場があります。その広場の主のように、午前中は必ず来ている男性がおられます。聞くところによると、肺のご病気をなさって激しい運動は禁止されていらっしゃるのだとか。自己流の体操などをしていらっしゃるようです。その方は、ワンちゃんがお好きなようで、犬を連れた人が何人かが自然に集まり、犬談義、をなさっているようです。なんとなくそこの準会員になって挨拶をしています。
でも、やはり犬と暮らしていないものは本当の仲間にはなれないようです。私も、一寸咽喉から頭を撫でてやるくらいで、そのあとのあやし方が分かりません。家族(?)自慢は勿論できません。犬たちも、この婆さんはだめだな、というようにすぐ離れて行ってしまいます。仕方がないので、挨拶が済むとバイバイと歩きに戻るのです。
歩きながら考えます。犬猫などを家族としてともに暮らしたことのない者は、やはり暖かな愛情・心に欠陥があるのかなあ、と自分を過小評価するのです。犬猫たちだけでなく、ひいては人付き合いもどこか冷たいのかなあ、と反省めいた気持ちになるのです。
今日こんなことがありました。新しい、年配の男性が、どこか色つやの良くないワンちゃんを連れて仲間に入っていらっしゃいました。私にも声をかけてこられました。
「これももう、認知症になっていますよ。14歳ですから」
「あら、あなたも後期高齢者なの。でも頑張って歩いているのね。偉いねえ」
「今日は頑張りましたよ、かなり自分で歩きましたから」
「14歳って、人間で言えば何歳くらいですか」
「80台でしょうね」
「ああ、それではおばあちゃんとおんなじね。頑張ろうね」
頭をなでてやってバイバイしたのでした。