おせっちゃんの今日2

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20年30年の後に

2022-08-25 10:26:59 | テレビから

見るともなく見ていたテレビから聞こえてきた言葉です。
キチンと聞いていたわけでなく、慌ててメモった覚え書きだから、意味合いが違うかもしれませんが、書いてみます。

確か「新日本風土記」で、佃・月島の祭りの準備を放送してたのだと思います。ご多分に漏れず、ここもコロナ禍が災いして、2年ばかり祭は取りやめになっていて、今年3年ぶりの準備だそうです。
地域の人たちの伝統を重んじる、地域の絆がしっかり結ばれている祭りです。準備は長老の世話人の指揮に従って若い衆が働く。

世話人が言う。「怒鳴られながら成長していくのです」。

「これは学校では教えてくれない、絶対に。学校で教えるのは1+1=2。祭りから学ぶのは3にも4にもなる。ただそれが分かるのは、20年、30年あとになってのこと!!」。

伝統を教え込むには、かなり厳しい教育がなされる。江戸っ子の厳しい言葉も投げられるようです。今の学校教育では、これはパワハラと言われるかもしれない。でもそれが20年30年後に人間として大切な心の芯になっていくというのだろう。

以前書いたことがありますが、「そこに愛はあるんかあ」。双方に愛があればそこから大きな人の輪ができるはず。伝統はこうして地域に根付くのであろう。


万年筆の葬送・・・吉村昭

2022-08-24 13:34:00 | 読書・映画

今日も吉村氏のエッセイから。(おせっちゃんが勝手にまとめました)

中学に入学した時のこと。父やが万年筆をお祝いに買ってくれた。胸のポケットにさしこむ動作が誇らしく、嬉しく、はっきり覚えている。
世の中はワープロ、パソコンになって来たけれど、万年筆を手放す気は全くない。

自分で万年筆を求めたのは長崎・マツヤ。確かパーカーだった。
これはどうかなというのを4・5本選んだ。店主は「字を書いてみてください」という。そして私の動作をじっと観察する。気に入った一本が決まると、ペン先の微妙な傾斜や太さを、仕上げてくれた。いかにも職人の眼差しと仕事ぶりだった。

小説・エッセイを書くのは、パイロットと決めていた。かなり使い込んだある日、先端が揺らいで、離れてしまった。店主に送ったら、「修理可能」と返事が来た。
でも私は修理は止した。「その万年筆が可哀想。十数年私に酷使されて首が捥げてしまったのです。静かに葬ってやりたい」と返事をした。丁寧に包装されて、帰って来た。

店主のいかにも誇りの高い名職人の仕事ぶり、物書きの相棒である万年筆に対する暖かな心遣い、読んでいてふっと胸が熱くなりました。

おせっちゃんにも万年筆の思い出があります。東京の大学に落ちて、山口大学に入学しました。まだ戦後の貧窮から抜け出していませんでしたが、父が腕時計を買ってくれました。「こうした貴重品を買うのは信用のある店でないと」と、出不精な父が知り合いのお店まで同行しての買い物でした。

それに加えて,4兄が「俺が万年筆を買うちゃろう」と言ってくれたのです。まだ学生だったか、大学の助手になりたてだったかの兄でした。万年筆の胴は今でいうプラスチックだったでしょうか、半透明の、中の部品が透けて見えるものでした。吉村氏と同じように、心躍る嬉しさでした。

こんな思いでの万年筆でしたが、まだ品質は劣っていたのでしょう。1・2年経つうちに、胴にひびが入り、時間とともにインクが漏れるようになったのでした。
それをどうしたか、覚えがないのです。きっと、整理好きの私です、未練なく捨ててしまったのかと思います。吉村氏のような温かい心での見送りはしなかったのでしょう。

万年筆を買い替えるほどの財力はありません。その頃の地方大学生は、着たきりスズメで、時には下駄ばきで、教科書ノート類はベルトで十文字掛けにし,ペンと小さなインク瓶とをぶら下げて、通学していたのです。教授の読み上げる論文などを、それで筆記していましたね。


被害広げた大八車

2022-08-23 13:49:41 | 読書・映画

吉村氏のエッセイの中には、こんな実用的なことも取り上げられています。
関東大震災についてです。

★ 父   「ちょうど昼食の支度をしている時間だったんで、七輪や竈から発火したのだ」
★ 吉村氏 「それは勿論あっただろうけれど、私は歴史を題材に小説を書いている。資料を調べてみました。それによると原因の大きなものに、薬品の発火ががあります。学校・試験所・研究所・医院・薬局などにある薬品が棚から落ちて、その衝撃で発火しているのです」

おせっちゃんは、化学が苦手でした。赤線地帯をさまよって、落第点近くをお情けで卒業したのです。どのような薬品が発火するかなど分かりませんが。

★ 父   「避難するものが大八車を引いて、また家財道具を背負って逃げ惑う。この欲が逃げ道を塞ぐ。荷物に引火する。このことは江戸時代から、厳しく禁じられているけれど、人間欲が出る。現在は大八車が車に変わっている。ガソリンを積んでいることを忘れないようにしなければ」
★ 吉村氏 「阪神大震災の時、この車が道を塞ぎ、消防車が身動きできない不都合が起こった」。

日頃からの訓練が大事だと思います。  


熱願冷諦(ねつがんれいてい)

2022-08-22 13:38:56 | 言葉

同じ吉村さんのエッセイ集の中に今まで知らなかったこんな言葉が取り上げられていました。
吉村氏がまだ売り出す以前から、尊敬していた長與 善郎の「竹澤先生という人」の中にある言葉だそうです。エッセイの中で心に残っている言葉だと書いています。
中で次のように解説がありました。

求める時にはひたむきに求めてやまないが、どうしても許されないと悟ると、そうかい、それならよろしい、とさっぱり思い切る意

初めて出会った言葉で、私の生きてきた道筋の経験では何か真意が分からないのは、悲しいが。

これを書くにあたってネットの力を借りようとググってみました。

「熱願冷諦」の意味は以下の通りです。
・熱心に願い求める事と冷静に物事の本質を見極める事。
・熱烈な願いと冷静に本質を見つめる二つの事。
”熱願”は「熱烈に願う」「熱心に願う」、”冷諦”は「明らかにする」「きちんと見てはっきりさせる」という意味があります。少々分かり辛いのは、熱心さと冷静さが同時にあるという事で、この様な意味合いの四字熟語は稀だと思います。熱心に願い求めながら、かつ冷静に物事を見極めようとするので、要するにそれぐらい全体を俯瞰的に把握しています。熱い思いはありながら、決して我を忘れないので、喩えるなら「心は熱く頭は冷静に!」という現代流の解釈も可能で、職業なら刑事や弁護士や教師などに要求される能力ではないでしょうか。

少しわかるような気がします。難しくてごめんなさい。これからの歩みの中でハタと分かることもあるかとメモしました。


一掴み、20本

2022-08-20 13:03:10 | 読書・映画

筋書きの複雑な小説が理解しにくい老いぼれ頭になっていることはすでに告白しました。思いついて今まであまり読まなかったエッセイ集を読んで見ることにして、夏休み前から吉村昭の「縁起のいい客」を図書館から借りてきて読み始めてみました。登場人物も限られているし、話の筋も複雑で覚えられないということはなく、それでいて、生きていく道案内になってくれるようなものに心惹きつけられたりします。

「一つのことのみに」というエッセイ。

父親が、仕事がらみで煙草工場を見学して興奮して帰宅したことがあった。その頃巻煙草は印刷した紙の袋に20本、女性社員が手仕事で詰めるのだった。

女性がぱっと掴めば20本。何度掴んでも20本、間違いなく。
ずっとこの仕事一筋、何年も何十年もつかんでは袋に入れる、これだけをやってきた女性である。「一つのことのみに」立ち向かうということは、こう言う事なんだと感心して話した。

決してたいそうな仕事というわけでもないだろうけれど、プロですよねえ。見事なものですねえ。

これを読みながら私の耳の中でひっそりと囁く声が。
「おせっっちゃん、あなた専業主婦のプロでしょう。何年主婦やってるのよ。こうした誇れるものあるの?」。そうですよね、主婦やって65年近くなるのかしら。う~ん、誇れるものかあ。

ふと思いつきました。誇れるほどのことではないけれど、60年以上、飯炊き婆さんをしてきました。電気釜に米を入れる。我が家では夫に、せめてご飯だけでも炊けるように、研がなくていい無洗米を使っています。だから手順としては米を入れる、蛇口をひねる、窯に水を灌ぐ、量を確める、の手順で、準備はできるのです。この時、水の量がほとんど狂ったことがない。ぴったり釜の側面の水量線にあっている。

煙草の女性ほどには行っていないけれど、半プロである。お粗末さま。