筋書きの複雑な小説が理解しにくい老いぼれ頭になっていることはすでに告白しました。思いついて今まであまり読まなかったエッセイ集を読んで見ることにして、夏休み前から吉村昭の「縁起のいい客」を図書館から借りてきて読み始めてみました。登場人物も限られているし、話の筋も複雑で覚えられないということはなく、それでいて、生きていく道案内になってくれるようなものに心惹きつけられたりします。
「一つのことのみに」というエッセイ。
父親が、仕事がらみで煙草工場を見学して興奮して帰宅したことがあった。その頃巻煙草は印刷した紙の袋に20本、女性社員が手仕事で詰めるのだった。
女性がぱっと掴めば20本。何度掴んでも20本、間違いなく。
ずっとこの仕事一筋、何年も何十年もつかんでは袋に入れる、これだけをやってきた女性である。「一つのことのみに」立ち向かうということは、こう言う事なんだと感心して話した。
決してたいそうな仕事というわけでもないだろうけれど、プロですよねえ。見事なものですねえ。
これを読みながら私の耳の中でひっそりと囁く声が。
「おせっっちゃん、あなた専業主婦のプロでしょう。何年主婦やってるのよ。こうした誇れるものあるの?」。そうですよね、主婦やって65年近くなるのかしら。う~ん、誇れるものかあ。
ふと思いつきました。誇れるほどのことではないけれど、60年以上、飯炊き婆さんをしてきました。電気釜に米を入れる。我が家では夫に、せめてご飯だけでも炊けるように、研がなくていい無洗米を使っています。だから手順としては米を入れる、蛇口をひねる、窯に水を灌ぐ、量を確める、の手順で、準備はできるのです。この時、水の量がほとんど狂ったことがない。ぴったり釜の側面の水量線にあっている。
煙草の女性ほどには行っていないけれど、半プロである。お粗末さま。