おせっちゃんの今日2

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南こうせつ 父母を語る

2021-09-17 14:21:22 | 徹子の部屋出演者

先日、徹子の部屋に南こうせつが出演していました。子どもを広い自然の中で育てたくて、ふるさとに居を定めた。若者がワイワイ集まっていた広い家は広すぎるようになり、思い切って大整理。こじんまりした家に建て替えた。

いろいろなことを話していたけれど、私に強く印象深く感じられたのは、ご両親の話でした。
父は、家族団らんしていても、どこかなじまず、おとうさん置いてけぼりの話になると、口笛とも言えないため息のような息を吐いて、すっと立って畑に出てしまう人だったとのこと。
お母さんは、おとうさんが亡くなって、お骨になって祭壇に安置してある前で、小さく身をかがめて、何か考えていらっしゃった、その姿を声もかけられず見ていた。その内みている子供に気が付いて、小さな声で「私はお父さん、好きではなかった」とおっしゃったとのこと。

「家族の中で浮いてしまっていた人と、夫が好きではなかったという人。愛の結晶と思う子供はどうすればいいのかと思いましたよ」
「う~ん、そうですよね」。徹子さんも一瞬声を失ったようでした。
こうせつさんが言います。

「わが家は寺なんですよ。それを継いで保って行かなければならなかった母、そんな母の元へ養子に入って寺を守っていた父。愛だの恋だのという結びつきではなかったのでしょう。父も住職になるより都会に出たかったでしょうし、母も田舎で暮らすより、都会に出たかったのではないかなあ」。

こうせつさんはつくづくお二人の立場を思い偲んでいらっしゃいました。

今なら、何が何でもいやなら他の道も選べるのかなあ。

私が嫁いで、姑として仕えた人がありました。夫の母ですよね。継母でしたが。
晩年、時々「私は結婚に失敗した」と私達息子二人、嫁二人の所為のように愚痴っていました。「私たちの所為にされてもねえ」と私たちも愚痴っていました。

舅は軍人でした。元のお母ちゃん(夫はこう呼んでいました)との間に4人の子供がいました。結核でなくなりました。夫は5年生だったと言います。戦争の末期でした。職業柄、待ったなしで戦場に行かなくてはならない立場でした。急遽新しいお母ちゃん探しで、候補者に上がったのが姑だったのです。
姑は当時の適齢期はとうに過ぎていましたが、女学校の英語の先生として勤めていたのです。半分無理やりに、嫁いだと姑は言うのです。結婚して幾日も経たないうちに、4人の子の母としての責任が課せられ、夫は戦地に赴いたということです。

「私は軍人は嫌いでした。結婚は大失敗でした」。私達子供と嫁はどうしようもなく黙って聞いているだけでしたけど。