今日も吉村氏のエッセイから。(おせっちゃんが勝手にまとめました)
中学に入学した時のこと。父やが万年筆をお祝いに買ってくれた。胸のポケットにさしこむ動作が誇らしく、嬉しく、はっきり覚えている。
世の中はワープロ、パソコンになって来たけれど、万年筆を手放す気は全くない。
自分で万年筆を求めたのは長崎・マツヤ。確かパーカーだった。
これはどうかなというのを4・5本選んだ。店主は「字を書いてみてください」という。そして私の動作をじっと観察する。気に入った一本が決まると、ペン先の微妙な傾斜や太さを、仕上げてくれた。いかにも職人の眼差しと仕事ぶりだった。
小説・エッセイを書くのは、パイロットと決めていた。かなり使い込んだある日、先端が揺らいで、離れてしまった。店主に送ったら、「修理可能」と返事が来た。
でも私は修理は止した。「その万年筆が可哀想。十数年私に酷使されて首が捥げてしまったのです。静かに葬ってやりたい」と返事をした。丁寧に包装されて、帰って来た。
店主のいかにも誇りの高い名職人の仕事ぶり、物書きの相棒である万年筆に対する暖かな心遣い、読んでいてふっと胸が熱くなりました。
おせっちゃんにも万年筆の思い出があります。東京の大学に落ちて、山口大学に入学しました。まだ戦後の貧窮から抜け出していませんでしたが、父が腕時計を買ってくれました。「こうした貴重品を買うのは信用のある店でないと」と、出不精な父が知り合いのお店まで同行しての買い物でした。
それに加えて,4兄が「俺が万年筆を買うちゃろう」と言ってくれたのです。まだ学生だったか、大学の助手になりたてだったかの兄でした。万年筆の胴は今でいうプラスチックだったでしょうか、半透明の、中の部品が透けて見えるものでした。吉村氏と同じように、心躍る嬉しさでした。
こんな思いでの万年筆でしたが、まだ品質は劣っていたのでしょう。1・2年経つうちに、胴にひびが入り、時間とともにインクが漏れるようになったのでした。
それをどうしたか、覚えがないのです。きっと、整理好きの私です、未練なく捨ててしまったのかと思います。吉村氏のような温かい心での見送りはしなかったのでしょう。
万年筆を買い替えるほどの財力はありません。その頃の地方大学生は、着たきりスズメで、時には下駄ばきで、教科書ノート類はベルトで十文字掛けにし,ペンと小さなインク瓶とをぶら下げて、通学していたのです。教授の読み上げる論文などを、それで筆記していましたね。