諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

56 生体としてのインクルージョン#05 遊園地(前半)

2019年12月07日 | インクルージョン
北欧?(北八ヶ岳山麓)

 当時の養護学校に着任したころ、Aくんがいた。

  Aくんは、身体が自分の意思に関係なく動いてしまう。不随意という。
椅子に座ったときののように、足を付け根から曲げていないと、全身に力が入ってその力から逃れられない。

 言葉はない。音声はあるが意味としては聞き取れない。
音に過敏で、物音に驚いて痙攣することがある。

そんなことが細かくカルテのようなカードに書いてある。プロフィール表とある。


 明日はそのAくんと一緒に修学旅行にいく。


 まずは、安全に行くこと、次にできるだけ快適に過ごせるよう姿勢や体温調整を心掛けること、そして彼の視線を意識して活動すること。
そんなことを考えてはいたが、実感としてAくんとの旅のイメージがつない。なにしろ養護学校の初心者だ。

ワイワイガヤガヤではないのだし、彼が楽しんでいるかよくわからない。

 道中のバスは最後部座席に布団を敷いて、この上にまず自分がすわりAくんを横抱きにする。
彼の心地よい姿勢を微調整しながら保持できるし、表情も見やすいと先輩先生がいう。

 バスが動きだすと小さな揺れを私の身体が吸収するかたちになり直接彼には伝わらない。
股関節や背中の角度も彼にとってナチュラルなポディションを探りやすいことも分かってきた。

 とりあえず、Aくんが見ている(であろう)ものを言葉にしようと思った。
「信号、赤だね」
「イトーヨーカ堂だ」
「ベンツの白いクーペ、高そう」?
そうやって、視線を合わせて見ていると、彼の気持ちに近づくように感じた。
「掛けた毛布が暑すぎないのか」
「もう少し、上体を起こすと視野が広がるかな」
「そろそろ喉が渇いたかな」

 でも、そんな対応が「正解」なのか、Aくんの表情からは読み取れない

 ホテルに着くと、着替えをして入浴タイムだ。
「さあ、入るよ。お家のお風呂より大きいでしょ」
と言って、気持ちいい表情を期待して探している。気持ちいいはずだ、間違いない。
顔を赤くして、少し微笑んでいるように見えた。期待のしすぎてそう見えたのかもしれない。

 夜も同部屋で一緒。寝る前に水分を取って、どちらかの肩に畳んだバスタオル入れて斜めの仰向けで体勢を整えた。
入眠時や夜中の睡眠が浅くなった時に発作があるというので気にしながら一晩を過ごす。
 こうした初日が終わった。

 翌日、郊外の遊園地にふさわしい晴天。
でも寝不足にはきついの太陽。

 せっかくなので…、ということで、メリーゴーラウンドの木馬に乗ることに。自分ともう一人の力持ちの男の先輩とで馬にまたがった感じの座り方を作って上下動しながら回転する動きを体験した。
びくりした表情だったが、何らかの興奮があったように見えた。
「いいねー、いいねー」
とそれを見ていた女性の先生。…本当によかったのか?。

 そのあとゴーカートに乗ったり、ぬいぐるみと握手したり、観覧車の狭い籠の中で発作を起こしたりいろいろなことがあった。

遊園地を出た時、
「先生よかったね。頑張ったじゃない」
とまた先輩に声を掛けられる。
励ましてくれなくてもいいのに…。


 そして帰路。
 帰りのバスでは、横抱きしたAくんは疲れたのか眠っている。
その寝顔は遊び疲れた子が寝てしまった様子に見えた。でも少し疲れすぎてないか心配になる。

 ところが、寝てしまうと体というのは重みを増す。お腹に重みがかかり、静かに寝かせている単調さもあって、こっちは車酔いになっての長い帰路となった。

 ようやく着いた学校では、大勢の先生方と、Aくんたちの保護者も帰りを待っていてくれた。
遠い星から生還したみたいな歓迎。

 そして、旅の最後に印象的なことがあった。車酔いと支えていた腕のシビレを抑えながら笑顔でお母さんにAくんを引き渡した時である。

「あれ!」

Aくんの表情が違う。

                             (続く)


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