おせっちゃんの今日2

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パイン缶詰のジュース

2022-08-26 13:48:01 | いろいろ

先日、テレビで(何の番組か覚えていないけれど)「子どもの頃口にしたことなあるパインジュースがおいしかった」と、話ているのを聞くともなく聞きました。
パインジュースは私にも、おいしかった!!という強烈な味とともに小学校の頃の思い出がよみがえります。

戦後、食料不足の時代です。小学校の給食が曲りなりに供給さrていました。給食で思い出すのは、脱脂粉乳です。大人になってから理解したことですが、日本駐留のアメリカ軍が、牛乳から乳脂肪を取り除いた残りを、飢えた子供たちにおろしてくれたものだったのでしょう。その頃の日本人は牛乳などあまり飲んではいなかったでしょうし、ましてや、粉乳をどのように調理したらいいのかわかっていなかったのではないでしょうか。私の育ったところは半農半漁の村でした。家でとれた野菜や、海から取ったアサリがなどとにかく食べられるものがある人は学校に持ってくるのです。粉乳を溶かしたものを沸き立たせ、そこにごっちゃに投げ込むのです。珍妙な、決しておいしいものではありませんでした。でも私の世代はこれで食いつないだのでした。

ある日、下校前のホームルーム(この呼称があったかなかったか)で、先生がおっしゃんました。
「明日は給食にいいものが出るようよ。それを入れるお椀を持ってくること」。なんだろう?楽しみでした。母に持って行くお椀はどれにする?と聞きましたら、客用の塗りのおわんがいいだろうといいました。日頃は使わない、塗りのお椀です。子供心に、立派過ぎないか、通学途中などで傷つけることもあるやもしれない、と心配でした。それを言うと、母は「ええんよ、それにしなさと言いましたました。

これも後に考えたことですが、母の精一杯の虚栄心だったのではないでしょうか。追放された軍人の父、農地改革で一変した経済力。母の自尊心は崩れてしまっていたのでしょう。このお椀こそ、その崩れた自尊心を補うものとして、母の最後の砦のようなものだったのではないでしょうか。

それはさておき、この日のいいものが、先生の手で各自のお椀に注ぎ分けられました。前宣伝が恥ずかしくなるほど、すこ~しでした。私の記憶では大匙一ぱいほどだったような気がします。それでもみんなワクワクしながら「いただきま~す!」。

次の瞬間、声がなくなりました。あまりに甘かったのです。砂糖などない生活から急に甘い甘~いものをいただいたのですもの。ああ、お代わりしたい、と思いました。

そして大人になりました。日本もだんだん戦後を抜け出しました。食べ物も回復してきました。ある時、我が家の食卓にもパインの缶詰が登場しました。
あ、これだ!!あのお椀に分けられたジュースはこれだ。パインという固形物が本真モノなんだ。あの脱脂粉乳と同じく、アメリカの兵隊さんが実は食べて、シロップ液を子供に飲ませてくれたのだ。なんだか涙のでるほどの感激と、悔しさと一緒に湧き上がる物悲しさとがありました。