じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

想像力のかけらもない

2019年02月11日 | 日々のこと

今日の朝日紙面に「最後の1ヶ月間の延命治療はやめませんか」

古市憲寿(34)と落合陽一(31)の対談(「文学界」1月号)をとりあげたものです。

最近テレビにも頻繁に出ては憎々しげな話を振りまいている二人である。

 

このままだと社会保障費が崩壊しかねないという問題について・・・

 

(古市):お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1ヶ月。だから高齢者に

「10年早く死んでくれ」と言うわけではなく、「最後の1ヶ月間の延命治療を止めませんか?」

と提案すればいい。胃ろうやベッドでただ眠ったり、その1ヶ月は必要ない、と

 

(落合):後期高齢者の医療費を2割負担にしようとする政策とか、終末期医療の

延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気がする

 

 

これに対し、ジャーナリストの江川紹子さんは

「終末期」と「お金」を結びつける背景には、「コスト」や「生産性」など経済活動

に関わる言葉で物事を評価する見方が浸透している。

安易で早い回答を求める風潮と経済用語は馴染が良いのだろうが、それが人の命にまで

及ぶことに危機感がある。命の切り捨てにつながる。

 

かつて麻生財務相は

「さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない。

(自分の延命治療が)政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」

と発言した。

 

根は繋がっているのかも知れない。

 

高齢者が自からを総括して自分の意志として発言するなら理解が出来るが、

想像力のかけらもない青二才の2人にこんなことを語る資格はない。

元気で急に亡くなる人もいる。最後の1ヶ月間は予測できない

2人には防衛装備費膨張の削減など論じることは出来ないのだろうね。

 

 

昨日のレンズで(娘婿が)試し撮りしていた写真がファイルに残っていた。

マニュアルフォーカスなのだと思います。

何の変哲ない被写体だが、こんな違いが出るのですね。

参考にしたいところ・・・・

 

コメント (12)
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